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- 2024.01.22 Monday
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私が大晦日の夜にこういう記事を書くようになったのはあの2007年らしい。2005年は投稿記事こそあったもののただの日常的なものだったし、2006年はアンコンのあたりで一年の更新が止まっていた。当ブログ5回目の年末、3回目の振り返り記事と行きましょうか。
色々変わりましたね。かなり自由が増えた年で、だけどそれと同時に、自由というものの持つ束縛性にも気付かされた。自由であるということは本当は楽なことじゃないんだなあって思い知らされた。でもそれは悪い意味ばかりじゃないけどね。ほんの少しだけ大人になったということなのかな。
本当に言いたくて伝えたくて仕方なかった言葉を理性で飲み込んだ。ほろ苦い味だった。それでも覚えてる、あの昼から夜にかけて。小雨の降る、あの日。近寄る私に入ってきた二本の伸ばされた腕。あの感覚は離れた今でも私を締め付けるんだよ。私が今よりずっとずっと我儘になったら、明日から始まる時間の中のいつかに答えを出させて欲しい。きっと優しさの限界さえ超えてしまうだろうけど、私は私を大事にしたいんだ。
たくさんの出会いがあった年だったなあ。やっぱり大学で出会えた人が多い。馬鹿騒ぎする相手も、ちょっとしんみりした話を出来る相手も。自分が伸ばした指先の、本当に先の先のあたりがちょんと夢に触れた。引き寄せた世界に今いる。そしてそれと同時にやっと、ずっと憧れもし羨みもし懐かしく思い愛しく思い続けた「彼女」と合流した。私の妹、それとも姉かな。やっと帰ってきた私。やっと。まだ混在している感じが否めなくてよく頭の中で衝突するんだけど、それでも取り戻せたことが嬉しかった。この世界にやってきたのはそのためだと言っても過言じゃないんだから。
道はいっぱい踏み外した。お前それはさすがに、と言ってやりたいことをたくさんしたなあ・・・でもどきどきして楽しかった。自由になったんだ、どきどきしてるのは束縛されてるから。あんまり人に言えないようなこともした。きっと言ったら軽蔑されるか本気で心配かけるからね。この間どうしてもあの子に言えなかった、どんな顔されるかわからなくて、いや寧ろ想像がついたから。でもそれもすごく楽しかったの。私にとっては有益な出会いだった。あと、これは辛い方の話だけど、もう二度と帰ってこないと1年近く前に誓ったところへまた戻ってきてしまった。すごく悲しいけど、でもそれは今の私にとって必要なんだろうなと思う。次こそは、抑圧じゃなくて消滅を目指したいんだけど。
陰と陽、とでも言いましょうか。光があって影がある年だった。嬉しいこと輝かしいことの後ろ側に潜む悲しいこと暗いこと。でもそれは逆に対しても言えた。別れの裏側に出会いがあった。終わりの向こう側は始まりだった。良いことばかりではなかったし悪いことばかりでもなくて。それはどんな年でもそうだけど、でも今年はそれを顕著に感じた。それと、大好きな人たちとは別れても別れきれないんだよ。知ってたけど、もう一回知った。
来年は、もっと自由が増える。だけど、もう一度言うと、それは束縛が増えることとも言える。もっともっと大人にならなくちゃいけない。年齢的にも成人する、ついに。待ちわびてきた年でもあるし恐ろしく思ってきた年でもある。あと二時間半で手帳の向こう側のページに私は向かう。どうか良い年になりますように。どうか。
皆様今年はありがとうございました
来年もよろしくお願いします
I love you all.
Haruka M.
