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    きらきらと時計の針が輝いて、

    • 2010.12.31 Friday
    • 23:48

    年末は振り返り記事を書かないと気が済まないもので。

    今年は本当に、色んな方面へ踏み出したと思う。人見知りこそしないものの基本的に人づきあいが得意でない私が大団体の学祭サークルへ踏み込んだ事も。あれはなかなかしんどかったけど、でも仲間も友達も先輩も後輩も出来て、自分の役割というものを与えられる喜びと責任を知った。大事な経験だ。そして数が逆転する集団へ飛び込んだ事。どれだけ心地が良いものか言葉で説明できないのが残念なくらいだ。私が私を受け止めてあげられるようになった、一つの大きなきっかけだった。

    もちろん一人暮らしが始まった事だって大きい。思っていたほど寂しがり屋ではない、というか一人でいる事に耐えられる体質だったみたい。身体が弱いのは問題だけど、でも心は必死で支えれば何とか乗り越えられる。あとね、誰かに頼る事を明確に理解した気がする。我儘はいつも昔から言ってたけど、本当に頼りたい時に誰かに声をかける事、私には難しかった。今は、たまに躊躇するけど、本当に必要なら助けを呼べる。弱さを認める強さと、弱さを受け止めてくれる誰かに対する素直な気持ちを手に入れた。

    受け止める、って広すぎて説明のできない言葉だと思う。物理的に何かを受け止める事もできる。もと抽象的に何かを受け止める事だってある。受け止めた人間は何らかの衝撃を受ける。それでも私は今年、いくつかの現実を受け止めてきた。誰かに受け止めてもらってもきた。そうして今年をまた生きた。きっと成長してる、少しずつ。

    受け止める、受け入れる、…そういう言葉を自分に教えてあげるのって簡単ではなかった。言葉として文章にはよく使ってきたけど、実際としてはなかなかに。でも今年は本当に、少し出来たような気がする。自分自身を自分の腕で抱き締める。大事に思ってくれる誰かの腕が回される事を阻むことなく温もりを感じる。大事に思う誰かに向かって腕を広げる勇気を持つ。それは酷く単純でありながらそう簡単な事ではない。その事実にぶちあたってきて、今やっと少し自分なりの答えのはしっこが見えてきた。この答えを「受け止める」勇気は、今の私にはある。

    来年は今年蒔いた種を芽吹かせなければなあと思う。あちらでも、こちらでも、花が咲きますように。だから私はその願いを叶えるために、水やりをちゃんとしようと思う。時にはちょっと塩っ辛い水かも知れないけど、強い種はきっと堪えてくれる。一年後またここで何かを書いていられれば嬉しいのだけど、その時は良い事を書けますように。また一回り強くなれますように。そう願う。

    紅白が終わる。もう今年が幕を下ろそうとしている。おやすみなさい、2010年。あなたに会えてうれしかったよ。

    Thank you for seeing this blog through this year!!
    I love you all from the deepest of my heart ;)
    The year 2011 must be the greatest one ever...
    And I really wish I can enjoy it with YOU!

    Luv Ya!
    Haruka M.

    雨が降り注ぐ翌日の晴空

    • 2010.12.30 Thursday
    • 00:39

    今日成人式の打ち合わせで美容院に行ったら綺麗に飾ってもらったらしい某天然柑橘類に遭遇しました。いや、綺麗だったんだけど、ニヤニヤが止まりませんでした(笑)。こんなとこでこんな形で再会するとは思ってなかったもんだから。写真撮影しに去って行きましたけど、いやあびっくりした。

    私なんでこんな曲聞きながらこんな事書こうとしてるんだろう、ちょっともっと変えよう。…よし。

    大事な思い出が一つ旅立っちゃったなあ、と率直に感じた。他のところでも触れた事だけど、私が高校で過ごした三年間の内二年は先生の元で過ごしたものだったし、残りの一年に関してはろくな記憶がないから。友達から呼ばれるのと同じようなテンションで呼んでくれた事も、友達を呼ぶのと同じようなテンションで呼んでいた事も、よく覚えている。年次主任を別とすれば、高校時代の先生で会いに行くべき唯一の人って言えたかもしれない。そりゃ古典の先生とかも好きだったけどね。そう、でも高校に戻っても先生がそこにいてくれる事は結局なかった。悲しいことだね。

