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- 2024.01.22 Monday
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なんか私の脳みそオワタ\(^O^)/
ここでは色々書けないが、これだけは言っておく。宮崎洗脳完了。
書こうと思うことはたくさんあったんだけどねえ、なんとなく書く気力が無かったんだ。ってかねえ、うん、ぼんやり生きてるぜ。冒頭に書いておりますとおり宮崎の脳みそはあんまり機能してございません。
私かなり噛み癖があるんだけど(どこの犬)、今日気がついたら携帯噛んでたんだ。これネタじゃないんだぜ。本気でどこの犬。口に何かあるとものすごい安心するわけなんですよ。延々アイスの棒かじってるし、ストローも噛んじゃう。よくないのはわかってる(こないだ友達にも「それ汚くない?」って言われたところなんだけども…)。さすがに爪は耐えてるんだけど、その代わりに携帯噛んでた。ありえない。爪を噛んではいないものの、口に含んでるくらいまではよくやってるかなあ。ペットボトルも噛む。固いもののほうが噛み甲斐があって好き。何でなんだ?
なんかさ、爪噛みとかって精神的な問題から来ることあるじゃん?私の噛み癖って、(まあ昔もあったけど)顕著になったのここ数年なんだよね。どうしたらよいのでしょうかねえ。なんか噛みたい・・・私本当にどこの犬なんだ。
部活やってたころは、楽器を口につけてても自然だったから(そりゃそうだ)、そのまま無駄にぼけーっとしてたこともあるんだけどね。リードを口に含んだままうろちょろしたり。多分だけどね、私がもしうっかり喫煙始めちゃったら超歩き煙草してるよ。喘息もちが喫煙するとか馬鹿極まりないことする気ないけど。
あー口が寂しい・・・
行間読まずにあんたの相手できる奴いるなら逆に尊敬するけどな。あたしにはそんなんまるで無理だっつの。
何か最近絶望的な気分によくなる。多分ものすごい疲れてるんだろうな。あたしのパターンとしてさ、疲れるとホームと線路の距離がすごく短く感じるようになるの。ぴょんって落ちても普通にホームから顔出るんじゃねえかなーって気分になる。実際降りたことはないからわかんないんだけどね。死がそっと手招きしてるように感じる。えっと、それは身体的に問題があるわけじゃなくて、心が折れそうになるという意味でね。
なんで今って感じなんやけど、ユーミンの「春よ、来い」聴いてる。高校時代に頭を戻す・・・・ノスタルジアなのか?私最近よく「ノスタルジー」とか言うてる気がするなあ。最近上手に泣かない私でも泣けそうになる。あー・・・あかんな・・・
あれはあいつが最後に私に残していった衝撃だったの。何となくね、3年で築き上げた関係が一瞬崩れたような気もした。もしあれがあいつの本音を少しでも反映しているものだったんだったら、私は涙なみだで溶けてしまいそうだ。どう考えても周りはうるさいままだったんだけど、世界の全ての鼓動が刹那死んでいたような気分だった。あれを引き寄せたら私の心臓がきっと気付かれた。私たちは抱き合うには弱すぎた。宙を彷徨う私の両腕は、幾度も貴方を抱きしめようとした、幾度も貴方を傷つけようとした、幾度も貴方に伸ばされた。貴方の両腕が私にたった一度でも伸びると、願い続けた日々だったんだ。貴方が今後一瞬でも知る瞬間が来るか否か、それは私にはわからない。ただ確かに、私は貴方を愛していたのよ。
・・・・上を書いてから一時間くらい経ってますが記事の続き。
えーっとね、そうそう、絶望感。試験とかどうでも良い、正直生命維持レベルで精神状態がまずい。何もしたくない。呼吸がたまに止まってるんだけど、もうそんなレベルで追い込まれてない?しかも何が私を追い込んでるんだか全くわからないんだな。辛いなー。馬鹿友達とか、あいつとかに切実に会いたい。多分試験とかがしんどくて疲れてるんだろうなあ。メールしたら嫌がられるよなあ・・・気にするなんて私らしくないよなあ・・・
歩道橋から黄昏る
、ふりをして探すの
今日の夕暮れにも貴方はいない
寂しがりなんだよ、知ってた?
Ah, I wish my sweet heart were here with me now.