あーあ・・・
泣きすぎて目とか胃とかあちこち痛い。
昔から、たまに想像するの。もしかしたら妄想するって表現の方が近いかもしれないし、あるいは思い込もうとすると言った方が正確かもしれない。
英語が得意で、帰国子女で、英検とかTOEICとか受けてる女の子は私じゃない誰かなんだ、って。あれは偽者で、ずっと演じてて、もしくはなかなか覚めない夢で、本当の私は何も出来ない平凡な女の子だって。何も得意じゃないから、頭も良くなくて。良い高校にも行けず、良い大学どころか何とか大学に入った程度かもしれない。バイトをしても要領は悪いし、身体だって強くない。運動神経も別によくない。何も出来ない。そんな、いわば劣化版の私が本物なんじゃないかって。
上手く行き過ぎてるとは言いたくない。私は私なりに苦しんできた。だけど、目に見える努力をしてきたわけでもない。真面目というには足りないものがたくさんある。なのに。これは自慢じゃなくて葛藤。凄く苦しい。本当は何も出来ない私でいたかった気がすることがある。英語が出来る、というのは幸せなことなんだろうけどな。特に全国の受験生にとっては羨ましいことなんだろうけれど。
未だに覚えている、中学1年生のとき、社会の先生に何かの腹いせに「あんた英語以外に何が出来るの?」と言われたこと。私が何よりも言われたくないことだった。決して全体としても成績が悪かったわけではない。それでもどうしても英語で吊り上げてる感があって仕方なかった。何をどう頑張っても、いつだって言われるのは英語のこと。トップなら羨ましがられ妬まれ、転落すれば軽蔑され貶される。あんたは何もしなくても出来るからいいよな、って、何度言われたことか。何であんた今回1位ちゃうの、って、何度聞かれたことか。
優等生気質というのはちょっと気が引ける。だけど、結局それに近いものなんだろう。多分私は「真面目じゃない」優等生、言わば天才型を演じ続けてきた。ずうっと勉強していて、授業中はおとなしく聞いていて、予習復習宿題が完璧にこなされていて、先生受けの良いタイプでは絶対無い。勉強は今でも好きじゃないし(「学習」なら好きなんだけどね)、授業中は落書きしてたり寝てたりお喋りしてたりしたし、予習も復習も大学でやっと始めて宿題すらろくにしてこなかったし、成績だけで先生の評価を獲得してきた。このタイプの最大の難点は、自分で思うんだけど、真面目になることが許されないの。正確に言うと、自分で許せないの。怖いの。ちょっとの労力で大きな結果を得ることに慣れると、そして周りを慣らすと、大きな労力で小さな結果しか得られない事態が怖すぎるの。本気になることが怖い。本気になって何も得られなかったら、私は評価される理由を全て失う。それならば、まだ不真面目にいた方がマシだ。あと、周りに本気を見せることも許されない。何もしない程度で結果を出すことに周りが慣れてしまうと、もう本気を見せることなんて出来ない。不真面目まで演じなくちゃいけない。本来矛盾する性質同士を同時に演じ続けることは凄い負担なんだけどな。
いつか、髪をばっさり切って、赤っぽい色に染めて、ピアスをたくさん開けて、ガリガリに痩せて、何なら整形でもして、過去を断ち切ってゼロから生きてみたい。いっそ誰か知りもしない男性にでも飼われてみたい。喘息を無視して煙草吸って、刺青入れて、何も考えないセックスでもするの。誰かを思いっきり虐めるんだけど、でも誰かに思いっきり虐められるの。ドラッグとかにも手染めてるのかな。お金なんてなくてどんどん落ちぶれて、ただの汚い女になる。その結末が果たして本物の私のものか偽者の私のものかはわからない。あるいはどちらもそんなことにはならないかもしれない。酷く惨めで、「底辺」のような人生。だけど何故か凄く心引かれる私がいる。最期は誰かに刺されるのかも知れないし、自分で自分が分からなくなって死ぬのかもしれない。それでもいい、そこまで堕ちてみたい私がいる。
