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    彩りのある日々を送る為の必要十分条件

    • 2011.01.30 Sunday
    • 02:06

    もう2011年最初の一ヶ月が過ぎようとしているけれど、そんなの無視して今年のささやかな抱負を一つ。変わった色の服を着る。以上。

    黒とか茶色とかグレー(なんでこれだけ片仮名で言おうという気になるんだろうか)に走りがちだった私でございますが、ちょっとくらい派手な色もありだよねと思う今日この頃。かなり鮮やかな緑のセーターを買ったりしました。ただプリクラ撮ったらバックの色(グリーンバック?)と被っていたせいでカメレオンになりましたが。真ピンクもありかなあなんて。可愛らしいパステルピンクは相変わらず苦手ですけどね。色んな色の服が着たい。これってどういう意味のある願望なのかよく分からないけど、なんとなくね。

    あと神戸で古着屋巡りとかしてみたい。とりあえず一人で。何故神戸?なんとなくですよやっぱり。なんとなく大阪って怖いんですよ。ただ古着屋さんって高いから、きっとまだ買わないとは思う。余計に怖い。人見知りしないとか言って店員さんに絡まれるの滅茶苦茶嫌いな種類の人間。…試験終わったら実験的に大阪のWEGOでも行ってみようかしら。あれどこだっけ?梅田?心斎橋?誰に連れて行かれたのか忘れちゃった。そして三宮にも出来たんだっけ?うん?

    しかしあれだ、服買う前に痩せたい。冬休み中も何着かスカート/ズボンを買おうとしたんだけど、今この体型で買ったら負けだぜと自分に言い聞かせて我慢したんだった。なのにそこからぶくぶく太ろうとしている。実際体重が増えていってるわけではないけど(でも年末から見て2キロ太り、受験生時代の体重みたいになっている)、明らかに食べすぎ。こんだけ食べてるといつか一気に太る気がする。というか身体に悪い。運動してない。本当はしてる場合じゃないっていう言い訳が使いたいけど使えるほど有意義な生き方もしてない。

    今年は私革命を起こしたいの。って言えば何かカッコイイんじゃないかと思って言ってみたけど、なんか厨二病か頭の悪い奴みたいになった。残念。まあいいや、起こす。頑張る。というわけで寝てさっさと起きて買い物行って勉強する。頑張る。

    信号のように光る私の携帯電話

    • 2011.01.29 Saturday
    • 17:20

    最近更新が減っているのはテストの所為です。…と言いたいところですが、パソコンを付けても別で色々書いていたり、それ以上に中途半端に某秋葉原四十八にハマり気味でつべさんを漁ったりしているからですね。だって実家帰ったら弟が凄いハマってるし学校行ったらクラスの女子がハマってるし、これは逃げようがないじゃない。というか元々の私のヲタ体質を舐めるなよ。ちょっとハマるとわっさり行くぞ。唯一抵抗してるなあと思うのは今のところ投資額がゼロだという事です。弟が買ってくるからいいよね。こういう時兄弟で同じものにハマると良いよね。

    試験やレポートの事で追い詰められると、まあ普通と言えば普通なんだけど、ストレス溜まるよね。発散する為にというわけでもないけど動画漁ってまた自分の首を絞めるわけです。睡眠時間が変な方向にずれてる所為で肌がぼっろぼろ。食事もなんかあんまり充実してない(けどやたら食べてる。何でこんなに食べてるんだろう私)。精神面?なんかねえ、めっちゃくちゃです。病んではいないです、とんでもなく現実逃避してるからね。

    逃げ、なんだよなあ。誰かに依存してなんとか立っている私というちっぽけな人間。そりゃ傾向として思われるより思う方が好きなんだけど、でも思われない人間ばっかり追いかけてると疲れるよ。今更と言えば今更、別にもうどうでもいいけど、でも疲れちゃったよ。だからたまに休憩したくなる。たまに逃げたくなる。結局同じところに戻ってくる愚か者なんだけど、でもさ。酔った時に絡むのは安っぽくて良いから何か愛が欲しいから。構ってもらって、可愛がられて、心配されて、そういう下らない愛情が欲しくなる。駆け引きとか、対価交換とか、そういうもんじゃなくて。

