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- 2024.01.22 Monday
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大抵の人には音の形は見えないということを、この歳になって知りました。どんな音でもってわけじゃないけど、結構色んな音を形とか感触として認識してたから、他の人はそうじゃないってことを、本当に先週くらい、ごく最近知りました。共感覚っていうやつじゃない?って友達に教えてもらった。調べてみたら、しっくりくる事項がいくつか。味も動きとか形が分かるんだよね。味の説明とか音の説明が伝わらないなあ、とはずっと思ってた。感知の仕方がちょっと違ったんだ。残念ながら音を色で見てるわけでも、音程を見分けられるわけでもないから、音感には繋がらなかったけど。だから吹奏楽時代に、そんなに活かせていたわけでもないんだけど。
コミュ力がない、人見知りだ、という友達からよく羨ましがられる程に、私は初対面の人とも話せるし、そういう面ではほとんど物怖じしない。人と交流することがめちゃくちゃ好きとは言い難いけど(人間嫌いだし)、でも人見知りとは縁遠いところで生きてきた。小さいときから。それはこれまで私を支えてきた一つの特長だと思う。今、狭い、コネ(人脈と言いなさい、と母には言われた)がモノを言う世界に生きていると余計に感じる。昔に比べて感情を顔に声に出すのも上手くなってきた。そうしたら、上の先生方が可愛がってくれて、中堅どころの先生方にも紹介して下さるから、人脈が広がっていく。ありがたい話。
ただ、そういうことを繰り返していると、だんだん自信がなくなっていく。私は媚びへつらってるだけのしょーもないガキになってないだろうか。中身のない、外面だけの馬鹿になってないだろうか。地位が欲しくて、名誉が欲しくて、成りあがりたくて、それだけでごまをするような人間になってないだろうか。それが怖くなってくる。そんなことはないよ、と、あくまでも良い研究者になりたいだけなんだ、と。面白いことが思いつくようになりたい、面白いことが思いついたら共有したい。その気持ちをどこかに置き去りにしてるんじゃないか、なんて不安になる。私はそんな奴じゃない、そんな奴らと一緒にしないで、と首をぶんぶん左右に振りたくなるけれど、でも、でも、本当にそうなの?と聞かれたら、自信がなくなってしまう。
たまたま私の指導教官が業界トップクラスの人だっただけ。私の先生と仲がいい方も、そりゃ最上位の方だっただけ。たまたまそういう方に好かれる性格だっただけ。たまたま知らない方とも話せるだけで、失礼無く明るい表情をする方法を身につけてきただけ。たまたま表舞台に立つことが嫌いじゃなかっただけ。たまたま論文を書くことも好きだっただけ。たまたま思いついたらすぐに誰かに言いたくなるタイプだっただけ。本当に、全てが偶然なんだよと言い訳したくなる。私が媚びて媚びて手に入れたものなんかじゃないよ、偶然にも環境にひどく恵まれていただけなのと言いたいの。何でそんなことになったのって言われたって、仕方ないじゃないって。
中身が伴うようになれば気にしなくてもいいことなんだけどね。中身が伴っている自信がつけば、こんなしょーもない心配なんてしなくてもいいんだろうけどね。全然出来ないのに、出来る子のように扱ってもらえて、出来る子のように売りだしてもらって、それがだんだん普通になっていって…とても怖いの。本当は。こんなに贅沢な悩み、人にはそうそう言えない。ありがたい話をもらうたびに、嬉しいとともに心が重くなる。育てばいいんだろうけど、なかなか力がついてる感覚が湧かない。
今年もこんな時期になったんだなあ。環境がころころと変わる。またお話ししたいなあ。私をそっと肯定してくれる、五月晴れの日差しに会いたい。