忘れ物をしたよ 昨日に
それを明日 探しに行くよ
| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK |
| CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
結局のところ日溜まりのような

声色。

私には思い出せないのです、貴方の優しい声色。いやそれどころか、貴方のいた世界はまるで無音で、打たれる手、動く口、全てが未完成のまま完結しているのです。ただそうして曖昧な記憶しか残さない私の頭にも、貴方の温かい声色の存在はしっかりと残っている。それだけは、それだけが、紛れもない事実として私を支えています。

どうも出来損ないの記憶たちは、骨組みを与えてやれば再生しない事もないらしく、誰かのくれた言葉に合わせて自分の口をはくはくと動かせば、声も甦ることがあります。そうして再会出来る、懐かしく愛しい人の笑い声と私の名を呼ぶ声も確かにあるのです。しかし、貴方の声は、どうやらそうも行かないらしい。あれだけ音に囲まれた世界に一緒にいたというのに、私の脳細胞は肝心の音声コードを繋ぐのを忘れていたようです。貴方の笑う顔は驚くほど正確に覚えているのに、その笑う声は聞こえない。

しかし何より重要なのは、声自体では無く、その声が存在した事実と、それを実現させた某かの存在なのです。貴方が驚くほど穏やかな声色で私の横で話していた、あの柔らかな午前の事を私はしっかりと覚えています。ええ、それはそれはしっかりと。貴方の紡いだ言葉を記憶から引っ張り出してそれを自分の口で唱えても、もう一人の大切な人の声のように重なって聞こえてはこないのですが、それでもあの時の奇跡のような優しさにはもう一度出会えたような気になれます。ゆったりと斜め後ろから太陽が照らしていました。まだ春とは言えない季節、あの頃。柔らかに笑う貴方の顔。声は聞こえない、けれども。

あるいはあの時の、苦笑いしながら打ってくれた手。何度やっても上手く出来ない私のために、自分の事すら投げ出して、横で何度も打ってくれた手。結局最後まで上手に出来ることは無かったのですが、あれは私にとって、誰にも渡すことの無い誰にも共有させてやることの無い、大切な記憶なのです。酔う程音にまみれていたはずの光景、自分の発する音、周囲の発する音、貴方が打つ手。それなのに何も聞こえない記憶の中、貴方はひたすら私にヒントをくれるのです。時に酷く笑いながら(もちろんそれにも音は無いのですが)、私を強くしようとしてくれました。未だに思い返せば、見つかる、優しい記憶。

とある雨の日、これは本当に音の無い声だったけれども、花を指さして去っていった貴方の声、それは温い雨に溶けていきました。口を動かす事すら無く、ただ心の中で貴方が呟いただろう言葉は真っ直ぐ私に聞こえてきたのです。四文字を音にして、後は、ほらあの時の、とでも言うような顔をして笑って、全てを私に悟らせた。今でもあの優しい黄色を見かける季節になると嬉しくなる自分が確かにいます。これは私の頭が忘れ物をしたのではなくて本当に音の無い記憶。ああ、それでもやはり雨の降る音は消えてしまっていますけれども。それでも貴方の内なる声が、私の頭へ優しく響くのです。皆が走っていく狭い通路、私を呼び止めて起きた目の会話、次の瞬間には私達も反対方向へ走っていましたが、優しい貴方の声。

何故いつだって思い出せる貴方の声は優しいのでしょう。私の記憶がそう変えてしまうのか、それとも元より優しかったのか。いつも貴方の新しい声を欲しいと思っています。どうせ音は消えてしまうのでしょう、ならば、忘れられない光景と共に。

SS(ショートストーリー) comments(0) -
スポンサーサイト
- - -
Comment








<< NEW | TOP | OLD>>