忘れ物をしたよ 昨日に
それを明日 探しに行くよ
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忘れられない桜の季節の話

I was about to shutdown my PC but then stopped because I'm not going to be able to go to sleep in this condition so I'm going to let myself write as I like in any language I want, in any that's comfortable for me. It's kinda like self-therapy so I'm not going to care about grammar much...maybe some because I don't want to find tons of mistakes afterwards.

 

And I know that I can't write much in English. 日本語のほうが色々書けるよそりゃ。でも今は英語。My thoughts' occupied by? with? English and I know exactly why this is happening. I'm reading a book out of neccessity...though it is an enjoyable book so far, very educational, by which I mean not as a student but as a person, a human being. I didn't think I could still read an English book, not a juvenile one, so fast. Maybe not as fast as I have, maybe not any faster than the average, maybe not even reaching it, but at least much faster than I thought. But then, same with Japanese books too, it's taking control over me, not letting me do anything else but to think about the contents. It's something about death, and all of a sudden I'm forced to think back with my 別れ with my beloved grandmother 10 years ago.

 

She asked me,というのは頼む、懇願するという感じなんだけど、to remember her, to not forget her. A word like a curse, she didn't have to say that at all because how could I forget her anyways? But then she must have had to say that out loud, she must have had to hear herself saying that with her own voice, to see me reacting to that utterance. I don't remember how I reacted, did I cry? Did I get angry? I don't remember at all, the shock was big enough for a 16-year-old. I wonder if I was good to her in the end, oh, how I wish so.

 

I remember myself making a 人形 of my brother and I out of フェルト looking into a book given by her. It's not really us of course, but I found a boy and girl figure and chose フェルト that will match our skin color (we're quite different in that sense). I don't remember how she reacted when I gave it to her...or did I ever give it to her? I mean, it was hers, I did make it and she was given it, but was it I who handed it to her? Maybe my mother or aunt. I remember whichever lady saying that my grandmother always 挨拶する to the dolls put in sight from her bed. It was 嬉しいこと、for I wanted to stay close to her and was happy to know that she, in a critical situation, still wished us around her.

 

One thing I cannot forget, and probably in a positive sense, is that she chose to take her grandchildren with her to...heaven, or whereever she has gone after death. I didn't know this decision until after she died. When we were preparing her 棺、my aunt (or was it my mother?) told me that my grandma wished to take us with her, to have the dolls put inside the 棺 so that she won't be alone. I can still cry when I remember this moment. She, of course, can't and won't take our lives, but she still wanted us, after death, even after she "disappeared" from this world. Did it comfort her any? Did it relieve her from any loneliness or fear? I do hope so, I truly do hope so.

 

mmm, I didn't mean to write this when I started writing this, but well, I have. It must have been something I wanted to write so bad. I feel a little bit comforted now, so that maybe I could start thinking about going to bed. I still got lots to do left, lots to plan for, plenty of homework for tomorrow (metaphorically), but oh well. Let me rest. I know I need rest both mentally and physically.

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どこにも実体のない私たちの行き場は

今でこそVRがあるけれど、幼い私が感じていた世界観はちょうどそんな感じで、どこにも実体のない私は何らかの形で視覚情報、聴覚情報、触角情報などなど、現実に自分の周囲を構成していると思われるものの情報を与えられていて、それを現実だと信じ込んで生きているのだと考えていた。歩いている感覚は歩いているという「事実」に結び付くものなのか。本当に私は私として生きているのか。そんなことを、随分と幼いときから考えていた覚えがある。生きにくいはずだね、と友人は言う。その通りだよ。生きてるのか何なのか分からないもの。自分が人間の形状をしているという証拠は?そもそも人間の形状とは?私の視野に映る眠る母は本当に母であるのか?彼女の見ている私が、私の見ている私と全く違っていないという保証は?私たちが皆、任意の長さのある情報帯に放り込まれているだけであって、それ以上でもそれ以下でもないとすれば?そんなことを考える幼子だった。可愛いとは言い難い。

 

