もし私が、この世界で誰か一人を幸せに出来たとするなら、その誰かは誰なんだろう?
ずっと護りたいと思っていたあいつかな。生きてきた中で誰よりも友達だと言い張れるあの子かな。あたしを変えてくれたあの人なのか、上手いこと行かない時に方向転換してくれるあいつなのか、思わず弱音を吐けるくらい安心できるあの馬鹿なのか。アホ面して寝てる弟なのか、憎くて仕方ないけれどあたしを産んだ母か、いつだって無限大の慈しみを与えてくれた亡き祖母か。非常電源の位置を教えてくれた元担任か、いつだって応援してくれたあの人か、忘れられない温もりをもったあの方か。
こんなに、適当に挙げただけでもたくさんいるのに、誰か一人を選ぶなんて、現実的に可能なんだろうか。きっと無理だと思う、というかあたしには無理だ。
だから神様は私にそんな愉快で奇怪な能力を与えなかった。誰かの極楽を他の誰かが保証することは出来ないんだ。それはきっと神様にも。だから私は生温く、誰かの幸せを喰いながら、誰かに幸せを喰われながら、それでも共存と孤独の狭間で生きている。集団に属した個体にしか、私はなれない。
例えば、私は嫉妬して、あの子の不在を願うけれど、でもいなければそれはそれで不足になる。人生はいつだってシーソーゲームで、足りなければ浮くけれど欲張れば沈んでしまう。浮くのが嫌なら足せば良い、沈みたくないなら減らし削れば良い、だけどその調整が出来るのは相手と意志が完全に噛み合った時だけで、そんな相手がこの世界に存在しているなら、私はきっとその鏡の向こう側の彼女を、誰よりも幸せに出来るんだと思う。
あんたと笑ってる瞬間が楽しいよ。
その瞬間を奪われるのが怖い、奪う人が憎い。
そう、そう想いながら、色んな人に想いながら、生きてきた。
私がいなくなった時に、誰か報せてあげてください。
遠い遠い世界で私の存在的不在を忘れないで居てくれる人に。
私という名の無にちゃんと居場所を与えてくれる有に。
それが無ければ、その保証がなければ、私はどうしてこの世に身を委ねる事が出来ましょう?
その保証が出来たときには、私は違う人間として、改めて明日を見つめますね。