忘れ物をしたよ 昨日に
それを明日 探しに行くよ
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もし星を散りばめた先に君がいたなら

ツイッターが生活に組み込まれてから随分時が経つのだけど、まあ乗っ取られてますよね。生活をね。人格もね。人格っていうか、そのね、宮崎晴香である時間は年々減って、そこで使っている名前である時間はどんどん増えていく。数アカウント持っているけど(ブログをいくつも持っていた過去の私が聞いたらきっと何も驚かないでしょうね!)、主にいる場所の名前が何よりも自分にしっくりきている今日この頃。

 

今は大学院最終年(の予定)で、結局のところ授業もあまりないし、仲間ももう多くないし、人と話す時間がとても少ないの。先生とは多少話すし、母親も帰国して一緒に住んでいるので話すけれど、例えば恋人と話すこともあまりないし、友人と会うこともあまりないし。だから、あそこでしか人と話さないのよね。ここで文章を書くこともある程度誰かと話すようなスタンスではあるけれど、でも特定の誰かを目指して書いているわけではないからね。だから、どうしてもそのアカウントに居座る時間が長いし、そこで共通の趣味について話している時間が楽しいし。何か成果を上げれば褒めてもらえるし。そんなわけで、ずぶずぶ。この一、二年がきっと人生で一番誰とも交流しない時期なんじゃないかしらね。どうかな、これからの人生がどうなのかわからないけど。一般的なアルバイトもしてないしね。

 

いっぱい文章というか、文字は書いてるのよ。趣味でね。一連の文章を完成させるのが上手くなってきたなと思うの、自分でも。まあ、趣味だし、中身は別にないし、完成って言ったってね、っていう感じなんだけどさ。でも、書くのは楽しい。年末から年度末あたりまでに凄いスランプに陥ってて、思考が500字より先に広がらないっていう酷い有様だったんだけど、それはここしばらくでちょっと抜け出したかな。ただ、月末締切の800字が書けていない。どうしよう。書かなきゃいけないのに、書きだす勇気が出ないんだよな。

 

言葉を書くのは勇気がいるよ。書くことだけじゃなくて、あらゆる能動的活動には勇気がいるけど、特に能動的に何かを創作したり、何かを発信したりすることはとても勇気がいる。思いを言葉にして、人目に晒すことはとても気持ちが良いことで、でもとても大変なことだと思う。黙っていれば、意見が違うことにだって気付かれないで済むのに、何で人はそんなことをするんだろうね。私は、褒められるのが気持ちいいからだし、言葉が自分の思うようにきちんと整列して黙っているのがとても好きだからかな。自分が引っ張ってきた言葉たちがいい子にしてきちんと並んでいるの、とても好きなの。やっぱりそれがあるね。今ここで書いているような文章はただ取りとめのない独り言だからそんなに考えないけど、もうちょっとまとまりのあるものを書くときはね。きちんといい子にして言葉が並んでいるのはとても好き。落ち着く。安心する。美しいなと思う。私は、ナルシストだけど、自分の書く文章が好き。昔から。そうじゃなければこんなに長い間、文章を書いたりなんてしなかったと思う。

 

色んなことが起きていく中で、どうしても上手くこなせないことがたくさんあって、落ち込んでしまったり、倒れ込んでしまったりする。本当はもっと大事にしたいことがたくさんあるのに、それが上手く出来なくて悲しい気持ちになることもある。だけど、頑張っていかなくちゃね。一生懸命、やっていかなくちゃね。

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転々転がるビー玉の路

どうしたんだろう、気持ちが急にがたついている。何もないのにこんな時間まで起きていることがそもそもの間違いなんだろうけど。お医者様、たまたま以前と違う方だったんだけど、親身できちんと聞いてくださる方で、上手くまともな時間に眠れないと言うと治さないと大変だと仰っていた。その通りだと思うし、少しずつ修正していたんだけど、何かあると途端に乱れが戻ってしまうの。駄目だなあ。


幸せなことを考えるんだけど、でもそれは私という個人の全てをカバー出来るものではない。だから、歪みが生じるの。覆い隠されずに剥き出しにされた、幸せではない部分。過去とか。欲しかったのに諦めた未来とか。実は不安な現在とか。そういったものから目を逸らしているのは楽しいのだけど、ふとこんな夜中に視界に入って離れなくなる。安全距離は壊されて、心の中がもやもやしたものでいっぱいになる。


何もかも実在しなければいいのになあ。いい事も悪い事も、何もかも。無かったことになればいいのに。でもそれは結局、何かの歌詞みたいだけど、私が無かったことになるほうが早い。全てを消さなくたって、私さえ消えれば私の知覚世界は消えるんだものね。いなかったことになれないかなあ。私のいない世界が、いなくなるんじゃなくていなかった世界が、ほしいなあ。でもその存在を知るための私もいないから、そんな世界がどこかにあったって私には分からないんだよな。