必要とされないことは凄く悲しいんだろうけど凄く楽なんだろうな。私じゃなくても良いって凄く気が楽だもんね。私がいなくてもいい世界、きっと今でも当たり前にそうなんだろうけど、狭い狭い範囲に限って言えば私だって多少必要とされてるだろうから。でも、あなたの仲間だからじゃなくて、友達だからじゃなくて、私だったから、って私のお葬式で泣いてくれる人は世界に何人いるだろう。きっとそういう言い方をしたら今度はほとんどゼロなんだろうな。きっとほとんどの人間たちにとっては友達が死んだとか同級生だとか仲間だとか、そういう存在でしかなくて、そのポストにいたのが私じゃなくても良かったのかもしれないな。それなら言い方を変えよう、私自身が必要とされないのは凄く悲しいんだろうけど、ポストに固定されないで生きていけたら凄く楽なんだろうなあ。
大分疲れているみたいだ。もうさすがに泣くのは止めたけれど目が相変わらず痛い。大人になるのは怖い。理性を忘れて常識とか現実とか忘れて、ただぶらりと自分の思うように動き回りたい。悪いことしてみたい。もの凄く際どい自白をすれば(きっともう時効だと思う)、昔万引きをしかけたことがあった。コンビニで、ペンだったかアイライナーだったか、何せそういう形状のものを袖に突っ込んで、店の出口を眺めてそのまましばらく店内をうろうろした。結局、恐怖心というより何かに対する諦めを感じながら棚に戻したんだけど。どうしてもその何かが欲しかったわけでは無かったし、本当に欲しかったらそれに使うお金くらいはあったはずだ。万引きをしてみたかっただけなんだと思う。多分半分は捕まりたくなかっただろうけど、半分は捕まえて欲しかったんだろう。親とか先生とかに悪い奴として思われたかったのかもしれない。イメージを崩したかったのかもしれない。ただそれを実行する勇気すら私には無かった。多分高校のときだろうな。もういい加減大人になり始めて良い頃だろうにね。
この記事はこのまま投稿しても大丈夫なんだろうか。オブラートをどこかに溶かしてしまったような、割と思うままに書いた言葉たち。もう最初の方に何があったかよく思い出せない。頭が痛い。ナイーブなのに馬鹿大胆な内容。私を大切に思う人ほどこれに傷つくのかな。それとも一定ラインの向こうの人たちは今更驚きもしないのかな。何が辛いかってある意味これ以上正直になれないほどあるがままだということだね。
幻滅するのは不確かな幻なんて抱くからだよ
私は何かしら手段を見つけてきて
自分を過去から解放しようとする
過去にも未来にも苦しめられて
何だか安いサンドウィッチの具みたい
パサパサしたパンに挟まれた生の私
切り離そうとしたってそれは無理
だってさもなくば私は今何歳?
忘れようとしても付きまとう
痛い過去も見えぬ未来も
郵便局での単純作業が楽しい理由の一つは
一切英語が絡んでこないこと
気が楽なんだよね
私じゃなくても出来ること
代替可能な私であること
圧迫感が無くて安心する
英語は決して嫌いじゃないけれど
私にとっては重圧の象徴でもある
たまに妄想するんだ
転部して、例えば経済学とかするの
普通の企業に就職して
普通の水準の生活に満足する
シンプルで少々物足りないくらいの生活
そんな何かに憧れる私がどこかにいる
多分私の未来はall or nothing
将来が怖いから学校には行くよ
挫折に弱い私はきっと立ち直れないから、
だから最初から転ばない努力をする
学歴は今の時代大きな武器
だけど大きなものを背負うのは重いね
本当は本気でNEETでいたい
読書とかして雑学ばっかり蓄えて
特化した分野なんて欲しくなかった
思うがままに感じて学びたかった
だけどいつか親もいなくなる
誰もいなくなる、そうしたら
私はもう生きていけなくなるから