そんなことばかり考えていると、依拠出来るものがなくなる。強いて言うなら、この情報を感じている自分自身は何らかの形で必ず存在する、なんていう有名な哲学者めいた言葉に行きつくくらい。高校時代の友人は私にソクラテスというあだ名をつけたけれど、まあ、案外悪くないあだ名だったのかもしれない。このあだ名はメタファー?メトニミー?そういうことは覚えられないんだけど。

 

依拠出来るもののない世界は、とっても不安定で、とっても自由である。何にも縋れなくて、何かこれを信じようというものがなくて、それは今の私にとっても足下から地面が消えていくような感覚でとても怖いのだから、きっと幼い私にとってはもっと怖かったんじゃないかしら。でも、この不安定さは恐怖でもあり、自由でもあった。どれだけ嫌なことがあっても、それは現実と「認識しているもの」に過ぎないのであって、本当に本当の現実(なんてものがあるとして)とは限らないのだ。だから、やり過ごせばいい。痛みだって、痛覚情報なだけであって、本当に痛みというものが何なのかすら分からなくて、何がそれをもたらしているかだって誰にも確かなことは言えない。体の痛みだって、心の痛みだって。どれもこれも、ゴーグルを外してしまえば消えてしまう仮初の現実だとすれば、何も怖いことはない。そんな板挟みの中で私は育ってきた。

 

この世界観の中で生きていると、何も確かなものとして感じられなくなって、少しばかり冷めた感覚になってしまうことがある。もちろん、いついかなる時もそんなつもりで生きているわけではないから、きちんと情熱を持って生きていることも多々あるのだけど、この気分に陥っているときはどうにもこうにも、真剣になれない。だって、真剣になる対象物が本当に存在するか分からないのにどうやって真剣になればいい?そんなこと出来たほうがきっと頭おかしいと思うの。いつもではないけれど、時々陥ってしまう状況。全てが実体を失う。どこに向かって何を発したらいいか分からなくなる。だから、全部いつか消えてしまう幻だと思って見る。それくらいがちょうどよくなる。何かを、誰かを愛するように刺激を与えられている自分がどうやら存在するらしい。そのことだけは分かるけれど。

 

はあ。夜中だね。明日は学校に行かないとね。友人と話して、何だかとっても辛い気持ちになった。色々と整理され、色々な可能性が提示され、それに対する私の反応の一例(あくまでも一例に過ぎないだろうとは思う)が明確になり、とっても辛い。誰かを傷付けながら生きることが好きなわけではない。私自身だって、可能であれば傷付きたくない。自分の言葉を自分自身がいつだって一番信じているわけではない。私の言葉が誰かを切り裂きながら自分自身に突き刺さって抜けなくなることは、何度でも経験してきたけれど、とっても痛い。これも全て、実体のない幻であってくれたら、とっても気が楽なのだけどなあ。

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内緒ごとには嘘が付き物

こんばんは。寝たほうがいいと思っている、夜です。明日は私にしたらそこそこ早い時間に家を出なければいけないし、社交場だし。それでも、何となく落ち着かない気分なので言葉を書きます。文章を書きます。そうしたら安心して眠れるかもしれないから。

 

じゃーん、と言われて見たその車は、思ったよりもずっと可愛いものだった。色だって、イメージしてきたものとは随分違った。時間が過ぎれば人の趣味や好みは変わる、とは本人の言葉。それを自ら示すかのように、嬉しそうにその人は深夜にたった一台残った車を見せていた。

 

内緒、って、何だろう。当たり前のように折っていた指をぐいと戻すように、あの人は私を選んで、彼女を切り捨てた。そこにはきっとその人なりの論理があるのだろう。何か言っていたけれど、私には理解できなかった。理解しようとしなかったのかもしれない。そこにあったのは、内緒ごと。当事者以外の全てを共犯者にしながら、私は口元に指を一本寄せた。内緒?と聞いたら、どんな顔をしていたっけな。もうそこには何もないはずなのに、動揺していてその表情を覚えていない。

 

