忘れ物をしたよ 昨日に
それを明日 探しに行くよ
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風に巻き上げられてどこか遠くへ

最近、ほんとうにここ数日、大きな変化がいっぱい何の前触れも無しに転がりこんできている。いっぱいって言っても、二つか。いっぱいじゃないな。数量的には全然いっぱいじゃないけど、精神的にはいっぱいなの。大きな話だから。……うーん、実はそんなに大きな話でもないのかな。違うのかもしれない。でも、まあ何せ、私の精神にはいっぱいの話なの。どっちもほぼ同質の話で、どっちも良い話。

 

よくある、鬱になるタイミングの話っていうのによると、別に悪いことが起きたときだけがそのリスキーなタイミングではなくて、入学とか、結婚とか、昇進とか、何かしら良い方向への変化があった時もそのリスクが高まるらしい。それに首を傾げる人もきっと少なくないのだろうけど(何と言いましょうか、あんまり鬱にならなさそうな人中心にね)、私、なんとなくは分かるな。良いことだって凄くストレスだもん。現状維持って凄く安心するじゃない、例えその現状が少々閉塞感のある、完璧に幸せとは言えない状況でも。なんとなく、昨日と同じように今日が過ぎて、今日と同じように明日も過ぎるんだと思うと安心しない?私は凄くそういう状態に安心感を覚えるタイプなので、良い方向への変化であっても変化は変化で、言い知れぬ恐怖を感じている。

 

この話に乗らない手はないの。そこには色んな打算もあるけれど、純粋に興味がある。その話そのものにも興味があるし、その話を受けた私がどうなるのかにも興味がある。その話を受けた私がどういう状態になるのかにも興味があるし、その話を受けたことで私にどんな変化がもたらされるのかにも。静的な興味と、動的な興味かな。私はどうなっていくんだろう。これからどんな人生が訪れるんだろう。あるいは、どんな人生に向かって歩いていくつもりなんだろう。ここまでの人生を、どうやって歩いてきたのかもよく分からないけど、時々ふと、ああ私の人生は三歳で決していたんだなと思って、苦笑いしてたりします。

 

色んな誘惑があって、色んな数値的な、現実的で夢のない、魅力もある。そういうものにグーッと目を閉ざすことが大事だと思っていた時期もあるけれど、まあ生きてれば大抵目を開けているし、目が開いてたら大抵色んなものが目に入るよねっていう気に最近はなってきて、無闇にそういうものを切り捨ててしまおうとは思わなくなった。切り捨ててしまうと、きっとそれを切り捨てたという意識が強く残るから、結局それを意識し続けることになるんだよね。私は俗人なので、崇高じゃない承認欲求も持っているし、何なら多分結構強い。認められたがりで褒められたがりなのは、幼少の頃からだもんね。でも、それでいっぱいになってしまいたくないなあ、とは思うよ。世間的に「良い」とされるところで最終的には働きたいと思う。認められることでもあるし、何かかっこいいし。でも、それだけじゃなくて、やっぱり「良い」ところにはそれなりに「良い」とされる理由があって、「良い」仕事をするための環境が整ってるんだなと、殻にひびが入った程度の卵は生意気にも思っているのです。

 

書くことが好きだから、今のゼミに入ろうと思いました。読むことと書くことが好きじゃないとこの仕事は出来ないよと、陽気なあの先生は陽気に言い放ちました。サボり魔ではあるけれど、やっぱり今でも読むことと書くことが好きです。中学時代の通知表を見つけたので通信欄を読んでみると、「感受性が人一倍強くて、それに振り回されることもある」「パワーが外ではなく内に向くタイプ」と書かれていました(当時の担任には大変お世話になって、めちゃくちゃ迷惑をかけたので、無事に成人してそれとなく暮らせていることを知らせたいものです)。今ようやく、自分の感受性を飼い慣らして、活かして、読んで、書いて、っていう方向に人生を進ませることが出来るようになってきました。だから、向いてないって思ったことはないの。サボり魔っていうのはまあ、致命傷なんだけどさあ。しがみついていきたいよね、きっと、自分の足が歩いてきてくれたところだから。

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