    勿論アルコールが入った時のそれはただ一時のものだし、場のノリだけだし、理性的に媚びを売っているだけだよ。そうじゃなきゃ戻れなくなっちゃうからね。だから本気で抑え込もうと思ったら多分平気な顔して飲んでいられるんだろう。

    じゃあ素面で溺れたい時はどうする?割と冗談抜きで悪魔みたいな事もする。どれだけの効力があるのか分からないけど、多分私が続けてやられたら頭おかしくなりそうだな。意地悪したいわけでもないし、大事に思ってもいるし、傷つけたくも無い。だけど必要も無いのに繋ぎとめておこうとするのは辞めなきゃいけないなあ。そしてそちらをちらりと見ながら、またいつか懐かしい方向へ足を踏み出してしまう。空しいだけなんだけどね。でもその瞬間は私が私である必然性は無くなるし、やっぱり誰でもいいわけだし、現実なんてどうでもよくなる。

    酷く矛盾した事をしている事は自覚している。無垢な笑顔が戒めるように私を射るよ。こんなに信頼していてこんなに大事だからこそ何も言えない。きっとまた一滴降ってくれば安心していられるのになあ。ただ、もうきりがないから、もうどうする事も出来ないから、未来が怖い。不安だよそりゃ。だから逃げる、傷つく傷つける、そして同じ場所に戻ってくる。愚か者。

    いつか次が来たら、あまり長引かせないように注意しよう。じゃないと何もかも崩されてしまう。次なんて来なければいいのに、と思いつつ。

    ハイヒールで少しだけ世界を上から見れば

    • 2011.01.24 Monday
    • 00:16

    私は見た目ほど大人ではない。

    見た目ほど、というのは、別に物質的外見の話をしているのではない。どちらかというと、身長も低く髪も染めていない私の物質的外見は実年齢より更に幼く見える。そうではなくて、人間としての表面の話。何故だか私は昔から周りの人間に大人っぽいと言われる事が多かった。それはおそらく先に述べた外見年齢との溝もあるからだろうが、基本的に少し年齢の割に老成した考え方をする人間だったらしい。また比較的落ち着いた情緒の持ち主に見えるからかも知れない(それは単に周りの人間たちほど表面的に上がったり下がったりする元気がないからだが)。

    しかし本当のところ、実際の私は全くの子供だ。大人だと言われ、大人の振りをして、人を見下し傷つけ、駄々をこねるただの子供だ。大人だと言われたら大人を演じるしかない。周りに子供がいるならば、対比や均一性の問題から私が大人になるしかない。一緒になって遊ぶ事が出来ない、不器用な人間。時折思う、ああ私も一緒になって子供みたいに騒げたら、という願望は多くの場合時すでに遅し、もう後戻りできない処まで来てしまっている。その事について後になって拗ねる姿は全くただの子供であって、本当に何故これほどまでに大人のような扱いを受けるのか分からない。ああ、実際にもう成人しているだとか年齢相応の扱いという意味で大人扱いというのは理解できる。それは紛れもない現実であるから。そうでなくて、実年齢以上の扱いや精神性の問題で、私は全く納得できないのだ。

    子供に見える人が凄く羨ましい時がある。私もあんなに無邪気に無垢に騒げたら良いのに。ああやって誰かに我儘を言って、それを受け止めてもらえたら良いのに。大人になってしまえば、否、大人扱いをされるようになってしまえば、甘えだって何か不自然なものになってしまう。それは発信する側からしてみたら酷く当たり前の事であっても、受信する側の想定している型から外れてしまっているからだ。

    そうして羨ましいなと思って見ていた。叱りつける、呆れる、宥めて受け止める大人の立場にいながら、心の中で指をくわえながら、見ていた。そしてある時気付いた。なんだ、この人は全然子供じゃないんじゃないか?と。私が表面だけ大人で内面が子供のままなら、この人はその逆、あるいは少なくとも逆に近い何かなのではないか?と思うようになった。

    それには明確なきっかけがあったが、それについてここで触れるわけにはいかない。表面の塗装を指摘する事までは許されたとしても、それを剥ぐ権利は私にはない。

    人生を経験の積み重ねからなるものだと仮定すれば、結局どの段階でどれだけ経験を積むかで時間の刻まない年齢というものは変わってくる。しかし、もしその積んできた経験を隠してしまえば。もしそれを隠してしまえば、目に見えるものと内に抱えるものにはずれが生じ始める。そしてある時、今まで見せてこなかった積み重ねが明らかになった時、その人間は急激に大人になったように見える。