もうそこには何もないはずなのに、色んなことを考えた。他に誰も走っていない道をぼんやりと眺めながら、芳香剤の香りに浸されながら、とりとめのないことを話しながら、色んなことを考えた。今まで誰がここに座ってきたのだろう。特別な人がここに座ったことはあるのだろうか。特別って何だろう。いわゆる「特別な存在」は未だにいないと言うけれど、それをどこまで信じていいのだろうか。左耳にだけつけていた二重螺旋のようなピアスをここに落として行ったら、誰か困ってくれるのだろうか。そんな安い女のようなことをしたら後悔するだろうと思ったけれど、そんなことを思案している段階ですでに後悔は始まっていた。結局、疲れた顔をした私が家の鏡の前でそのピアスを外した。そんなどうしようもないことをして、ようやく解けてきた警戒をまた買ってしまうわけにはいかない。

 

ここまで、その人の言葉を信じるとすれば、世界で誰よりも私がその人に魅力を覚えてきたことになる。の、かな。その確証はないけれど、それを否定する証拠もまたない。私のものになって、と思う時期はもう過ぎた。時々、過去があまりにも強い力で私を呼び戻そうとするときはくらりと来てしまうけれど、それを別とすれば、もうその関係を望むことはない。ただ、別例(なんていう言い方を昔の私が許すわけがないのだけど)が示すように、死神の鎌をひと振るいしてもらえれば、悲しみもするけれど、幾分楽にもなれる。それなりに呪縛のもつ力は強いから、私だけの力では解ききれない。どうか断ち切って、と願うのに、全然そうしてくれないから、何だか腹が立ってしまう。

 

あるいは、早く仲間がほしいのかもしれない。このままでは私は一人ぼっちでその人の魅力を抱え込まなければいけない。実際に語り合うことはなくても、その良さを分かってくれる人が地球上にもう一人くらい欲しい。そうでなければ、私が全部背負いこんで、愛していかなくてはならないじゃないか。誰に頼まれているわけでもない、ただのエゴだけど、あの人は愛されて然るべき人だから、誰も愛してくれないのであれば、私が愛さなければいけない。早く誰か気付いてほしい。誰か私に賛同してほしい。あの人は、とっても素敵な人だから。

 

別に今更どうとかこうとか、言う気はない。本当だよ。あの人の前で自分の恋人の話をするのは少々複雑ではあったけれど、それだけのこと。突然何かをすることもない。念のために身構えたけれど、何を言われることもない。どんどん知っている道に入っていく。寂しい。でも、それだけ。

 

これ以上この話は続かない。だって、本当にそれだけのことだから。未来も無い、現在も無い、過去も無い、時間軸の上にぽつりと浮かぶ一点なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。ただ一つの記録として、書き留めておきたかった。書き留めることで成仏させられるというと、結局留めているのか何なのか分からない表現になってしまうけれど、そういう動機です。

 

最近、ツイッターのオタ垢で「賢い人」と評してもらえることがあるのだけれど、どうしてなんだろうね。ずっと「可愛い」「尊い」「無理」「死ぬ」としか言ってないのに。確かに、世間的に見て大馬鹿というほどのことはないだろうけど、そこでは随分脳みその足りないことしか言ってないはずなんだけどな。色んな物事の見方をしていると言われたけれど、正面から見るわけにはいかなかった時代が私を育ててくれたのかなあ。だとしたら、あの不自然な花の香りも、何らかの意味を持つのだろうな。

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夜半、怖い時間はもう来ない

レポートを書かなければいけなくてパソコンを開いたので、せっかくだしこちらも相手にしよう。というか、レポートが進まなくなっちゃったから休憩。頭が回らないんだよお。

 

昔、もうそこそこ昔と言ってもいい年数が経過したけれど、昔の私は午前3時がとても怖かった。なぜかその時間に起きていると、とっても消え去りたくなっていた。2時頃になると焦りが顔を覗かせる。ということは、そろそろ不安になってくる時間帯だったわけだ。何もかもが静まり返って、まだ何も動き出していない、無の時間。すとんと穴に嵌まって誰にも気付かれなくなるような、そんな気持ちに怯えてしまう時間。それが昔の私にとっての午前3時だった。

