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- 2024.01.22 Monday
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幸せは積み重ならないけど不幸は重なる。そう思う自分が悪いのかも知れないけれど。
唐突すぎてダメージを食らう余裕すらないのだけど。
私の第三の祖母が亡くなったらしい。もちろんというか、父母合わせて二人しかいない私にとって、本来第三の祖母と呼べる人は存在しないはずなんだけど。つまり、正確に言うとその人は母親の姉(私から見た伯母)の義母にあたる。母親の姉の夫の母親。そう言ってみて結構遠いということを初めて感じた。でも、第三の祖母と呼べるくらい近く感じていた存在だった。
私の祖母のうち一人は二年前の春に桜とともに亡くなった。もう一人は所在不明。消息不明。父方に当たるんだけど、縁が切れちゃってる。だから、第三の祖母は、ある意味私にとったら第二の祖母ともいえるような存在でもあった。そういうともう十年近く会っていない神野のおばあちゃんが可哀想で、どうしても適切じゃないような気がするからしないけれど。
元気だったんだけどな。人の命は唐突に終わったりする。夜に外に洗濯物を干しに行ってそのまま倒れてしまったらしい。おじいちゃん(つまり第三の祖父ということになる人物だけど)が一生懸命探したんだって。昔ながらの広い農家だから、倒れていたおばあちゃんを見つけるまで結構時間はかかった。脳出血じゃないかなって。うちの母親がすごいショック受けてた。寒かったやろうな、可哀想や、って言ってる。思うことは色々あったけど、悲しくて悲しくて、それを言葉で書けば「でも」とか「だけど」か追いかけてくるから、私はそれをここに書くことは出来ない。
いつも我が家にお米くれてたの。しばらく経つと伯母経由でまだお米あるか聞いてくれた。冬のお餅つきにいつも呼んでくれて、私たち兄弟はおばあちゃんの横でつきたてのお餅を丸めてた。私の本当のおばあちゃんが亡くなったときもの凄く悲しんでいた。小さいけどふんわり笑う力強くて優しい人だった。もちろん実の祖母のことは大好きに違いないけれど、このおばあちゃんだってとっても好きだった。悲しい。
明日お通夜で、明後日が告別式。明日は授業が終わったらすぐに帰る、そうしたらお通夜でお別れは出来る。本当は両方出たいけれど、授業があるから仕方ない。ごめんね。家計図とかで見るとそこまで近くないから忌引きはもちろん適用されない。近い存在だったけれど。
桜も紅葉も、
散ってしまいます
だーから、
幸せの後には不幸があるって言ったろ?
うーん、
感情が整理できない
多分ここに書くべきじゃない
だけどここしか当てにできない
何だろう、
表向きの私の本音と
裏側の私の本音
どっちも建前ではない、
だから余計に質が悪い
何を真っ先に思ったか?
多分両方だよ
違う人だったならば
違う反応をしただろう
優しくなんかなれないけど
ただ冷酷にもなりきれない
私の抱え込む話じゃない
ばっと突き放したい
でもそれをすると困る奴もいる
私は他人じゃない、私だから
自分で自分の自由を
かなり削ってしまっているんだと
こういうときに実感する私は
きっと人間として最低だ
だって、
私にも私の事情があるよ
楽しいことを楽しく書くのは非常に下手な私です。
しかしまあ京都は自由だ。
方向音痴を二人組み合わせると方向音痴の二乗になる。誰でも出来る計算であります。ぶらり旅という名の迷い旅。無計画は最早計画性の極み。ガイドブックと案内板は我が救世主。あんなに濃密な一日を過ごしたのはいつぶりだろう。ただし中身はすっからかん。あ、財布もすっからかん。金曜16時に行くと決めて次の朝9時半に家を出ているという。勢いとノリとなけなしの体力。生きたな。
というわけで、某氏と京都へ行ってまいりました。某氏って某変態ね。あれれ。いやあ、気持ち悪いノリだったな・・・(笑)。気持ち悪く生きることに関しては特技です。これでいいのだ。あれっ。えっとね(私本当に実際あったことを書くの下手だな)、まあわけわからんくらい楽しかった!未だに足痛いよ。そう、まさかの二万歩も歩いたんだ。私が!この私が!二万歩!(笑)中学の友達はまだしも、高校や大学の友達には唖然とされそうなその数字。私のどこにそんな体力があったんでしょうかねえ。テンションか。斜め上のテンションのせいか。