    私は、ある程度自分の積んできた経験について語る人間だ。無論具体的に一から百まで語る事はあまりない。しかし発散しなければすぐに潰れてしまう容量の小さな人間だった為か、昔からある程度自分の生きてきた人生について語る。だからこそきっと大人と言われるようになったのだろう。初めに大人と言われるようになった段階では確かに周りよりも積んだものは多かったかも知れない。だから当時は自分としてもそれほど違和感を感じなかった。しかし今では周りに積んでいる量を追い越され、それでも今まで通り表面的に演じてしまう所為か、内外で溝が生まれる。時折自分で自分の足をうっかり嵌めてしまって、前に進めなくなる。誰かに手を引いて欲しい、助け出して欲しいけれど、誰もその溝に気付いていない。誰も動けなくなっている自分に気付いてくれず絶望する事がある。なんとか自分を引きずりだしたら、また痛む足で歩きだす。

    だからだろうか、いつからか、自分の未熟さや幼さに気付いてくれる人を求めるようになった。幼い私を見て馬鹿だなあと笑ってくれる誰かを。どうしたのと心配するんじゃなくて、それを私の一つの側面として当然と見なしてくれる誰かを。時には呆れ時には宥め、時には一緒になって愚かになってくれる誰かを。私が自分の塗装を剥いで、素顔の私自身でいられる相手を。求めるようになり、求め、今や手放せなくて苦しんでいる程だ。

    幻想を抱く相手なら今までにもいた。その魔法は未だに解けず、ああ罵られても仕方がないかも知れない、今だってその幻想の中に生きたいと思う事がある。しかし私がその人間に幻想を抱く間、相手もどこか私に夢を見ている様子がある。それは惹かれあうという意味ではなく、認識の問題として。その事を悔いるつもりはない。この想い自体もきっと溶ける事はない。それでも、私はその人間の前で子供にはなれない。いつだって少し背伸びした姿で、強い私でいなければならない。護らなければならないから。

    泣いていいよと言われた事など他の人からあったか。泣かないでと言われた事なら何度だってある。泣いていいよと言ってくれた人が他にいたか。未だに、遠い事なのに、耳にこびり付いた優しさの欠片。弱くても良い、情けなくても、落ち込んでも良い、子供のままで、それで受け止めてくれる誰かが他にいるんだろうか。盲目になってしまう傾向は確かに否めないが、それでもここまで安心していられる相手が他にいるんだろうか。いるのだとしたら、世界は素敵なところかも知れない。

    子供のふりをして大人なあの人間は、つまり傷を隠す力を持っていて、それは私から見えない。傷を隠す力を持っているように見せて、実際はすぐに表に出そうになる私は、殊更傷つけていないか。滲みても良いから消毒液が欲しくなる私の傷は、きっとまた誰を傷つける。子供の私が負う傷を、大人のふりした塗装にうっすら隠れた傷を、誰かそっと守って。そうしないと知らず知らずの内に私はまた誰かを傷つける。

    私は見た目ほど大人でない。内側に大きな子供を抱えて、必死で背伸びをする。もう良いよと誰かが肩を撫でてくれるまで。

    取り留めもなく

    • 2011.01.22 Saturday
    • 11:51
    私は私の生きる世界に
    一定の責任を持って生きる

    消えてしまいませんように
    大事にしてきた世界が

    一緒に生きていたい
    大切に思ってきた誰かと
    それは望みや祈りではなく
    寧ろ嘆願に近い

    色々な事に出会って
    色々な事を知ってしまった
    君が何かを言うとき
    私は人知れず苦虫を噛み潰す

    いっそ惹かれればいいのに
    折角同じ世界に生きる友

    だけどそれは容易くない
    何から何まで別物で
    理性と本能は裏腹で
    この感情だって
    最早理性的に説明することは
    出来そうにない