 

だけど今の私にとっての午前3時は、前日の27時に過ぎない。終わらない前日の続き。何もかもが静まり返った時間ではなくて、音のない喧騒が止まない騒々しい時間。怯えている暇があれば、早く前日を終わらせることに全力を尽くさなければならない時間。時間がどこまでも追いかけてくるから、追い付かなければいけない。私と時間のどちらが前を走っていて、どちらが後を追っているのかさっぱり分からないけれど、とりあえず騒々しい時間になってしまった。怖くはない。いや、ある意味怖いけれど、昔感じていたような沁み渡る恐怖心はなくなった。

 

その代わり、と言ってはなんだけど、今の私は日中の時間帯を怖がることが増えたように思う。具体的な時間は分からないし、きっと起きて活動している時間だからこそあんまり特定するべきではないと思う。必ずしも起きているとは限らないし大抵の場合は一人で過ごしている午前3時と違って、日中の時間はかなりの確率で起きているし、誰かといたり、どこかプライベートではない空間にいたりするから、毎日毎日怯えていたら社会生活がまともに送れなくなってしまう。だから厳密に何時かは分からないけれど、今の私は日中のどこかの時間帯が怖い。もしかしたら、かつての私が恐怖心混じりの孤独を午前3時に押しつけていたのと同じように、今の私も何かしらの切迫した感情の責任をどこか日の高い時間帯になすりつけようとしているのかもしれない。あんまり活動的な時間は勘弁してくれよと思うけれど、きっと今の私は活動的な時間だからこそ怯えるのだろう。何だろうなあ。深追いするとよくないような気もする。

 

眠たいけれど、レポートを書きあげずに眠るわけにはいかない。もっと自分を大事にしないといつか後悔するよ、と、自分に言い聞かせる自分もいるのだけど、それなら自分を大事にする前にもっと自分に厳しくならないといけないから、難しいものだなと思います。頑張ろうね私。午後26時、今日はどこまで今日であり続けるのだろう。

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暑い涙目のあの日を今でもたまに思い出す

生きてますよ。お久しぶりです。書こうと思うことは時々あるけれど、やっぱりなかなか書けない。パソコンの前に座ることも何故か減って、言葉をたらたらと書くことが本当に少なくなった。携帯で書くことだってもちろん出来るし、今もそうしているんだけど、何となく感情を整理しにくいし、単純に携帯が古くなってきたせいで動作が悪い。パソコンも最近は動作おかしくなってきて、デバイスの更新を迫られている感じがする。


携帯に関しては、予測変換が出るのがあまり好きではない。日常においては便利だし、言葉を書くという意味ではTwitterやLINEを使う上では大層活用しているんだけど、こういう場で一文字一文字考えたいときには、先回りされているようで、少し不気味な気持ちになる。あと、後々の予測変換として残られるのも、あんまり好きじゃないな。


動作が不安定で、打ち損じが多くて、これを書くのにとても苦労している。頼むから思考のスピードについてきてほしい。打ち込む(とはもう言わないのかな、スワイプの)速度は速い自覚があるけれど、それに文字化がついていってない。


今年はとても体調が悪い。薬を貰わないとやっていけなくて、きっと学部二回生の頃に匹敵する。高校時代とまではいかないかもしれないけど、一番ひどかった時期(一ヶ月ほど前)は当時といい勝負をしたと思う。なんでだろうなあ。要因は思いつくような、思いつかないような。今は自分の機嫌をとるために、可愛いピルケースを探しています。バラバラにせずにバファリンも入るようなケースって意外とあんまりないのよね。ピルケースという名のアクセサリーケースみたいなのが多くて、間の仕切りが邪魔なんだ。


もっとたくさん書きたい気はしているんだけど、これ以上は打ち込むフラストレーションが溜まりすぎる。またパソコンを開いて、きちんと書こう。整理したい感情はたくさんあるの。早くそうしてあげたほうが、きっと身体にもいいな。