まだ今のところ例の「ずどーん」は来ていません(何ちゅう表現)。「ずどーん」って、あの、テンションの急落のことですよ。珍しくまだ来ておりませぬ。というか案外上がってなかったのか?悪い意味じゃないんだけど。何だろうね。ああ、中身がすっからかんだからか?・・・まあとにかく。これはかなり嬉しいことです。私の情緒不安定も上向きなんでしょうかね。そういうことにしとこうか。
問題がひとつ。金欠です。明後日クラスで焼肉・・・。とりあえずそれ以降はお金使わないでおこう。文法書代貰ったっけな。勉強しているようでしていない日々です。思うように生きるぜ。今の私は無敵モード。あれ、ものすごい脱線ぶり。
ねえねえ、桜と浴衣と紅葉を制覇したいであります。
更新が急に増えてる。
ゆれるゆれるわたし。
いかんって
似ている、
同じ安心感を持つ
だからいかんのやって
似ている、
心地が良い
紛らわされるな
誰の目が一番綺麗に夕日を映す
第一印象からして
他人を仲介したわけで
優しい誰かに似ていて
だけど彼ともまた違う
考え込むな
あたしが好きな、
大好きな、
あいつじゃないんやから
会いたいのは誰
声を聞きたいのは誰
あいつやろうが
いかんくても好きなあいつやろうが
次なんか進みたくない
どう転んでも茨道
あんたのおる所で
微温湯につかりたいんよ
寒くても暑くても
あんたのおる横が好きなんよ
そう知っとるからこそ
惑うのは辛いよ
なんで一歩戻って、
それに似てるって言わなあかんの
ここ最近、私の人間としての尊厳(とか言うものが元々備わっている前提でだけど、)がかなり薄れてる気がする。今日学校を休んでぼんやりと考えていた内容はあまりの酷さ故にここには書けないけど、自分の人格を捨てちゃうようなもんだった。
小さな石を弾いたくらいでは大した被害は及ばない(せいぜい下敷きになった蟻が一匹死ぬくらいか)。石塔が倒れたらどれだけのダメージが発生するか。そういう精神で私は、生きている、なんとか生きている。60億人いる世界で私一人いなくなったところで長期的な問題は発生しないだろうけど、短期的には少しくらいあるから。例えば、プレゼンの時間配分がずれたり、ディスカッションのグループ人数が不均等になったり。あとまあ、一人くらいショックで体調崩すかもね。二ヶ月もしたら元気にやってるだろうけど。でも私なんぞのせいで少しでも世の中(ごく身近な世の中だけども)に影響するのは幾分申し訳ないから、今日も私は石を弾く。いつか賽の河原で再会できそうだ。
良いことが起きるのは怖い。いつも身構えてしまう、悲しいこと辛いことが追ってくるから。良いことに出会わないように生きたいの。ものすごく消極的な話だけど。鉛筆の後ろをずっと消しゴムが追いかけるように、何か嬉しいことがあるとすぐにマイナスが打ち消しにくる。その発想自体が悲しいし辛いけれど、でもいっそマイナススタートの方が落ちたとき痛くない。きっとポジティブな人ならば悲しみの後に来る喜びを待つのだろうけど、私がそんな発想の持ち主だったらきっとこのブログは成立していないんだろうね。
切実に、無防備なお願いをするならば、誰か助けて。誰か私の話を聞いて。そこにプラスもマイナスも見出さずに、ただぼんやりとした相槌を打ちつつ、目の前に座って、私の話を聞いて。泣くのも笑うのもなしで、話の内容を人間的に変換せずに、私が欲したときだけそこにいて。でもきっとそれはダッチワイフを抱くようなものなんだろうと思う。生命の無い、感情の無い、ただ昂ぶりを抑えるのに都合の良い部分ばかりを寄せ集めた、人型の何か。私の精神的ダッチワイフ。そいつは私がいくら悲しみを注ぎ込んでも何も産んでくれやしない。それで良い。それを求めるということは、それを持っていないということで、つまりは周りの人間をそこまで酷く扱うことなんて出来ないということなんだけど。
時間が私を連れて走る。離せと暴れても私は次の秒針に攫われていく。所詮通過点の私。永久不変のものなんてない。なのになんでこんなに怖いのか。それともだからこそ怖いのか。早く、早く、全て終わってしまえ。恐怖との戦いも、痛みとの戦いも、あるいは幸せとの戦いも。早く全部手放したいのに、私の足を縫いとめる冷静なピアノ線が冷たく光ってる。あんたは鳥じゃないから飛べないんだよ、空が繋がってるから何だって言うんだい。