これはいわゆる希死念慮なのかしら。違うのかしら。みんな誰しも、フランクに、死にたいなあと思うのだと思っていたのだけど、違うのかしら。おやつにホットケーキ食べたいなあとか、晩御飯はハンバーグがいいなあとか、そういうノリで死にたいなあ、と語ることは許されないのだろうか。一つ零すごとに一つやり過ごしているのだから、許してくれたらいいのに。


書いているうちに少しずつ眠気が来始めたわね。寝ましょうね、夜中のうちに。朝日は怖いから、逃げなくちゃね。

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そして顔を上げれば二本の虹がかかっていた

弟の誕生日だ。おめでとう。もう24歳か、変なの。きっとよく言う「親にとってはいつまでも子供」と一緒で、姉にとって弟はいつまでも弟だからさ。とっくに背は抜かれて20cmほどあいつの方が大きいけど、未だにおちびちゃんだと思ってたりするもんね。何ならあいつ、春には就職するから私より先に社会人になるんだけど、それでもおちびちゃんだもん。私よりずっとしっかりしてる部分も多いんだけどね。変なの。不思議。おめでとう。ブラコンだから、ずっと可愛いんだよな、老け顔でも生え際危ない予感がぷんぷんしてても。

 

このブログってさ、人に言えないことを言うための場だったわけ。だから色んなことを隠しこんだ場所(不思議よね、誰にも言えないことは一番公になる媒体に託すのよね)なんだけど、ちょっとそれに関するフォーラムに今日参加してきた。参加するのにも勇気が必要だったけど、飛び込んでよかった。ずっと気持ち悪くって、素顔を晒して本名でその場にいることが怖くって、逃げて帰りたいって思ってしまうほど、未だに、私の心のどこかに巣食ってるんだなと思ったけど。その要素は私の中で否定できない大事なもので、それをこうして疎ましく思ってしまうこと自体がずっと悲しくって、でもそうして身を守って生きてきて、とか、色んなことを考えてたんだけどね。でもね、今日行って、お話しして下さってた方にそのことを聞いてみたの。勇気出して。お名前出して、お顔出して、こうやって正体を明かして活動されるのって怖くなかったですか、躊躇されませんでしたか、って。したよって。もちろん、と言われて、私すごく救われたの。私が弱いんじゃないんだって。私が弱くて怖いんじゃなくって、そうじゃなくって、みんな怖いんだ、それでも大丈夫なんだって。それでも顔を出して名前を出してしている理由は、TVで切りとられる有名人じゃない普通の人というロールモデルになりたいから、明るい未来の可能性のひとつになりたいからって言われて、すごくすごく、感銘を受けた。嬉しかった。私、そういえばそういう生き方に憧れてたこともあったなあって。懐かしかったし嬉しかった。頑張って行って良かった。逃げ出さなくて良かった。良かった、本当に。

 

もう、文章じゃなくて、誰かに語りかけるような書き残しになってしまったなあ。でもこの感情はどうしても残しておきたかったの。いつかきっと、もっと困難にぶち当たったときに、私を救ってくれる。助けてくれる。だって、自殺してしまう人が減るようにって、私も思ってたもの。歳を重ねるごとに悩みは変わって、死にたい理由だって少しずつ移り替っているけど、それでもふと頭を過ることはある。それでも、それでも。

 

頑張らなくちゃ、とは思わないけど。思わない方がきっといいような気がする。けど、正直に生きようと思う。恐れだって正直な感情なんだから、それを無理に否定することはない。怖いのも私。前を向くのも下を向くのも私。ある意味恐ろしいことに、ごく身近な大事な人にそれを何故か受け入れてくれている人がいるんだから、そのことに感謝しながら、下向いたり後ろ向いたり、怯えたり隠れたり、たまに大胆になったり、そんなことをしながら生きていきたいなあ。何だかんだ生きていけました、というささやかな前例になりたいなあ。きっときっと、素敵よ、それ。きっと素敵。私が私として人(特定少数および不特定多数)を愛しながら、好きなものを好きだと思いながら(それを表明したりしなかったりしながら)、生きていければ、きっと嬉しい。そう思えた、とてもいい日だった。嬉しい。

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この苦しみがいつか実を結びますように

明けましておめでとうございます。新年早々、めちゃくちゃしんどいぞ。明日学会なんだけどね、全然上手く準備を進められていないしね、何だか色んなことが上手くいってないんだよね。はあ、早く終わってしまわないかな。24時間後には終わってるんだけどね。色んなやらないといけないことが連なっててめちゃくちゃしんどいよ。