    大変だったんだろうなあ。辛かっただろうなあ。考えてもしかたがないけど、どっかでつっかえていた涙は溢れた。五年前に会った時から、三年前に一旦別れた時から、また再会した時の痩せ方からでさえ、昨日の姿はかけ離れていた。今どこかで少しでも楽になってくれていれば嬉しいです。

    面白い先生だった。意味のわからん事を平気でしてくれるような人だった。個性が強かったから賛否両論あったけど、私は大好きだった。卒業式にはこれなかったけど、全体というよりむしろうちのクラス向けに電報をくれた事が嬉しかった。本当は一人ずつにくれたメッセージ。合格なんかよりも卒業出来た事の方がずっと嬉しいねって書いてくれた事は見返さなくても覚えてる。受験の事では一年の時から散々プレッシャーかけられたけど、結局それは良かったのかもしれない。分かんないけど、全て過ぎ去った事だった。

    本当に、楽になってくれていれば他に言うべき事はない。先生に言う事じゃないかもしれないけど、よく頑張りはったと思うの。必死で戦いはったと思うの。だから私はその姿に、お疲れさまでした、としか言いようがなかった。私は頑張ってます。頑張ります。だから先生はしっかり休んでください、と。美味しいものもお母さんのご飯も沢山食べてください。もう大丈夫だから。

    一回くらいお見舞いに行けたらよかったなあ。仮定法過去、現実には起きなかった事なのだけど。

    Life goes on. 私は今日も生きているから、悲しい事があっても笑ったりしてる。それは悲しみを忘れているからじゃなくて、それでも楽しい事だってあるからだ。ね、頑張らなくちゃ。

    終わらないと思っていた季節

    • 2010.12.26 Sunday
    • 23:51

    阿部真央の「私は貴方がいいのです」が可愛過ぎる件。好きだなあ。あ、曲の事ですよもちろん。好きだなあ。素直で可愛い。こんな歌が書けるっていいなあ。この人実は結構幅広くない?羨ましいなあ。

    色んな事を考える、という表現を最近使い過ぎなのは自覚しているけど、だって本当に色んな事を考えてるんだもの。あれやこれや。とりあえずぶんどらなきゃいけなかった休みはぶんどった。ついでに別件で必要な休みも確保した。これでとりあえずは大丈夫。

    きっとぐるんぐるんしすぎなんでしょう、昨日は上手く眠れなかった。数える事が愚かしい。消えてゆく指の後ろには幾度指を折って開いてしてもなかなか追いつけないだけの時間がある。それを私はよく知っているし、今更誤魔化そうとも思わないし、ちょっと悔しくは思うけど、受け入れてもいる。

    こういう気分になってしまった時の気の持ちようについては本当にレクチャーしてほしい。してほしいけどそれを頼むのはびっくりするくらい酷だよなあ。分かってる。ある意味一番聞いて欲しいけど、聞かせるわけにもいかない。そういう柔らかな残酷さ。ジャンプする前にどうやって踏み込むのか、教えて欲しいんだけどなあ。

    言葉にしてしまうと一気に現実味を帯びて、怖くなる。でもこの葛藤だって言葉にしてきたのだから、自分に教え込むには結局また言葉の力を借りるしかなくなる。私を守るのは、言葉というものの強さと、時間が流れる事実と、生命の有限性。それだけあれば、私は大丈夫。

    彼女はドアノブに手を掛けた
    閉じた瞼の裏に浮かぶ情景は
    どこだったのでしょうか

    ふと思い返される貴方の右手

    • 2010.12.26 Sunday
    • 00:23

    えー、ちょおま、えー…裏切り者ーぅ…
    と思わないでもないがこちらはこちらで色々あったり無かったりしたから許す。なんかお疲れさん。

    クリスマスは家で過ごしましたよ?え、何か?あ、25日当日は郵便局でバイトしてました。いいでしょ、皆さんがたくさんお金使ってる時にお金稼ぎです。…うん、卑屈やめる。少々生々しい事があった結果として私の中で何だか幸せな人達に対する悔しさみたいなもんが滲んでます。なんか…なんだろうな、現実的な感覚としてやってきたというか。ま、いいの。取捨選択の人生、自分が何を取って何を捨てるかは分かってる。

