やっと“羊飼い”の続きを書き始めました・・・きっと書き終わる前に死んでしまう・・終わりが見えない・・。
暗くない小説が書けません。国語の課題で書いたぶんが精一杯です・・それも実際現代文に直してるだけのような・・・。明るくすると文がエロくなります。・・・・汚点?
羊飼いはあんまりエロくするつもりはないから、必然的(?)に暗くなります・・・はぁ。
詩は色っぽく出来ないんだけどなぁ・・もうちょっとそこんとこの色気が欲しい。(さすがに詩に情事を入れるほどの度胸はないらしい)
あんまり日常で面白いことがない、っていうわけでもないんだけど、書けること言えることがすっごく少ないんだよね。それは説明した時にわかりにくいからという物もあるんだけど・・真剣にプライバシーが関わる物もあるから(笑)精神的プライバシーの侵害を自分からする気はないからなぁ・・・
こう、・・・んー・・・例えば恋愛事情をものすごく軽く言える人と、全然言えない人っているじゃん?あたしは後者だけどさ。そういう意味合いで、精神的プライバシーって、きっとあるよね。侵害されると物理的な侵害よりも辛い、と思うんだけどね。
あ、そういえば、今日社会の授業で先生の発言について語ろうと思ってたんだ。あのね、「差別の反対語は“無差別”だ」っていう発言があったの。それがものすごく「ずしん!」って来てさ、心に。なんだよ、お前等は逆の意味でも惨いのかよ、って。そう考えていくとだんだん何もかもが惨く感じてくるんだよね・・・。
戦争は惨いと思う人、心の中で挙手して下さい。次に、“平和が惨い”と思う人、挙手して下さい。二回とも手を挙げていた人はいますか?あんまりいるとは思わないんだけど。
戦争は破壊の仕合だ、惨いのは確かだと思う。でもそれは一種の自己主張でもある、という考えに基づいて平和について考えてみよう。平和というのは争いが無い状態なんだけど、ある意味で“争いを封じ込められている状態”でもあると思う。異見がある人は、絶対多数決の中に葬られるのだ。
自己主張が許されない、その結果鬱憤は溜まる・・・そしてまた破壊が起ころうとする・・・戦争と平和って、逆じゃなくて仲間なんじゃないか・・?誕生があるから破壊がある、そして破壊があるから再生がある。どちらも互いの上に乗っかって共存しているのかもしれない。
考え方の違いだよね、結局何もかも。
みんな違って みんな良い ?