 

多分ね、秋から抱えてたしんどさがこう、波になって引いたり寄せたりしてたんだよね。処理するの下手なんだよなあ。一時落ち着いてたというか、楽しいことに気持ちを浸していられたんだけど、その反動と言うか。あの時に楽しいことに没頭せずにもっと真面目に色々やればよかったなと思う反面、多分あの時にそっちに傾かなければここまで踏ん張れてなかっただろうなとも思うんだよ。ギリギリの攻防。薬飲んだって効かないほどぼろぼろになってたの、ほんの数週間前だもんな。めっきり治ったみたいな気持ちになってたけど、そんなわけないや。お正月で、弟が家に帰ってきてたおかげでちょっと気が逸れてただけだ。しんどいなあ。しんどいよ。

 

あとちょっと逃げれば、母親が帰国する。でも帰国しちゃうんだよなあ、家片付けなきゃいけないなあ。色々となあ、抱えてる。みんな色々抱えてるだろうし、きっと私よりみんな忙しいはずなんだけど、何で私はこんなに弱いんだろうなあ。先輩が、若いうちからカツカツのスケジュールを組むことで、いつかめちゃくちゃ忙しくなったときに耐えられるように慣らしてるって言ってた。その言葉だけが支えだ。色んなことに早めに挑戦させてもらってる。だから、きっといつかこれは実を結んで楽になるはず。きっと大丈夫。大丈夫に決まってる。自分にずっと言い聞かせてる。

 

しんどいなあ。怖いなあ。何が怖いのかもよく分からないなあ。やっぱり最後にはここに頼るのが一番安心するなあ。自分の言葉が一番安心する。誰に見られているかも分からない、誰かが見ているかどうか自体もう分からないこのブログに言葉を投げていくのが、やっぱり楽だよ。もう、ちょっとしばらくはリハビリがいるかもなあ。しんどいもんなあ。どんだけしんどいって言うねん、年明け早々。でもそうなんだもん。隠せない。しんどい。誰にも言えないんだもん。昔みたいに、言えないことがあってそれがしんどいっていうんじゃなくて、ただただしんどいというその事実を誰にも言えないんだもん。大変だあ。みんなもっと大変なのになあ。生きるの下手だなあ。

 

さあ、準備を再開しようね。明日を乗り切れば、少しは楽になれる、はずだよ。

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話し声を掻き消すスピーカーをちょうだい

たくさん泣いた夜だったと思う、久しぶりに。泣いて過ごす夜は元から少なくないけれど、人前で泣くということは久しくしていなかった。昔よりも泣くことに対してずっと冷静になった。昔はぐっと感情の波に飲み込まれて、泣いているときはどう足掻いても会話なんて出来なくて、溺れていくように沈んでいくように、息をすることで精いっぱいになっていたのにね。今でも、たまにはそういうこともあるけれど、でもどちらかというと涙腺と呼吸器が別で動くようになったというか、声帯が呼吸器側の指示を守るようになったというか、涙が出ているという状態とそれ以外の行動を切り離すことも出来るようになったと思う。

 

昔の私は、こんな夜のことを何と呼んだだろう。きっとたくさん取繕った、飾った、気取った、守りに走った、そんな表現を駆使して書き表しただろう。今の私はそういった表現に守られる必要が随分と減ったから、あの頃のような文章が書けない。それはいいことかもしれない。惜しいな、と思うこともあるけれど、きっとあの頃よりずっと色んな事が手に負えるようになっている。

 

そんな私にとっても、これはちょっと、言葉を選びながら書きたいことかもしれない。手に負えない、とは思わない。だけど、結構しんどかった。ずっとずっと、某読書家さんと重ねてきたお茶会のおかげで小出しに言語化していたおかげで何とかなったけれど、そうでなければきっと一度に突き付けられた現実に押しつぶされてしまっていたと思う。彼女の言うことは必ずしも正解ばかりではないし、私が彼女に言うことも必ずしも本心を全部捉えているものではないとは常々感じているけれど、それはそこで発された言葉たちが嘘だということではなくて、多面体の一部を切り取っていて、それに対して彼女のような考え方を出来る人が当てた光はそう反射するよ、というだけのこと。あれがなければあの夜も、この夜も越えられていないだろうから、感謝しなければね。

 