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全てから長い時間が経った

いい子に見えていい子じゃない、

いい子でいるのは性に合わない

でも悪い子になりたいわけでもない

いつまでだって宙ぶらりんでいたい

 

寂しいわけでもなくて

きっとどちらかと言えば幸せで

あの子が聞いたらきっと怒るけど

そんな私にしかなれなかった

 

貴方がいなくちゃ私なんて

所詮こんなもんなんだよと

責任転嫁をしたくなる

とんだ言い掛かりだ

 

自分で自分を知っているから

全ての行動に納得がいって

自分で自分が分からないから

全ての行動が理解出来ない

 

大事なものを大事にしたい

それだけで生きたいつもりなのにな

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こうして区分を覚えていくの

逆なら凄く嫌だろうという気持ちはある。そういうの、良くないやろっていう気持ちもある。

仕返しっていう気持ちもあるし、気にすんなよって気持ちもある。


仕方ないじゃんとか、言ったんだから許してよとか、色々と頭を巡る。本当に悪気というか悪い企みが一切ないらこそ。

こういう気持ちだったのかなあ、当時。

そうでもないのかなあ。

わからないや、あんまりしたことのない冒険だから。


それさえ気にしなければ楽しみなんだけどなあ。

許してくれるといいなあ。

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確かに貴方とあの子の音は形が違ったの

大抵の人には音の形は見えないということを、この歳になって知りました。どんな音でもってわけじゃないけど、結構色んな音を形とか感触として認識してたから、他の人はそうじゃないってことを、本当に先週くらい、ごく最近知りました。共感覚っていうやつじゃない?って友達に教えてもらった。調べてみたら、しっくりくる事項がいくつか。味も動きとか形が分かるんだよね。味の説明とか音の説明が伝わらないなあ、とはずっと思ってた。感知の仕方がちょっと違ったんだ。残念ながら音を色で見てるわけでも、音程を見分けられるわけでもないから、音感には繋がらなかったけど。だから吹奏楽時代に、そんなに活かせていたわけでもないんだけど。

 

コミュ力がない、人見知りだ、という友達からよく羨ましがられる程に、私は初対面の人とも話せるし、そういう面ではほとんど物怖じしない。人と交流することがめちゃくちゃ好きとは言い難いけど(人間嫌いだし)、でも人見知りとは縁遠いところで生きてきた。小さいときから。それはこれまで私を支えてきた一つの特長だと思う。今、狭い、コネ(人脈と言いなさい、と母には言われた)がモノを言う世界に生きていると余計に感じる。昔に比べて感情を顔に声に出すのも上手くなってきた。そうしたら、上の先生方が可愛がってくれて、中堅どころの先生方にも紹介して下さるから、人脈が広がっていく。ありがたい話。

 

ただ、そういうことを繰り返していると、だんだん自信がなくなっていく。私は媚びへつらってるだけのしょーもないガキになってないだろうか。中身のない、外面だけの馬鹿になってないだろうか。地位が欲しくて、名誉が欲しくて、成りあがりたくて、それだけでごまをするような人間になってないだろうか。それが怖くなってくる。そんなことはないよ、と、あくまでも良い研究者になりたいだけなんだ、と。面白いことが思いつくようになりたい、面白いことが思いついたら共有したい。その気持ちをどこかに置き去りにしてるんじゃないか、なんて不安になる。私はそんな奴じゃない、そんな奴らと一緒にしないで、と首をぶんぶん左右に振りたくなるけれど、でも、でも、本当にそうなの?と聞かれたら、自信がなくなってしまう。

 

たまたま私の指導教官が業界トップクラスの人だっただけ。私の先生と仲がいい方も、そりゃ最上位の方だっただけ。たまたまそういう方に好かれる性格だっただけ。たまたま知らない方とも話せるだけで、失礼無く明るい表情をする方法を身につけてきただけ。たまたま表舞台に立つことが嫌いじゃなかっただけ。たまたま論文を書くことも好きだっただけ。たまたま思いついたらすぐに誰かに言いたくなるタイプだっただけ。本当に、全てが偶然なんだよと言い訳したくなる。私が媚びて媚びて手に入れたものなんかじゃないよ、偶然にも環境にひどく恵まれていただけなのと言いたいの。何でそんなことになったのって言われたって、仕方ないじゃないって。