    ついついさあ、色んな事を考えてしまう。本当、仕方がない事なんだけどね。それは私が私であって、私の心と脳を持つ限り、仕方がない事なんだけど。でも、もしあの時こうしていたら、という考えと、さて私はどうする?、という考えが脳内を踊る。結局自分が何を選ぶか、はっきりすぎるくらいはっきりしていて、いっそ悔しい。でもこうして自信を持って(なのかな本当に)選べるものがあるという事も、それはそれで幸せなんだろうなあ。

    寒いね。外はとても寒い。私に割かれる針の動きがどれほどあるかは分からないけれど、季節が寒いのはよく分かる。だから、わざわざ物理的負担を掛けたいとは思わないのだけど、でもどうなるやら、それは私にも分からない。いつぞやの季節は確かに本来とても寒い時だったはずなのだけど、結果的に比較的暖かったっけ。きちんと思い出せないや。大胆だったようで慎重だったなあと思う。ある意味、大胆さは増していくしかないのかもしれない。寒さの切りつけるような痛み、が、怖がる心を撫でつける。

    いつか誰かと
    手を繋いで
    歩いてみたい

    誰か、になるには
    なるに足るだけの
    何かが必要って事
    私はよく知っている

    そっと、
    ぎゅっと

    どこかで鳴り響く静寂の音

    • 2010.12.25 Saturday
    • 12:43

    色々と想像してみてはいるけれど、日に日にその想像が具体性を帯びていく。恐ろしい事でもあり、悲しい事でもあり、一種の幸せを感じさせる事でもある。

    もうぱっとは思い出せない、あの頃の感情。どうだったっけなあ当時は。もっともっときらきらしていた覚えはある。悔しいけど。今は艶消しをしているんです、と言い張ってもいいけど、いずれにせよ当時はもっときらきらしていたはず。もっとわくわくしていたし、何より、aikoを一番聴いていた時期だった。

    今はもうaikoなんて聴けないんだもんなあ。今も変わらず好きなのは好きなんだけど、何だか聴いていたら頭なのか心なのかどこかが酷く痛むもので。ずっと聴いているのは辛い。もうaikoを素直に聴いていられるほど純粋じゃない。

    やめとけ、って、いつも私の中の私が言っていたのに、彼女はついにそれすら言うのをやめてしまったようだ。ブレーキが壊れたら後は走るだけなのです。ぶつかる、目を瞑って、覚悟を決めろ。

    冬空に浮かぶ彼女の飛行船

    • 2010.12.24 Friday
    • 12:53

    急速に色んな出来事が進んで行く。駒を進めているのは自分自身の指なのに何故だか振り落とされそうになってしまう。しがみつきなさい、ここで落とされるわけにはいかない。ゲームは永遠には続かないし、本はいつか閉じられてしまう。プレイヤーがそして読者あるいは筆者が、永遠の存在ではないのだから。

    泣いても落ちない化粧品はきっと探せばいくらでもある。という事は化粧をした状態で泣く人がそれなりにいるという事なんだろうか。日頃寧ろ化粧せずに過ごす事の方が多い私としては、化粧は余所行きの象徴で、余所行きの状態で感情を爆発させる事はほとんど不可能に近いようなものなのだけど。そう思う、しかし今は少しだけ泣いても落ちない化粧品が欲しい。たった一瞬だけで良いから、そんなものを使ってみたい。泣かずにいられる自信はどこにもない。

    ひとつ音が零れれば、もう私は完全にこちらの人間になる。脳内で言葉にされた事、そして言葉を繋げて文章になったもの、それは確かに全て真実ではある。だけど事実というのは真実より更に固く確かで、揺らいだように思い込む事は出来ても実際に揺らぐ事はない。事実というものは生まれた瞬間に過去になっていて、過去というものは変えられないのだ。