久しぶりに自分に対して本気で分析をかける羽目になっている。そんなことをしている場合では無いし、なんでこんなタイミングで……という気持ちもあるけれど、逆にこのタイミングでなければ私はこればかりを分析してどこか深みにはまっていってしまっただろうからよかったのかもしれない。何年も前に自分自身に課した戦法。一枚ずつ皮を剥いでいって、最後に残ったものを探す行為。とっても痛くて、辛くて、でもそれをしなければ肝心な問題に辿りつけないから。結局、私は、そして私たちは、そうした上辺の言い訳を盾にして向き合わずにきたわけだから。向こうがどうするのかは分からないけれど、私は私側の分析を担当しなければいけないし、そうする上での手法はそりゃ、自己流になるよね。

 

昨夜の自分の発言を振り返っても思うけれど、どうしても人間ってぽんと変わるものではなくて、もう片手で足りないほどの時間がこうして過ぎたというのに根本的な部分で自分が向いている方向は変わっていないんですよね。それを頭では分かっていたはずなのに、いざこうして本気で向き合ってみると本当に大きいんだなと思いました。私の人生の最初のブロックを構築した(時に破壊したりヒビを入れたりもした)考え方は、そこから前に進んでいたとしても変わらず存在している。こうなってしまったこと、こうあってしまったことを不幸だとは思わないように努力しているけれど、こんなのを身近に持ってしまった人に対しては不幸だ、可哀想に、騙されている、と思う癖が治らない。騙しているわけではないんだけど、何と言えばいいのか、こんなのを掴んでしまったばっかりに話がややこしくなっているね、ごめんね、という気持ちはいつまで経っても消えない。存在してしまったという罪なんだよなあ、だから自分の存在を消すことでしか解消されようがない。そりゃ自殺するよねみんな。分かるよ、気持ちは。

 

でもそこが主たる問題ではないんだと思った。それは要因の一つであって、でもそれを反駁する考えも発生源を同じにしながら存在している。色んなことを考えてみて、ふと行きついて、呼吸が出来なくなるかと思った事実なんだけど、私、自分が幸せになりたいって思ったことがそんなにない。この事実に気付いたとき、ぶわっと悲しくなって、もうとっくに慣れてコントロールだって出来るはずの過呼吸が収まらなくなった。自分がどうしたいのか分からないという問題そのものには気付いていたんだけど、根本原因としてそもそも私、幸せになりたいっていう考えが欠如している。それは部分的には仕方がないんだけど、悲しいものだね。色んな問題をやり過ごして上手く暮らしていきたい、くらいの願望はあるんだけど、もっと「幸せ」になりたいという概念がなかった。そもそも幸せって何かよく分からない。あまりにも漠然とした概念的な話で、いくらなんでもこの時間帯にすらすら書けるようなことではない。でも、それがきっと大きな問題で、この問題にも影響しているんだと思ったことを、明日以降の自分の為に書き残しておいてあげたかった。もう一回過呼吸やるのもしんどいし。

 

難しいなあ、生きるのって楽じゃない。嘘とか、良い人ぶってとか、そういうのじゃないレベルでさ、幸せにしたい、幸せになってほしいと思ってたわけ。それだけが宙に浮いた形で存在していて、そこに自分自身の存在を上手く埋め込んでなかったの。自分が幸せになりたいという発想がなかったし。でももし、幸せになっていいのだとすれば、幸せって何かよく分からないし恐ろしいけどもしそれを追い求めてもいいのだとすれば、きっとそっちの方が幸せだよね。その方向で物事を考えていった方がいいんじゃないかと、少なくともこの午前四時半の私は思うよ。お布団にそろそろ入ろうね、しなくちゃいけないことを丸投げにしているのは悪い癖だし、その最たるものは睡眠だよ。寝て、頭を使える状態にして、明日を迎えてください。おやすみなさい。

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風に巻き上げられてどこか遠くへ

最近、ほんとうにここ数日、大きな変化がいっぱい何の前触れも無しに転がりこんできている。いっぱいって言っても、二つか。いっぱいじゃないな。数量的には全然いっぱいじゃないけど、精神的にはいっぱいなの。大きな話だから。……うーん、実はそんなに大きな話でもないのかな。違うのかもしれない。でも、まあ何せ、私の精神にはいっぱいの話なの。どっちもほぼ同質の話で、どっちも良い話。

 

よくある、鬱になるタイミングの話っていうのによると、別に悪いことが起きたときだけがそのリスキーなタイミングではなくて、入学とか、結婚とか、昇進とか、何かしら良い方向への変化があった時もそのリスクが高まるらしい。それに首を傾げる人もきっと少なくないのだろうけど(何と言いましょうか、あんまり鬱にならなさそうな人中心にね)、私、なんとなくは分かるな。良いことだって凄くストレスだもん。現状維持って凄く安心するじゃない、例えその現状が少々閉塞感のある、完璧に幸せとは言えない状況でも。なんとなく、昨日と同じように今日が過ぎて、今日と同じように明日も過ぎるんだと思うと安心しない?私は凄くそういう状態に安心感を覚えるタイプなので、良い方向への変化であっても変化は変化で、言い知れぬ恐怖を感じている。