私の周りには有限のものばかり
人も物も
皆期限が重なり合っただけの仲
どこから崩れるかは誰も知らない
失うのが怖いなら真っ先に消えればいい
傷ついたら生きていけるなら
私はいくらでも傷つこうか
傷つけたら生きていけるなら
私はいくらでも傷つけようか
死にたいと思うそれと同じ強さだけ
私は生きたいとも思う
話したいことたくさんあるよ
だけど誰に聞いて欲しいか分からない
聞きたいことたくさんあるよ
だけど誰が教えてくれるか分からない
ただのご乱心モード。
気にしないでください、
久しぶりに凄いテンションで喚きたいだけなの。
あ、ただの恥ずかしい話やから心配とかすんなよ。
最近お気に入りの曲は、くるりの「ハヴェルカ CAFE HAWELKA」。「ワルツを踊れ Tanz Walzer」っていうアルバムに入ってるの。高校2年の時同じクラスだった子がくるり好きで、貸してもらったんだったんだよな。正直言って苦い思い出しか無い年で、その子とのことも若干トラウマチックな勢いなんだけど、とりあえずくるりという収穫は得た。ちなみに同じアルバムで「アナーキー・イン・ザ・ムジーク ANARCHY IN THE MUSIK」っていう曲は非常によく聴いてる。歌って感じせん曲やけどな。
サンタがいないなんて誰が決めたんだろう。さすがに19歳の長女と15歳の長男しかいない我が家のクリスマスツリーの下には何も置いてないけれど、でももしかしたらサンタはいるかもしれない。あんまり夢の無い言い方をすると、だって何かが「無い」っていう証明は凄い難しいんだよ。そりゃね、(ここの読者の中にサンタを心から信じてる人がいたら悪いんだけど)私らのプレゼントはパパりんやらママりんが用意してくれたかもしれんよ。でも、それって別にサンタがいないことの証明にはなってないような気がする。屁理屈かな。でもさあ、クリスマスにプレゼントを贈りあうこと自体がクリスマスマジックだよね。私なんか誕生日とクリスマスが近いから余計にそう感じるんだけど、誕生日でもない時にプレゼントをもらえる(というか与える側が当たり前のように与える)って凄いと思うんだ。今でこそないけど私にとって昔は12月は二週間に一回何かをもらえたわけだったんだしさ。あ、更にその後お年玉も貰いよったな。それは今もか。あのね、そういう、giftの精神自体をくれた人、っていう感じでサンタさんがいてくれたら嬉しいと思うわけであります。何かものすごい話が散らかったけど。プレゼントくれたのが両親でもいいじゃん、感謝できるんやし。こんなん思うのもご時勢の所為なのかなあ?
曜日感覚がわからんくなってる。早いな。冬休みはあっという間だから気を抜き切っちゃいけないね。
いつまで私が耐えられるのかわからないな。どこかでふっと、ぽろりと、零れそうなほどに、募っていて。何で今更とも思い、それとも今更だからこそなのかもしれない。もう自分でもよくわからない。ただ、耐え難く感じるほどに、頭の中に居る。誰かのことを入れる余裕なんて今の私にはまるで無いはずなのに、最初からそこに座ってしまっている。怖いんだ、正直。しとど零れる思いがその裾まで濡らしてしまいそう、何だか百人一首に出てきそうな表現になったけど。頭を抱え込んで叫びたいくらい、そこに居る。虚像じゃない実の姿を見つめ直す度に、冷静に戻れば戻るほどに、引けなくなっていく。失礼かもしれないけど何が秀でているわけでもない、ごくごく普通の、その魅力。人間らしくて好きなんだろうか。そういう話じゃないのかな。何が好きといわれて私はきっとマイナスの魅力を言うよ。でもそれは本心であって照れ隠しではない。優しいところよりも天邪鬼でさり気なく酷いところが好き。全然素直じゃないところも、考えなしにうっかり傷つけるところも、好きなんだろうな。悔しいな。気が狂いそうなほど考えている。