自分のことを嫌いと思っている瞬間が、一番ナルシストな瞬間。いつだって脳味噌を占拠しているのは自分のことばかり。誰に会いたいのも自分のため。生きるのも死ぬのも自分のため。きっと自分のことを好きでいられたなら、誰かのことを考える余裕も生まれるんだろうな。ありがちなことだけど、でもそう思う。
人間、一番行きたい葬式は自分のだと思う。散々受け入れたくも無い別れに常識という事情で参列するのに、結局一番気になる分には決して行けない。人生は飽きるほど質問を用意してくれるのに、答えを教えてくれることはない。私を一番大事に思ってくれる人は、誰なんですか。
好かれると逃げたくなる。そういう種類の人間。
更新にまた斑が・・・。
椎名がすごく聞きたくなるということから判断するに相変わらず微妙に調子悪いんだろうな。自分の負の感情が抑えられない夜は浴室/椎名林檎をずっと聞いてる。今は能動的三分間(?)/東京事変を動画サイトでリピート中。kissmintのCMソングだね。これは借りよう。すごく好きなメロディー。コメントの中に「宇多田の書きそうなメロディー」ってあったんだけど、ということはやっぱりこういうのが好きなんだろうな。
牽制球が死球となって。ああ生きるのって難しい。
関有美子さんが好き。何回それを言ったら気が済むんだろう。でも本当に、可愛いし細いのに、決してそれだけじゃないということ。思考する頭がそこにあるということを、彼女の文章(ブログだね)を見てると感じる。人間なんだなあと。
何も求めてない。っていう嘘。
オレンジや黄色とかの明るい色が好き。緑はあらゆる色合いで好き。だけど何より闇に似た青が大好きだ。夕方が世界を夜へと渡す寸前の空の色。今日という日がまだ終わりたくないと流れる時に抵抗しているような暗さ。漆黒に似ているのに全く異なる種類の誇らしさを持った色。あの色に抱かれて死にたいと思う。さようなら世界、そして私は永遠の青になるの。
人間を繋ぎとめるには何をしたらいい?
絡めた指だって、玩具の手錠だって、きっと誓いの口付けだって、世界の終わりまでは耐えてくれない。私が伸ばした腕が大気中で融解する。どれだけ声を枯らしたって貴方に聞こえない貴方の名前。同じ羅列の中に存在していることすら喉まで心臓が飛ぶのに、繋がってしまうことはきっと自殺行為。いっそ血管から繋いで永久に輸血を続けていて欲しいよ。私の心臓は気がついたら三つ。補いあうといえば都合の良い相容れない血液型と、二重と不足(あるいは超過)の血液型。誰が最初に息絶えるんだろう。どれだけ愛しいものでも細胞は自他の境界線を知っている。
時が過ぎていることに対する恐怖。拭うことを試すことすら許されない。
私は私の中で迷子だから
きっと王子様も私なの
呼吸を止めて眠る私に
白馬から降りてキスする私
倒錯的だけど
あるいは正しいのかもしれない
Something's killing me.
さあ自分の足で生きよう
私は自分のマネキン
たった150cmの身体に閉じ篭って
たった23cmの両足で立つ
ぐらりぐらりと世界は揺らぐ
人生に吊革は無くて
後ろの闇へと去る人は
数え切れないほどいる
私の基準は私のまま
外枠がどれだけ歪んでも
内側から触れるのは
たった一人自分だけ
目を閉じて
息を吐く
意識を浮上させて、
そのまま落下する
私の生きる世界よ
こんばんはお月様
爪先立ちで踊るワルツを
貴方は見ているのかな
倒れそうになるたびに
肩を抱いてくれた貴方
目を開いて
息を吸う
幻想に別れを告げて、
神経を張りなおす
私の生きた世界よ
さようならお月様
踵を着いたその時に
貴方はここから消えるんだ
優しい冷たい指で
私を暖めてくれた貴方
My sweet dear,
Kisses good night
Bless god's light
You'll never know your words which were sent to me
You'll never know you were my will to live
The only thing you have to know
Is that I'll always be there for you
Good bye my angel,
Please kiss me good night
Until I forget my worst nightmare
Good bye my angel,
Please kiss me good bye
Until I forget everything abou you