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    話し声を掻き消すスピーカーをちょうだい

    • 2017.12.30 Saturday
    • 04:28

    たくさん泣いた夜だったと思う、久しぶりに。泣いて過ごす夜は元から少なくないけれど、人前で泣くということは久しくしていなかった。昔よりも泣くことに対してずっと冷静になった。昔はぐっと感情の波に飲み込まれて、泣いているときはどう足掻いても会話なんて出来なくて、溺れていくように沈んでいくように、息をすることで精いっぱいになっていたのにね。今でも、たまにはそういうこともあるけれど、でもどちらかというと涙腺と呼吸器が別で動くようになったというか、声帯が呼吸器側の指示を守るようになったというか、涙が出ているという状態とそれ以外の行動を切り離すことも出来るようになったと思う。

     

    昔の私は、こんな夜のことを何と呼んだだろう。きっとたくさん取繕った、飾った、気取った、守りに走った、そんな表現を駆使して書き表しただろう。今の私はそういった表現に守られる必要が随分と減ったから、あの頃のような文章が書けない。それはいいことかもしれない。惜しいな、と思うこともあるけれど、きっとあの頃よりずっと色んな事が手に負えるようになっている。

     

    そんな私にとっても、これはちょっと、言葉を選びながら書きたいことかもしれない。手に負えない、とは思わない。だけど、結構しんどかった。ずっとずっと、某読書家さんと重ねてきたお茶会のおかげで小出しに言語化していたおかげで何とかなったけれど、そうでなければきっと一度に突き付けられた現実に押しつぶされてしまっていたと思う。彼女の言うことは必ずしも正解ばかりではないし、私が彼女に言うことも必ずしも本心を全部捉えているものではないとは常々感じているけれど、それはそこで発された言葉たちが嘘だということではなくて、多面体の一部を切り取っていて、それに対して彼女のような考え方を出来る人が当てた光はそう反射するよ、というだけのこと。あれがなければあの夜も、この夜も越えられていないだろうから、感謝しなければね。

     

    久しぶりに自分に対して本気で分析をかける羽目になっている。そんなことをしている場合では無いし、なんでこんなタイミングで……という気持ちもあるけれど、逆にこのタイミングでなければ私はこればかりを分析してどこか深みにはまっていってしまっただろうからよかったのかもしれない。何年も前に自分自身に課した戦法。一枚ずつ皮を剥いでいって、最後に残ったものを探す行為。とっても痛くて、辛くて、でもそれをしなければ肝心な問題に辿りつけないから。結局、私は、そして私たちは、そうした上辺の言い訳を盾にして向き合わずにきたわけだから。向こうがどうするのかは分からないけれど、私は私側の分析を担当しなければいけないし、そうする上での手法はそりゃ、自己流になるよね。

     

    昨夜の自分の発言を振り返っても思うけれど、どうしても人間ってぽんと変わるものではなくて、もう片手で足りないほどの時間がこうして過ぎたというのに根本的な部分で自分が向いている方向は変わっていないんですよね。それを頭では分かっていたはずなのに、いざこうして本気で向き合ってみると本当に大きいんだなと思いました。私の人生の最初のブロックを構築した(時に破壊したりヒビを入れたりもした)考え方は、そこから前に進んでいたとしても変わらず存在している。こうなってしまったこと、こうあってしまったことを不幸だとは思わないように努力しているけれど、こんなのを身近に持ってしまった人に対しては不幸だ、可哀想に、騙されている、と思う癖が治らない。騙しているわけではないんだけど、何と言えばいいのか、こんなのを掴んでしまったばっかりに話がややこしくなっているね、ごめんね、という気持ちはいつまで経っても消えない。存在してしまったという罪なんだよなあ、だから自分の存在を消すことでしか解消されようがない。そりゃ自殺するよねみんな。分かるよ、気持ちは。

     

    でもそこが主たる問題ではないんだと思った。それは要因の一つであって、でもそれを反駁する考えも発生源を同じにしながら存在している。色んなことを考えてみて、ふと行きついて、呼吸が出来なくなるかと思った事実なんだけど、私、自分が幸せになりたいって思ったことがそんなにない。この事実に気付いたとき、ぶわっと悲しくなって、もうとっくに慣れてコントロールだって出来るはずの過呼吸が収まらなくなった。自分がどうしたいのか分からないという問題そのものには気付いていたんだけど、根本原因としてそもそも私、幸せになりたいっていう考えが欠如している。それは部分的には仕方がないんだけど、悲しいものだね。色んな問題をやり過ごして上手く暮らしていきたい、くらいの願望はあるんだけど、もっと「幸せ」になりたいという概念がなかった。そもそも幸せって何かよく分からない。あまりにも漠然とした概念的な話で、いくらなんでもこの時間帯にすらすら書けるようなことではない。でも、それがきっと大きな問題で、この問題にも影響しているんだと思ったことを、明日以降の自分の為に書き残しておいてあげたかった。もう一回過呼吸やるのもしんどいし。

     

    難しいなあ、生きるのって楽じゃない。嘘とか、良い人ぶってとか、そういうのじゃないレベルでさ、幸せにしたい、幸せになってほしいと思ってたわけ。それだけが宙に浮いた形で存在していて、そこに自分自身の存在を上手く埋め込んでなかったの。自分が幸せになりたいという発想がなかったし。でももし、幸せになっていいのだとすれば、幸せって何かよく分からないし恐ろしいけどもしそれを追い求めてもいいのだとすれば、きっとそっちの方が幸せだよね。その方向で物事を考えていった方がいいんじゃないかと、少なくともこの午前四時半の私は思うよ。お布団にそろそろ入ろうね、しなくちゃいけないことを丸投げにしているのは悪い癖だし、その最たるものは睡眠だよ。寝て、頭を使える状態にして、明日を迎えてください。おやすみなさい。

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