12時を廻って家に一人。ご飯食べようかなあ。
授業のプロジェクト仲間から送ってもらったファイルが悉く開けなくて非常に困惑しております。ちゃんとやってくれない人が多発している中、トップクラスにしっかりやってくれている彼のが見れないのは非常に申し訳ない。リーダーにはやんわり仕事を押し付けられた(というよりうっかり自ら引き受けたような気もする)。茶髪ジャージからは連絡も何も一切無いので完全無視してやろうかと思う。あとリーダーにはばっちり密告する。ネットが壊れた広報氏は可哀想だし仕方ないから許す。唯一期限を守ってくれた(というか期限一日前に提出してくれた)男の子の株は跳ね上がりました。どうもありがとう。そんな感じで、まあ、割と稼働率の高い私であります。何が言いたいんや。
年末ですなあ。しかし年末って感じしないんよな。何でやろうか。大きいのは、部活時代やっていたクリスマスコンサートやらアンサンブルやらが無いからっていうのだろうな。クリスマスも感じたし、アンサンブルなんてもっと差し迫って期限感があったし。でもそれを言うと去年だってそれらは無かったはずなんだけどなあ。模試とかあったからかな。あと、終業式あったしな。大学にはそんなもん無いから、あと始業式も無いから、授業がいつ終わりいつ始まるのか分からなくて困る。そういえば去年の今頃はそろそろ携帯断ちしてるかな。重度の携帯中毒の私が自ら言い出した携帯封鎖令。塾の先生にセンター前日に言うたら「お前意外とえらいな」といわれた覚えが。その話をしたらちょっと怒ってくれた私の大好きな人。うわ何それ恥ずかしい。まあともかく、そうだよねえ、そんな時期だね。受験生頑張れえええ、とりあえずインフルにはかかるなよ。
ねえ、私って素でもこんな口調でしたっけ(笑)?こないだ友達に言われたんよ、晴香の文は晴香の喋り方にかなり近い、って。自分で自覚あるのは、文章なのに、「まあ」がやたら出てくること。まあ、そんな感じ。とかね。誰に向かって話してるんやって話。うんうん。えっとね、あと言われたのは、何だっけ、「〜なの」って表現をよく使ってるよねって。曰く関西人にしたら珍しく私は口語(?)でも「〜なの」って言うらしいよ。言ってる・・・んだろうなあ。あんまり自分が喋るときは脳味噌の感度がよくないからそんなに自覚ないけど。あ、「〜けど」とか、そういう結論を言い切らない表現をよく文章でもしてる気がする。これ結構気にしてるんだけどな。本当はあんまり好きじゃない。見た目として。
今日は長いねえ。調子良いねえ。読んで下さる皆さん、だるくてすいませんな。
合わない子、苦手な子、噛めない子、そりゃ私にもいることはいる。でもそれって、特にもうこの歳になると、毛嫌いしたり悪く言ったり馬鹿にしたり、少なくとも本人のいるところで、するべきじゃないと思うんだ。ちょっと思うところがあってね。私もたまにそういうことをするけど、大抵の場合かなり質の悪い確信犯。傷つけにかかっている場合とかきつい忠告とかね。しかしなあ、やっぱり日常的にそうやって、しかも楽しい席で、したら駄目だよ。空気読めない相手に本気で反応を示すのもまた空気を乱すと思う。苦手なら表面だけざらっと撫でたらいいじゃない。何で本気で反応しちゃうんだろう。こういう傾向はどちらかと言うと女の子に多い。何でだろうなあ。あとなあ、私は対応にも慣れてきちゃってるんだけど、だからと言って「じゃあ晴香よろしくー」はさすがに無いだろうって。私は便利屋じゃない。あとついでに、見てもいないがご本人。私が慣れてきたからといって決して負担になってないわけじゃないからな。どっちの味方にもなれなくてどっちの敵にもなれない、相も変わらず私らしいというか。
誰かの一番になりたい、
私はきっと、
複数人のランク入りは果たすけど
誰の一番でもないんだ
誰よりも、っていう呼ばれ方
されたことあったっけなあ、