    古き日を懐かしく思う自分は、まるで一人の自分の死に際みたいな姿をしている。力無く空を見上げて、冷たい風に目を細めて、枯れた木に愛しさを感じる、そういう類の事。過去には戻っていけない、時間は前方にしか流れない。一つ積み重ねてきた真実という塔を、事実というコーティングで固めてしまおうか。真実は永遠ではない、それは心の中にしかないから。事実のみは半永久的に存在する、時間の中に刻み込まれるものだから。時が流れるのを辞めるまで、事実は過去の内に存在し続ける。消えて溶けてしまうのを待つのは、もう愚かなのかもしれない。

    煌めく炭酸の向こう側

    • 2010.12.23 Thursday
    • 10:27

    昨日はそこそこ酔った。

    クラスの忘年会でした。現在冬休み中。まだ下宿先だけど。…もしかしてまだアルコールが残ってるのかな、さっきからタイピングミスばっかりする…。まあいいや。楽しかったです。飲み屋ではなくて焼き肉だったんだけど、そんなのガン無視でひたすら飲んでました。ただし宮崎のひたすら飲むはレベルがとっても低いので量としては大した事ないはずです。宮崎には効果抜群だけども。

    楽しかったです。誕生日祝いもしてもらって。このクラスで二年やれてよかったなあ、って本当に思いました。今年は色紙というか寄せ書きのプレゼントをしてるんだけど、私のやつ見てみたら「日頃から大人」か「ツッコミ」か「ギャップにキュン」が主流でした。一番最後は主に女子からでした。なんなんだ相変わらず。

    担任にあたる先生も呼んでどんちゃんしてたわけですが、たまたま先生が隣に座ってらして、ひたすら赤ワインを飲みながら(多分これは本当に「ひたすら」)、映画論と職業論的なものを語ってはりました。一回私の反対隣に座った子に先生の言った事を説明してたら「聞いて!」って右腕殴られました(笑)。先生、あなた大人の男性です、さすがに痛いです(笑)。でも良い話聞けた。十年、一つの事を続けていれば多少は形になる。このブログですらやっと折り返し地点か。でもブログの話(何年やってるとか記事の件数とか)の話をしたらちょっとびっくりされたというか、褒められたというか。嬉しいね。

    ここには書けない、かなり個人的な事もあったけれど、それはまあまた某所に。私が何であそこまで飲んだのかっていうか、でも逆に何でそこまで飲んでも飛ばないくらいまでしか飲めなかったのか、っていうか。色々守らなきゃいけないものがあるね。口を滑らせたら色んな事が終わってしまうから。まだ終わらせるには早いから。

    ゼミも無事決まったし、来年からは更なる英語厨にでもなろうと思います。そして先生に言われたように映画もたくさん見ようかしら(宮崎の卒論ゼミは米演劇です)。自分を磨く。それが大人になるために必要な何か。きっと。

    脳が動く間は死ねないだろう

    • 2010.12.22 Wednesday
    • 01:53

    おそらくは、なのだけど、今の私はあまりに不安定過ぎて、人の話など耳にしたくないのだろう。他人の幸せそうな話、あるいは幸せの入り混じった苦味、など。平常時であれどリア充爆発しろ程度には思っているけれど、今目の前でそんな話をされたら目線だけで爆発させられる気がする。質が悪いのは本人が無自覚な場合。まだ自覚があってそれでも話してくる場合はこちらも構えられるのだけど、無自覚無意識は唐突にいつ来るかもどう来るかも分からない。だから私は拒否するのだよ、お嬢さん。

    三人称で小説を書いてみたい。けれど、私はどうも私を通してしか物事を見られないので、頑張っても思考回路が一人称になってしまう。そもそも三人称的視点、映画だとかドラマだとか、ですらいつの間にか一人称的視点と融合してしまう人間だ。三人称で物事を書く/描くなんていつの話になるやら。