    ライン上にいる私は
    きっと曖昧なまま
    ずっと

    抑えられた唇が手招く夢

    • 2011.01.19 Wednesday
    • 01:25

    今週に関して言うと、プレゼンを倒し、授業の要約担当が終わり、残すは金曜のラスボスのみ。しかしラスボスはラスボスに相応しいわけで。洋書を読んでレポートを書くという言ってみれば非常にシンプルなことなんだけど、その洋書とやらがあと400ページ残っている。ちなみに日本語訳を一回も読まずにいきなり英語で読んでるからとても辛い。日本語を読むのが比較的早い分、余計に英語を読むのがとろいように感じられる。多分それでも平均よりは少々早いんだろうけど、でもさすがに辛いよね。木曜にどんだけ読めるかが勝負だ。

    三人称の小説って一体どうやって書くの?英語の本には三人称が多いような気がするんだけど、そして確かに英語で考え事をするときは三人称になりやすいんだけど、でも一体どうして?私は日本語で三人称の文を書くのはびっくりするほど下手です。小説もどきだって全部一人称になってしまう。全て自分の眼を通して見ようとする癖なんだろうか。色々とお話を考える時に、一つどうしても考えないといけない事の中に、視点を誰にするかという事がある。それを上手く考えないと全く膨らまない話になったり、触れたかった部分に触れられなくなったりする。

    書くという事が雑になっているなあと思うここ最近。まあまずは私個人として。まるで消化試合のように文章を書くのは言葉に対して失礼だと分かってはいるんだけど、じっくり練るほどの時間を上手く取れない。実際に時間はそこそこあるんだけどどうも上手く活用できないんだよねえ。半分寝ぼけたような文章を残すのはあんまり好きじゃない。昔ならきっとさっさと消していた。最近は残すように、というかしれっとした顔で当たり前のように、投稿しちゃうんだよなあ。書く量が減ってる以上は書いたものを捨てるのが勿体なくなってるのかな。良くない傾向。試験が終わるまで書くものをしっかり練って、終わったら一気に書こう。

    私個人じゃない部分で言えば、一般に出回ってる文章の文法が滅茶苦茶だったりする事があってがっかりするって話。AKB48とかおにゃんことかで有名な秋元先生はよく歌詞を書いてるけど、たまに無理矢理音にねじ込んだんだろうなあと思うような歌詞がある。文章として意味の通じていない部分がたまにあるんだよね。きっとこの表現を歌わせたかったんだろうっていうのは感じる。というかそういうのをアイドルから感じたら駄目じゃないの?この響きを歌わせたくてその周りの部分は音に合わせて適当に、じゃ、日本語を配り歩く人間としては駄目なんじゃないかなと思うんだけど。

    そういや新しい歌に出会った時、先に気になるのは歌詞、それとも曲?私は基本的に曲が先に来る。でも気に入るまでに重視するのは歌詞。どれだけ気に入った曲調でも歌詞が滅茶苦茶だったら好きにはなれない。逆にそれほどまで興味のない曲調でも歌詞が凄く好きだったら多分何度も聴く。ただそれはとっかかりが無い分、あまり起きない現象ではあるんだけどね。歌詞を重視しないで聴く事が出来る人ってどれくらいいるんだろう。中にはいるよねそういう人。私には出来ないな。

    ああ、また寝ぼけた文を書きそうな眠気に襲われている。明日に備えて寝るとします。おやすみ。

    私を世界へ繋ぎ止めてくれていたその手を

    • 2011.01.16 Sunday
    • 23:37

    大嫌い、か、大好き、かを、殴りかからんばかりの勢いで言ってみたい。誰でも良いわけじゃないけど、でも誰でも良いから言ってみたい。そりゃ特定の意味を持たせれば特定の人にしか向かなくなるけど、そうじゃない意味ならもっと広い範囲の人に向けられる。ああくそ、大嫌いって言ってほっぺをぐーんって抓り倒してやりたいくらい好きだ。

    弟が明日から修学旅行の予定です。この天候でも飛行機は飛べるのかね。まあ、知ったこっちゃない。もう私の修学旅行から三年経つんだなあ。ろくな思い出ないわあの頃。ブログ見返したって愚痴だらけだろうよな。