 

中身が伴うようになれば気にしなくてもいいことなんだけどね。中身が伴っている自信がつけば、こんなしょーもない心配なんてしなくてもいいんだろうけどね。全然出来ないのに、出来る子のように扱ってもらえて、出来る子のように売りだしてもらって、それがだんだん普通になっていって…とても怖いの。本当は。こんなに贅沢な悩み、人にはそうそう言えない。ありがたい話をもらうたびに、嬉しいとともに心が重くなる。育てばいいんだろうけど、なかなか力がついてる感覚が湧かない。

 

今年もこんな時期になったんだなあ。環境がころころと変わる。またお話ししたいなあ。私をそっと肯定してくれる、五月晴れの日差しに会いたい。

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遠くの山までよく見える日和

気を付けないと気が狂ってしまうんじゃないかと思うこともあるのだけど、ここで無理してでも頑張ってこそ手に入るものがあるはず、とも思う。力加減が難しくて、下手。休憩するのも頑張るのも、下手。難しい。


価値観の問題なんだと、随分先輩にあたる先生は仰った。先生の話にふんふんと相槌は打ったけれど、きっと私は先生が忌避されるタイプの人間だ。なんで女に生まれちゃったんだろうなあ。そう思うことは昔から時々あったけど、だんだんそれが社会的なコンテクストで感じられるようになってきた。よくある分類で言えば、セックスではなくてジェンダーとして、なんで女に生まれたんだろう、って。別に肉体としての女には馴染みもあるし、そんなに嫌だとは思わないけれど、社会の一員として女性であることを求められるのは相変わらず好きじゃない。


そうだな、そういうことも考え始めると、殊更時間がない。あると言えばあるだろうし、どこまでも引き伸ばすことだって出来る。でも、引き伸ばすことを求めないなら、引き伸ばすことを嫌がるのであれば、それはつまり時間がないということ。


しんどいなあ。生活リズムが狂ってしまっているからなあ。太陽光を浴びて、歩いて、人間らしい生活を送るしかないなあ。


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指先がついつい震えてしまうの弱虫は

不甲斐ないなあ、腑抜けてる場合じゃないなあ。思わず落ち込んでしまうくらい、打たれ弱いんだよなあ。頑張らないといけないなあ。頑張ってなくて成果が出るわけがないんだよ。そりゃそうだよ。それでも、どこか自分の能力を過信しちゃうんだよな。上手く出来ないものをどれもこれも誤魔化してきたわけだけど、もう誤魔化せない土俵まで辿りついたんだ。それを分かってないわけではなかったけれど、本当の意味では理解できていなかったんだろう。しっかりしなね、私。不甲斐ない、情けない。しっかりね。

 

褒められることが多かった。それは私の人生の大部分を占める記憶。だけど、それはどこか「○○なのに」というのが付きまとっていたのかもしれない。一人前として扱われるようになると、逆説的だけど、一人前じゃないことがばれるんだよね。はあ。元気出して頑張らないとって思うよ。でも、へこたれてる。へこたれ慣れてない。歯食いしばって立たなきゃって思うのに、膝が震えてしまう。

 

優しいことを言われたい。甘いことを言われたい。甘い言葉を真実だと思いこんでいたい。そうやって自分の中の自惚れを育ててきたけど、ここで芽を摘まなくちゃ。しっかりと摘んで、そこにきちんと育つものを植えなくちゃ。情けないなあ。言葉は私の武器だと思っていたのに、それを指摘されたからっていうのもあるんだろうなあ。怖いんだろうなあ。

 

とりあえず、こうやって年度が始まっていくんだものね。踏ん張っていこう。謙虚に、謙虚に。

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