    彼女は手帳に指を滑らせた。それを思考の裏で見る彼は無表情で、ただ淡々とその事実を受け入れているようであった。彼女が指を止めて小さく息を飲む。無表情は表層的にはピクリともしなかったが、どこか奥深くで変化したように見えた。目に見える事実、目に見えない真実。表情を全て眠りにつかせても心は起きている。彼はまるで顔の筋肉の動かし方を忘れてしまったかのように拙い瞬きを繰り返すだけだった。しかしそこからは一刻前までは感じられなかった戸惑いと躊躇いの空気が読みとれた。

    きっと、(例え先ほどまで五時間も寝ていたとしても)、もう寝ないといけないのだと思う。頭の中から色々な言葉が飛び出してくるけれど、それはどうか向こう側へ消えてくれないかな。向こう、何も知らない無機質な幾何学模様が踊る夢の中。

    朝起きたら母親のメールを返そう。保険証とTOEICの成績のコピー。薬局へ薬をもらいに行く。難しくはない、ただ命というベルトコンベアの上に乗せられた私のタスクたち。

    仮面を取って一礼

    • 2010.12.22 Wednesday
    • 01:20

    ある一定レベル以上に荒むと椎名林檎/東京事変に走る。久しぶりに聴く本能は、ちょうどよく乱れた心に滲みる。適切な痛みで傷つけてほしい、誰か、適切な誰かに。

    考えてみたらだけど、私が荒む理由ってあんまり見当たらないんだよね。私がこんなに滅茶苦茶にされないといけない理由や要因がどこにあるというのだろう。してしまうと言うのなら分からないでもないけれど、されてしまう理由?どこにあるんだろうそんなもの。

    でも結果論的には寧ろ私の方が(少なくとも表向きには)掻き乱されてしまっている。よくよく見れば(そして私はよくよく見る)、細かい傷は沢山ついているけれど、私の方が圧倒的に取り繕うのが下手だ。立場や位置関係が分からないね、これでは。

    本当に、寂しい。

    自分の予想する未来と違う所為か、今一つ上手く理解できない。何故私(あるいは未来的に言って貴方)が荒んで、何故あの子(あるいは未来的に言って私)が飄々としている?逆だと思っていた。いや、逆とまでは行かないかな。でも何というか、ああ具体的な言葉をここでは利用できない、こちらの人間が荒むところまではともかく、あちら側の人間が一見して普通な事が不思議だ。本当は普通じゃないんだけど(だからこそ私の気が狂いそうになっているんだけど)。

    私ももう子供じゃないんだから強くならなくてはなあ。

    今日は疲れ果てていたのだろう、家に着いた途端コートだけ脱ぎ捨てて布団に飛び込んでいた。いつもなら閉める部屋のドアも(一応言っておくが家のドアではない。施錠はしていた)開け放たれたまま、ヒーターも眠ったまま。コンタクトレンズだって眼球の上に貼りついたまま、食事もとらずに五時間の睡眠。

    ぼんやりした頭で思い返せば、そうだ、泣きながら寝てしまったんだ。小声で叫びながら(そんな事が可能だとしてだけど)、貴方の名前を叫びながら。そりゃそうだ、これだけ弱ったら、いやこれだけ弱りそうになったら、いつも貴方のもとへ逃げてしまうのに。今回ばかりはそうもいかなくて、厳密に言うとそうすることが生む弊害と悔しさに屈服して、縋れなくて。ただ吸いこまれていく意識の中、貴方の名前を呼びながら泣いた。会いたい。

    考えてみればあと10日もない。どうするの私。
    ああ、苦しくとも平穏で幸せだった日々にきちんとお別れをしたかった。

    会いたくて、恋しくて、どうにかなりそうで、

    • 2010.12.21 Tuesday
    • 01:57

    上手く眠れそうにない夜。牛乳の少ないミルクティ(外道だと思う)を飲みながら、クリシェを聴きながら、ただつらつらと。

    ぐっと苦しくなるような切なさを持ったこの曲を何故今の私は選んだのだろう。発売時期との関係で、今の所在地に移った時によく聴いていた曲。もう全てを終わらせるつもりでいたあの頃。何故終わってくれないのか分からずに苦しんだあの頃。終わらないという事実に、先達(という表現は少しずれるけれど)の影が遠ざかって行って、私はこの人を最早単独で、と認めざるを得なくなった。ずっと大切で大切で仕方がないあの人の影を背負わせてきた、重ねて見ていた、と誰にか分からない言い訳を繰り返していたけれど、もうそれだけでは説明しきれないんだと、自分に認めるほかなかったあの時。