    弟が楽しそうにレクの話してるのが羨ましいんだよね、正直。あれ、クラス運だよ。うちは完全に外れだったから良い思い出どころか全くと言って良いほど思い出自体が残ってない。凄く苦い思いをしたのはほんの少しだけ思い出したけど、出来たら蓋をしときたい感情。自尊心が私を辛くしていたんだろうけど、自尊心がなかったら完全におかしくなってただろうな。しかもレクに関してばっかりはあんまり周りの子に縋りようもなかったし。うん、忘れた事にしときたい。

    でもほんの少しだけ、ほんの一握りだけ可愛らしい思い出もある。日程が狂った所為もあってよく覚えてないけど、確かずっと一緒にいさせてくれたよなあ。あれに関してはうちの部屋が不幸中の幸いレベルで当たりだったからっていうのもある。互いに一切干渉し合わないメンバーだったから楽だったし勝手にどっか行っても、正しい時間に正しい場所にさえいればなんでもありだったし。そうでもなければ、縛り付けられるような事になっていれば、本当に私頭おかしくなってたよ。じゃんけんだったかぐっぱだったか、何で分けたのか忘れたけど、本気でずれて良かった。

    曖昧だけどしっかりと思い出せる。シャーベット状に滞る時間に困って誰かの傍に行ったこと。そこで楽しんでいたら気にかけてくれたこと。シャーベットは温まる心と笑い声で溶けてしまった。凄い効能だった。憂鬱な気持ちになっていたら切り裂く光があったこと。捨てるほどの時間がない事を知っていながらも出張したこと。自分が大して役に立たなかったことも、自分にとって後々大事になる出会いがあったことも、ただただ光に素直に従った事を感謝したことも。数日間の中で一番温かったあの時間帯のことも、一瞬心が凍りつくような気分になったことも。忘れてはいない。引っ張れば次から次へと出てくる。

    うちの弟はどんな思い出を作ってくるんだろう。羨ましいなあ、きっと楽しいんだろう。でも本当に、良い思い出だっただなんて嘘を吐きたいとは思わないけど、部分的には素晴らしかったのよね、私にとっても。たくさんの決定打、という表現はおかしいかもしれないけど、でもたくさんの決定打が放たれた時だった。優しい人はどこまでも優しいし、変な人はどこまでも変だし。一人じゃなくて、複数の人に支えられていたからこそ、これだけスポットを絞っても平気だったんだろうね。ああ、次弟に会ったら土産話とリアルお土産要求しなくちゃ。へへ。

    星を掴みに山を上ったある朝

    • 2011.01.15 Saturday
    • 09:49
    考えてみれば
    少し恐ろしくなるほど
    いつも一緒だったんだね

    もう運命の分かれ道から
    二年が経過した

    全てを覚えていられないのは
    少しばかり寂しいけれど
    全てを覚えていたら
    もういよいよ追加は出来ない

    節目、節目

    驚くほどいつも隣にいて
    きっとそれはこの日々が
    いつより大事な年頃だったから
    そう簡単には消えないだろう

    考えてみれば、
    もう

    おもちゃの指輪が何より綺麗

    • 2011.01.09 Sunday
    • 01:26

    明後日、日付上は明日が成人式ですね。

    もうちょっと痩せて成人式迎えたかったんだけど仕方があるまい。今出来る最大の努力は造顔マッサージくらいだ。あれの威力って結構強烈だよね。それに賭けるくらいしかない。あとは、歳をとった時にその時の写真を見返して、若い時ってぽっちゃりしてるよね、って笑えてる事に期待する。

    私は基本的に読む物に強烈に影響されるところがある。それは考え方とか文体どころの騒ぎじゃなくて、話し方にまで出る。なんというか、勿論強い印象を残すようなものを読んだ後はもっと深い位置に影響が出るんだけど、そうでなくて割と普通のものを読んだだけでも、表面的な部分に影響が出る。簡単な具体例を挙げれば、訛り。関西弁のきつい小説を読めば関西弁がきつくなるし(でもこれはまだ私が元々持っている訛りなので分からないでもない)、岡山弁の小説を読めばほとんど行った事がない場所にも関わらずその方言に引きずられる。英語の小説を読めば思考回路もアウトプットもしばらくは英語に支配される。