 

この話に乗らない手はないの。そこには色んな打算もあるけれど、純粋に興味がある。その話そのものにも興味があるし、その話を受けた私がどうなるのかにも興味がある。その話を受けた私がどういう状態になるのかにも興味があるし、その話を受けたことで私にどんな変化がもたらされるのかにも。静的な興味と、動的な興味かな。私はどうなっていくんだろう。これからどんな人生が訪れるんだろう。あるいは、どんな人生に向かって歩いていくつもりなんだろう。ここまでの人生を、どうやって歩いてきたのかもよく分からないけど、時々ふと、ああ私の人生は三歳で決していたんだなと思って、苦笑いしてたりします。

 

色んな誘惑があって、色んな数値的な、現実的で夢のない、魅力もある。そういうものにグーッと目を閉ざすことが大事だと思っていた時期もあるけれど、まあ生きてれば大抵目を開けているし、目が開いてたら大抵色んなものが目に入るよねっていう気に最近はなってきて、無闇にそういうものを切り捨ててしまおうとは思わなくなった。切り捨ててしまうと、きっとそれを切り捨てたという意識が強く残るから、結局それを意識し続けることになるんだよね。私は俗人なので、崇高じゃない承認欲求も持っているし、何なら多分結構強い。認められたがりで褒められたがりなのは、幼少の頃からだもんね。でも、それでいっぱいになってしまいたくないなあ、とは思うよ。世間的に「良い」とされるところで最終的には働きたいと思う。認められることでもあるし、何かかっこいいし。でも、それだけじゃなくて、やっぱり「良い」ところにはそれなりに「良い」とされる理由があって、「良い」仕事をするための環境が整ってるんだなと、殻にひびが入った程度の卵は生意気にも思っているのです。

 

書くことが好きだから、今のゼミに入ろうと思いました。読むことと書くことが好きじゃないとこの仕事は出来ないよと、陽気なあの先生は陽気に言い放ちました。サボり魔ではあるけれど、やっぱり今でも読むことと書くことが好きです。中学時代の通知表を見つけたので通信欄を読んでみると、「感受性が人一倍強くて、それに振り回されることもある」「パワーが外ではなく内に向くタイプ」と書かれていました(当時の担任には大変お世話になって、めちゃくちゃ迷惑をかけたので、無事に成人してそれとなく暮らせていることを知らせたいものです)。今ようやく、自分の感受性を飼い慣らして、活かして、読んで、書いて、っていう方向に人生を進ませることが出来るようになってきました。だから、向いてないって思ったことはないの。サボり魔っていうのはまあ、致命傷なんだけどさあ。しがみついていきたいよね、きっと、自分の足が歩いてきてくれたところだから。

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知った話を知らないように受け止める言い訳

10月がもう終わりそうで怖いね。で、このブログは何年目なんだっけ。書く頻度が落ちて久しいけれど、何だか10月は特に書かないイメージがあるわ。学期再開時期だったり、学会があったり、そういうことで忙しいからなのかな。言うほど忙しくしてないんだけどな。もっと忙しくしなきゃいけないんだけど、どうにもこうにも自分が楽しいことばかりやってるから、きっと中長期的に未来の自分に凄く怒られるんだと思う。仕方ないね。そうやって生きることがあまりに多いもんね。

 

今ね、一人暮らしなの。親が転勤で海外行っちゃって、実家で一人暮らしなの。もうすぐ10日くらいになるかな。ぼちぼちね、飽きてきた。一人で生活すること自体はそんなに寂しくないんだけどさ、今のところ。元から一人でいるの好きだし、それ自体はそんなに苦じゃないんだけど、自制、自律するのが凄く面倒になってきた。最初は心配かけないようにしようとか、ちょっと夢見がちになってみたりとか、やっぱり多少張り切ってた部分があるんだなあと思う。今になってみて。そろそろ飽きてきたから、ちゃんと暮らさなきゃとかっていう思いが薄れてきた。駄目人間全開の生活が送りたい。ツイッターばっかりして、食べたいもの食べて、ごろごろしてから寝たい。実家という広い空間を与えられたニートみたいなもんになりそう。なっちゃいけない。耐えて、私。

 

いくらでも勉強する時間もあるんだけどね、なぜか自分をそっちに仕向けられない。勉強せずに何が院生だよって話だよね。しっかりしてほしいよ。最近は何だか趣味で色々書くのが楽しくて、私は相変わらず楽しいものに弱くて、駄目。自制出来ないのが相変わらずなの。才能面で自分にこの人生選択が向いていないと思ったことはほとんどないけど、性格面では本当に向いてないなと時々思う。快楽に弱すぎる。エピキュロスに多分ガンガンにやられてる。何かを。ほらそういう適当な言葉の使い方する。そういうところ、治さないといつか痛い目見るよ。