あーエッセイ書き終わった後の更新はすがすがしい。フランス語聞き流しつつ意味も無く更新する24時半、みなさんどうお過ごしでしょうか。多分勉強してるかお風呂入ってるか寝てるかぐらいだろうな。
もう日付変わっちゃったなあ。今日は友達二人の誕生日。片方は大学の友達で、みかんの国から来た美人なはずの妖怪。もう片方は高校の友達で、彼女曰く私の恋人兼嫁。これを書きながら私は自分の交友関係に疑問を感じ始めたわけですが。遅いな。ちなみに(それこそ日付が変わったばかりに言うことではないけど)明日も友達の誕生日。だけどあいつ明日会うからもういいや。フライングしてやれ。
今日は昼から高校に行ってきます。部活見に行くの。というか、差し入れしに。文化祭も行ったけど楽しみだなあ。大学もとても好きなんだけど、高校も好き。正確に言うと、高校メンバーと後輩たちが大好き。テスト前だしあまり長くはいられないけど、それでもちょっとくらい会いたいね。コンクール本番はいけないからそれの埋め合わせも兼ねて、明日遊びに行ってきます。
そういえばさあ、ここって誰々が知ってるっけ?最近教えた奴らは流石に覚えてるし、牡丹ちんとかそういうオンでも近い人間は把握できてるんだけど。もし、見てるけど多分宮崎の馬鹿はそのこと忘れてるなーって思う人がいらっしゃったらちょっと教えていただきたい。自分が一体どこまで書いて大丈夫なのか最近分からなくなってきたのよwww
知っててもびっくりしないってか知らないって言われたほうがびっくりする奴ら
牡丹ちん
某カテキン
双子ちょん
うちの娘(笑)
152cmの変態
知ってるとは思うんだけど見てるかは定かでない人たち
はのさん
愛棒ちん
ぽんかん
あやーか
のっぽのアホキャラ(笑)
知って・・・覚えてる?まさか見てる?な人たち
高1で同じクラスだったあなた(笑)
我らが天使系餅
小生意気な(笑)後輩
↑経由で知ったあの女の子
その他(もしかしたら)大勢
ここに出てきてない人いたっけ・・・深夜テンションで忘れている可能性もあり。ちょっとー見てやってるんだから私の名前載せなさいよー!っていうマドモアゼルは私のことをいつでも殴ってシルヴプレ。モン・シェリのことを本気で忘れたりはしないよ。・・・うん、フランス語聞いてると気持ちいいんですよ。
そろそろ爽やかにお寝んねしてきます。疲れた。
とても嫌な仮定法ではあるんだけど、もし私が自分の気持ちを公に残すことなく死んでしまったら、誰か私の大切だった人たちにこのブログを教えてあげて欲しい。そうする意味があるように私はここに自分の喜びも悲しみも綴ってきたし、私に残った多くの傷跡はここに記録されている。小さくて不器用な私には言葉というツールはあまりにも大きいんだけどそれでも掴める範囲から一生懸命手にしている。
いきなり冒頭から重たいのは私のテンションが今よくわからない方向に動いているからです。別に何が悲しいわけでもないのにすごく絶望的な気分になってる。理由もなく泣きたい。子どもみたいに大声上げて、ではなくて、枕に顔を押し当てて声を殺しながら泣きたい。
幼い頃の私はいつも後者のような泣き方をしてきた。大声を上げて泣くのが悔しかったし、人前では泣きたくなかった。だけど、いつも誰かに気付いて欲しくて一生懸命孤独に耐えてた。普通は逆なんだけど私は大きくなってやっと大声を上げて泣きじゃくれるようになったんだ。中学、高校時代くらいはよく大泣きしてたな。日本にくる前と大学入ってからの私は同一人物だから(細かいことはあとで説明する、ただとりあえず同じなんだ)、同じようなものの感じ方してる。だから今もやっぱり寂しい泣き方をしようとしている。
海外子女時代、というか幼少期というか、今ひとつ良い名称が無いんだけど、何せ幼い私は大方幸せだった。学校も友達も楽しかったし、対して悩むような恋もしてなかったし。ちょっと友達と喧嘩したらそれは不幸だったけど、でもそれも知れてる範囲だ。ただ、当時の私を酷く苛ました問題が一つだけある。家族だ。特に母親との関係は本当に悪かった。母親は当時も今も私を愛してくれていると主張する。別にそれを否定する気はない。だけどどれだけ必死に言葉さえわからない世界で生きていても、母が私を褒めることはあまり無かった。現地の子どもたちに勝っても、テストで満点とっても、先生に褒められても、私はそれを拾ってもらえなかった。