    一人で乗る夜のバスに、知らない土地の暗闇に、私の耳元でだけ響くクリシェ。

    もうあの時期から半年以上が経過している。

    決定的には何も変わっていないけれど、よく見れば少しずつ物事は変化している。縋れなかった私は少しずつ甘える事を覚えていっている(甘えを無理矢理英語に訳すとdependentになると先生は言ったけれど、私は一人で立っていたい)。少しずつ少しずつ、手の内を明かすようになった。ジョーカーは切れずにいるけれど、もうエースは切っているのかも知れない。もう一枚のジョーカーが私の手元にやってきた。いざ勝負、なのかな。

    あまりこういう言い方はしたくないけれど、少しばかり辛い苦い思いをした、ここ最近。辛いというと本当に酷いかな、どちらかというと苦味の方が強い。空回る風見鶏が憎くて、悔しかった。幸せになれない事を嘆く私が誰を幸せに出来るだろう、いつも与えられる事ばかり願う私は誰に何を与えられるだろう。考えては堂々巡り。

    だけど考えるほどに、そして昼と夜が過ぎていくたびに、そうじゃないのかも知れないと思うようになった。私は私に正直に生きていて、きっと他の誰かたちもそうしていて、それがぶつかった時に自分の軌道がぶれないという事は、それこそ自分の真実だという事なのかもしれない。ずっと沢山言い訳を探しては逃げてきた私が、口では否定する事だってしながら、どれだけ必死で隠していたって水を得れば華開く、そんな感情を持っていたという事。これは紛れもない真実で、誰よりも自分自身がそれを認めなければならない。いや、もう認めていた事に気付かなければならない。

    そういえばクリシェが三月に出たものだったから、それよりもう三年の前に遡る慕情とそこから一歩二歩と進んだ先に触れた心。その事を考えると何だか苦い顔をしたくなるね。感謝と切なさの混ざった気持ちと、世の不条理のようなものを感じる心と、動かずに待ってばかり居た自分への戒め。

    嵐の女神にあるフレーズ。
    受け入れることが愛なら
    「許し」ってなに? きっと…
    与えられるものじゃなく、与えるもの
    どうして私は待ってばかりいたんだろう

    受け入れることが愛なら、か。

    世界が延々と続いたとしても、私はおそらくあと数十年しか生きられない。私が愛した/愛する/愛するだろう人達だって、たったの一生しか生きられない。私はここに確かに生きて、貴方(plural)の事を確かに愛していたんだ、と、私はあと限られた時間の中で示さないといけないんだろうな。それがもし受け入れることなのだとしたら、極論を言えば、受け入れられないという事を受け入れる事だって愛なのかもしれない。それはそれとも「許し」なのかな。

    貴方は酷くちっぽけで、偉業を果たしたわけでもなければ特別世界に貢献したわけでもない。今後する可能性だってそう高くはない。極端に何かに秀でているとも思わないし、ただ貴方であるというだけだ。でもそんな貴方がいなくては、酸素の豊富な空中ですら窒息してしまいそうになる人間がいる事を、貴方は知らなくてはならない。それは重荷かも知れない、苦痛かも知れない、だけど、どうか一番酷い雨、嵐の日に、貴方を護る言葉になってくれますように。

    永遠を安く売り飛ばす事が出来ないのは残念だけれど、きっと貴方の事も、少なくとも残りの数十年の半分くらいは、忘れずにいられると思う。本当は売り飛ばす事も無く、非売品のままで、永遠と寄り添っていられたらと思わないでもないけれど。

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