 

何だろうなあ、水溶き片栗粉で時間にとろみをつけた中を泳いでるみたいな気分なの。前に進めなくて、温度は下がらなくて、でも確実な水量は私を後ろ後ろへと押し流していく。怖いよね、時間って。後ろに押し流されていって、どんどん今に追い付けなくなっていくの。そんなことを言うなら、もっと泳げるように力をつければいいのだろうけど、どうにも自堕落でね。ツイッターやめたら?そしたら頑張る?でもそうしたら落ち込んで病んで駄目になるんじゃないかなあ、なんていう甘えごとを言いたくなっちゃってね。駄目だなあ。一週間試しにアプリ消してみたら?それで何か変わるかもしれないよ。なんというか、現代っ子だね。子じゃないか、もういい歳だわ。子じゃないわ。認めなさいよ、そして恥じなさいよ、あなたはただのスマホ依存症よ。

 

考えてみればそんなに不思議なことではないよね。だって、それこそこのブログを始めた中学生の頃の私、いつもパソコン依存症だって親に叱られてたもの。それが、持ち運べる小さな小さなパソコンを手に入れたってことでしょ。そりゃあ、駄目になるわ。私を時間的に拘束するものがあまり多くなくなったのも一因かもしれないね。長時間シフトのバイトとか、今はもうないもん。電車とか移動時間とかなら見られるから、意識を吸いこまれてしまう。自分でひどいなと思うのが、パソコンでツイッター開いてて、全然タイムラインが流れないとき、携帯でも開いてチェックしてしまうの。同じものだっつの。ひどいよね。改善しないとって思うんだけど、どうやってやめたらいいんだろう。通信容量めちゃくちゃ小さくする?それは多分、現実的じゃないよね。

 

質問は怖いね。何も知らないという事実からいつだって目を逸らしていたい。駄目人間だ。知らないことを潰さなければいけないのに、何でそれがある事実から目を背けるの。そういう人間なんだろうな。いつからそうなんだろう、覚えていないくらい昔からなのか、それとも割と最近身につけてしまった性格なのかな。分からないや。明日ゴミの日だな、早く寝ないとな。ほら、そういう言い訳を見つけるのだけは得意なんだから。駄目よ、ちゃんとやることある程度やってから寝るのよ。優先順位を守らなかった罪を、ちゃんと償いなさい。引き換えに寿命を明け渡しているような気がするけど、それはあなたが悪いんだからね。

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忘れられない桜の季節の話

I was about to shutdown my PC but then stopped because I'm not going to be able to go to sleep in this condition so I'm going to let myself write as I like in any language I want, in any that's comfortable for me. It's kinda like self-therapy so I'm not going to care about grammar much...maybe some because I don't want to find tons of mistakes afterwards.

 

And I know that I can't write much in English. 日本語のほうが色々書けるよそりゃ。でも今は英語。My thoughts' occupied by? with? English and I know exactly why this is happening. I'm reading a book out of neccessity...though it is an enjoyable book so far, very educational, by which I mean not as a student but as a person, a human being. I didn't think I could still read an English book, not a juvenile one, so fast. Maybe not as fast as I have, maybe not any faster than the average, maybe not even reaching it, but at least much faster than I thought. But then, same with Japanese books too, it's taking control over me, not letting me do anything else but to think about the contents. It's something about death, and all of a sudden I'm forced to think back with my 別れ with my beloved grandmother 10 years ago.

 

She asked me,というのは頼む、懇願するという感じなんだけど、to remember her, to not forget her. A word like a curse, she didn't have to say that at all because how could I forget her anyways? But then she must have had to say that out loud, she must have had to hear herself saying that with her own voice, to see me reacting to that utterance. I don't remember how I reacted, did I cry? Did I get angry? I don't remember at all, the shock was big enough for a 16-year-old. I wonder if I was good to her in the end, oh, how I wish so.

 

I remember myself making a 人形 of my brother and I out of フェルト looking into a book given by her. It's not really us of course, but I found a boy and girl figure and chose フェルト that will match our skin color (we're quite different in that sense). I don't remember how she reacted when I gave it to her...or did I ever give it to her? I mean, it was hers, I did make it and she was given it, but was it I who handed it to her? Maybe my mother or aunt. I remember whichever lady saying that my grandmother always 挨拶する to the dolls put in sight from her bed. It was 嬉しいこと、for I wanted to stay close to her and was happy to know that she, in a critical situation, still wished us around her.