一方、当時引っ込み思案で苦労していた弟は何でも援助されていたしすぐに褒められていた。私は大きな愛の差を感じていたし、小学校低学年の段階で自分がこの家にいる意味がわからなくなっていた。自分がいなかったほうが親は家族は幸せだったんじゃないかなと思っていた。ちなみに日本にいたおばあちゃんは私のことを手放しで愛してくれた、だからおばあちゃんは私がいて嬉しがってくれていたと思っていた。まあともかく、私は親の愛情をあまり受け取れずに育ってきてしまった。それは親に対する不信感と同時に、自分自信の愛情享受の下手さに関する絶望を生んでしまった。
中学高校時代はここのブログに書いているので大体説明できる。逆にここに書いていないようなことはかなり人を選ばないといえないことだから、今は言う気はない。とりあえずこの頃は恋愛に学校に人間関係に苛まされて、常に(というと本当に中1から高3まで)死が頭にちらついていた。家族のことは影に隠れていて、ごくまれに表に出てきて私を苦しめた。ただしメインではなかったんだ。
大学。第一志望に入り、友達にも恵まれ環境にも恵まれている。今現在は特に恋愛もしていないし、よくある人生を送っていると思う。私は海外子女時代の自分と中高時代の自分を区別して取り扱っているんだけど(それはあまりの性格の差や考え方の違い、恋愛から泣き方から何までもがあまりに違っていたから。そして中高時代の私はまるで別人のように海外子女当時の私に会いたがっていたから。)、今はあの幼い私を取り戻している。再統合というか、幸せで元気だった時代の私に戻っている。もちろんあの致命的な問題も一緒に。さすがにもう大人だから褒めてもらえないだけでぼろぼろ泣いたりはしないんだけど、それでも未だに大きな傷として酷い痛み方をする。母親は、私に大きな傷を残した。それを修復しようと母娘ともに頑張っているんだけど、どうしても上手くいってない部分はあるんだよね。
おばあちゃんが死んだとき、私は大泣きした。私を確かに愛してくれていた人が、そして同じように私も愛していた人が、一人傍からいなくなってしまったと感じたからだ(きっとどこかで見守ってくれているとは思うんだけどね)。同時に、娘である私の母親と伯母も号泣して体調まで崩す勢いだった。大切で偉大な母親だったおばあちゃんだったから。悲しみながらしかし、私はふと冷静になって考えたんだ、自分の母が病気になったりいつか死んでしまったりしたとき、私はこうなるんだろうか、と。大切だし、嫌いなのではない(どちらかというと大好きだからこそいちいち傷つく)。だけど、まさか全く何も感じないわけは無いんだけど、あんなに悲しめるんだろうかと思う。きっとそれはこれが仮定法であるという幸せにおける感情であるというのはさすがに分かっている。実際そんなことになったら完全に取り乱すだろう。でもそんなことを二年前の私はふと感じた。
中高時代に感じた強烈な死の誘惑は今はほとんどない。いいことなんだろうけど、でも不思議でもある。もしあの強いものをどこかで無意識に抑圧しているなら、寧ろ小出しで痛んだほうがいいような気もする。だって、万が一抑圧されていていきなり解放されたら、私は間違いなく突然死んでしまう。あの頃のものすごい感覚は、今でこそ生々しく襲ってきたりはしないけれど、忘れてはいない。殺される、他でもない自分に、今にも殺されてしまいそう、そんな風に感じていた。だからこそ必死にわざと傷ついてた。悲しみを漏らさないと大変なことになる自覚があったから。あの頃を経て幼い私に戻った今の私は、死にたいと思うことはない。だけどやはり、死が持っている本質的な快楽がいつであれ最大の関心事だ。
こういうことを書いておきたかった。そうしたら、家族もここを見れば私の心の移り変わりがわかる。大切に思っていた人たちへの想いだってここには残されている。もちろん全く全てというわけにはいかないけれど、それでも多くのことを知ることができる。万が一、億が一でも良い、私がさっさと消えてしまったら、どうか誰かここを晒して。それまでは秘密にしていて欲しいけれど、もう何の批判も意見も聞けなくなったときには私の存在した証を持っていてほしい。誰に託すわけでもないけど、何となくそういうことを書かないといけないような気になることがある。例えば今とか。