 

One thing I cannot forget, and probably in a positive sense, is that she chose to take her grandchildren with her to...heaven, or whereever she has gone after death. I didn't know this decision until after she died. When we were preparing her 棺、my aunt (or was it my mother?) told me that my grandma wished to take us with her, to have the dolls put inside the 棺 so that she won't be alone. I can still cry when I remember this moment. She, of course, can't and won't take our lives, but she still wanted us, after death, even after she "disappeared" from this world. Did it comfort her any? Did it relieve her from any loneliness or fear? I do hope so, I truly do hope so.

 

mmm, I didn't mean to write this when I started writing this, but well, I have. It must have been something I wanted to write so bad. I feel a little bit comforted now, so that maybe I could start thinking about going to bed. I still got lots to do left, lots to plan for, plenty of homework for tomorrow (metaphorically), but oh well. Let me rest. I know I need rest both mentally and physically.

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どこにも実体のない私たちの行き場は

今でこそVRがあるけれど、幼い私が感じていた世界観はちょうどそんな感じで、どこにも実体のない私は何らかの形で視覚情報、聴覚情報、触角情報などなど、現実に自分の周囲を構成していると思われるものの情報を与えられていて、それを現実だと信じ込んで生きているのだと考えていた。歩いている感覚は歩いているという「事実」に結び付くものなのか。本当に私は私として生きているのか。そんなことを、随分と幼いときから考えていた覚えがある。生きにくいはずだね、と友人は言う。その通りだよ。生きてるのか何なのか分からないもの。自分が人間の形状をしているという証拠は?そもそも人間の形状とは?私の視野に映る眠る母は本当に母であるのか?彼女の見ている私が、私の見ている私と全く違っていないという保証は?私たちが皆、任意の長さのある情報帯に放り込まれているだけであって、それ以上でもそれ以下でもないとすれば?そんなことを考える幼子だった。可愛いとは言い難い。

 

そんなことばかり考えていると、依拠出来るものがなくなる。強いて言うなら、この情報を感じている自分自身は何らかの形で必ず存在する、なんていう有名な哲学者めいた言葉に行きつくくらい。高校時代の友人は私にソクラテスというあだ名をつけたけれど、まあ、案外悪くないあだ名だったのかもしれない。このあだ名はメタファー?メトニミー?そういうことは覚えられないんだけど。

 

依拠出来るもののない世界は、とっても不安定で、とっても自由である。何にも縋れなくて、何かこれを信じようというものがなくて、それは今の私にとっても足下から地面が消えていくような感覚でとても怖いのだから、きっと幼い私にとってはもっと怖かったんじゃないかしら。でも、この不安定さは恐怖でもあり、自由でもあった。どれだけ嫌なことがあっても、それは現実と「認識しているもの」に過ぎないのであって、本当に本当の現実(なんてものがあるとして)とは限らないのだ。だから、やり過ごせばいい。痛みだって、痛覚情報なだけであって、本当に痛みというものが何なのかすら分からなくて、何がそれをもたらしているかだって誰にも確かなことは言えない。体の痛みだって、心の痛みだって。どれもこれも、ゴーグルを外してしまえば消えてしまう仮初の現実だとすれば、何も怖いことはない。そんな板挟みの中で私は育ってきた。

 

この世界観の中で生きていると、何も確かなものとして感じられなくなって、少しばかり冷めた感覚になってしまうことがある。もちろん、いついかなる時もそんなつもりで生きているわけではないから、きちんと情熱を持って生きていることも多々あるのだけど、この気分に陥っているときはどうにもこうにも、真剣になれない。だって、真剣になる対象物が本当に存在するか分からないのにどうやって真剣になればいい?そんなこと出来たほうがきっと頭おかしいと思うの。いつもではないけれど、時々陥ってしまう状況。全てが実体を失う。どこに向かって何を発したらいいか分からなくなる。だから、全部いつか消えてしまう幻だと思って見る。それくらいがちょうどよくなる。何かを、誰かを愛するように刺激を与えられている自分がどうやら存在するらしい。そのことだけは分かるけれど。

 

はあ。夜中だね。明日は学校に行かないとね。友人と話して、何だかとっても辛い気持ちになった。色々と整理され、色々な可能性が提示され、それに対する私の反応の一例(あくまでも一例に過ぎないだろうとは思う)が明確になり、とっても辛い。誰かを傷付けながら生きることが好きなわけではない。私自身だって、可能であれば傷付きたくない。自分の言葉を自分自身がいつだって一番信じているわけではない。私の言葉が誰かを切り裂きながら自分自身に突き刺さって抜けなくなることは、何度でも経験してきたけれど、とっても痛い。これも全て、実体のない幻であってくれたら、とっても気が楽なのだけどなあ。

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内緒ごとには嘘が付き物

こんばんは。寝たほうがいいと思っている、夜です。明日は私にしたらそこそこ早い時間に家を出なければいけないし、社交場だし。それでも、何となく落ち着かない気分なので言葉を書きます。文章を書きます。そうしたら安心して眠れるかもしれないから。

 

じゃーん、と言われて見たその車は、思ったよりもずっと可愛いものだった。色だって、イメージしてきたものとは随分違った。時間が過ぎれば人の趣味や好みは変わる、とは本人の言葉。それを自ら示すかのように、嬉しそうにその人は深夜にたった一台残った車を見せていた。

 

内緒、って、何だろう。当たり前のように折っていた指をぐいと戻すように、あの人は私を選んで、彼女を切り捨てた。そこにはきっとその人なりの論理があるのだろう。何か言っていたけれど、私には理解できなかった。理解しようとしなかったのかもしれない。そこにあったのは、内緒ごと。当事者以外の全てを共犯者にしながら、私は口元に指を一本寄せた。内緒?と聞いたら、どんな顔をしていたっけな。もうそこには何もないはずなのに、動揺していてその表情を覚えていない。

 

もうそこには何もないはずなのに、色んなことを考えた。他に誰も走っていない道をぼんやりと眺めながら、芳香剤の香りに浸されながら、とりとめのないことを話しながら、色んなことを考えた。今まで誰がここに座ってきたのだろう。特別な人がここに座ったことはあるのだろうか。特別って何だろう。いわゆる「特別な存在」は未だにいないと言うけれど、それをどこまで信じていいのだろうか。左耳にだけつけていた二重螺旋のようなピアスをここに落として行ったら、誰か困ってくれるのだろうか。そんな安い女のようなことをしたら後悔するだろうと思ったけれど、そんなことを思案している段階ですでに後悔は始まっていた。結局、疲れた顔をした私が家の鏡の前でそのピアスを外した。そんなどうしようもないことをして、ようやく解けてきた警戒をまた買ってしまうわけにはいかない。

 

ここまで、その人の言葉を信じるとすれば、世界で誰よりも私がその人に魅力を覚えてきたことになる。の、かな。その確証はないけれど、それを否定する証拠もまたない。私のものになって、と思う時期はもう過ぎた。時々、過去があまりにも強い力で私を呼び戻そうとするときはくらりと来てしまうけれど、それを別とすれば、もうその関係を望むことはない。ただ、別例(なんていう言い方を昔の私が許すわけがないのだけど)が示すように、死神の鎌をひと振るいしてもらえれば、悲しみもするけれど、幾分楽にもなれる。それなりに呪縛のもつ力は強いから、私だけの力では解ききれない。どうか断ち切って、と願うのに、全然そうしてくれないから、何だか腹が立ってしまう。

 

あるいは、早く仲間がほしいのかもしれない。このままでは私は一人ぼっちでその人の魅力を抱え込まなければいけない。実際に語り合うことはなくても、その良さを分かってくれる人が地球上にもう一人くらい欲しい。そうでなければ、私が全部背負いこんで、愛していかなくてはならないじゃないか。誰に頼まれているわけでもない、ただのエゴだけど、あの人は愛されて然るべき人だから、誰も愛してくれないのであれば、私が愛さなければいけない。早く誰か気付いてほしい。誰か私に賛同してほしい。あの人は、とっても素敵な人だから。

 

別に今更どうとかこうとか、言う気はない。本当だよ。あの人の前で自分の恋人の話をするのは少々複雑ではあったけれど、それだけのこと。突然何かをすることもない。念のために身構えたけれど、何を言われることもない。どんどん知っている道に入っていく。寂しい。でも、それだけ。

 

これ以上この話は続かない。だって、本当にそれだけのことだから。未来も無い、現在も無い、過去も無い、時間軸の上にぽつりと浮かぶ一点なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。ただ一つの記録として、書き留めておきたかった。書き留めることで成仏させられるというと、結局留めているのか何なのか分からない表現になってしまうけれど、そういう動機です。

 

最近、ツイッターのオタ垢で「賢い人」と評してもらえることがあるのだけれど、どうしてなんだろうね。ずっと「可愛い」「尊い」「無理」「死ぬ」としか言ってないのに。確かに、世間的に見て大馬鹿というほどのことはないだろうけど、そこでは随分脳みその足りないことしか言ってないはずなんだけどな。色んな物事の見方をしていると言われたけれど、正面から見るわけにはいかなかった時代が私を育ててくれたのかなあ。だとしたら、あの不自然な花の香りも、何らかの意味を持つのだろうな。

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