    元々私はかなり訛りの移りやすい方で、関西に越してきた時も一週間足らずで関西弁を使うようになっていた。大学に入っていくつかの地域からの知り合いが出来たら、それぞれの地域の訛りを混ぜてかなり独特の方言を使うようになっていった。私のベースはNHK仕込みの標準語で(幼少時に映った日本のテレビがNHKだけだったから)、そこに人生の半分を過ごした神戸の訛りが乗っかっている状態。更にそこに中部、大阪、中国、四国地方からの訛りがちょんちょんと乗っている感じかな。酔うと神戸弁がきつくなる。日常会話では標準語と関西弁を句読点毎に入れ替えるというわけのわからない喋り方をしていると思う。

    多分やけど、うちの訛りはあんまり定まってないから、話したままに書くとなんか変な感じになるんよ。文字では見えへんイントネーションだってかなり変動してるから、いまいちブログでそれを表現しようとするんも無茶なんだけど。そして何が妙かってここまでの段階で神戸弁が全く出てきよらんのよね。出てるかなそれとも。わからんけど。…うん、自分がどうやって喋るのか想定しながら書くの疲れてきたから辞める。

    そもそも「〜んよ」って神戸の言葉じゃないような気がする。広島の友達がよく使ってるよね。広島弁はポルノグラフィティが好きになった段階でレパートリーにこっそり入りました。ミーハーとかじゃなくて、単に雑誌とか見てたらそのうちに自然と出るようになっただけの事です。この能力がフランス語で生かせたら凄い便利だったのになあ。

    ちなみに母親はほとんど完全に神戸育ちですがそんなに関西弁はきつくない。父親は転勤族の子供として育った為(ただしほとんど関西)、私と同じくあまり定まった訛りがない。彼も関西弁がそんなにきつい方ではないな。弟は完全な神戸弁の使い手です。多分私と同じく幼い頃は標準語を使ってたんだろうけど、小学校低学年で神戸に来てるしそれ以後ここから出てないので。たまに関西弁の表現を標準語だと思い込んでいるのを見ると恐ろしいです。あ、でも最近は私の影響を受けてなんかたまに変な訛りになってる。毎日じゃなくて偶に会うくらいが効くのか?

    酔うと神戸弁がきつくなるのは個人的にちょっと面白いんだよね。もう流石に十年ここにいればかなり強く染みついてるんだろう。感情が昂ると関西弁になる。平静時は標準語の方が近い。ここの差は面白い。また私と話す機会のある人は気にしてみてくれたらいいかも。しても別に良い事は起きないけど、興味深いかもしんない。

    後ろから貴方に抱き付いた、全て伝えようとして

    • 2011.01.07 Friday
    • 00:09

    あけましておめでとうございました。手元が狂ったのでこれはtake2です。あけましておめでとうございました。

    そこそこ書いたあとにうっかり変なところ押して文章消えるのって悲しいよね。いっそ屈辱だよね。新年早々おめでたいったらありゃしない。まあ、書くのが久しぶりな所為か文章が滅茶苦茶だったので神様がやめとけって言ったのかも知れません。気を取り直してtake2。抱負みたいな事をぐちゃぐちゃ言ってただけです。

    毎年言って毎年達成してない目標ですが、痩せたい。ただいま絶賛お正月太り中です。さすがに減らし甲斐のある体重及び体型。この冬で一キロ増えたのかな。増え率としてはそう高くないけど、元が結構良い感じに大きいので、やっぱり大きいです。このお腹は無しだよなあ…、無しだなあ。どれだけ減るかね。頑張る。痩せるというか少しくらい可愛くなりたいので頑張ります。

    こないだクラパで一、二を争う乙女さんと二人で話してたんだけど(私と背丈の変わらないあいつです)、あの子本当に可愛いよね。ずるいよね。中身は相変わらずちょっとすっとぼけてるけど、外見はとても可愛い。最近ちょっとまた可愛くなってきたのかなあ。羨ましい。寒い中、高校時代よろしく改札前で二人で一時間くらい話してたんだけど、その間どこが私とどう違うのかじっくり観察。結論が出なかった。違いすぎるんだもん。とりあえず体型が大いに違うのでそこだけでも近づこうかと思って。背が小さくて一重っていうところまで一緒なんだけど、何がこんなに差を作るのかねえ。

    リア充ってああいうのを言うんだろうなあ、って思うんだよね。部活バリバリやってて、バイトもしてて、恋人とは相も変わらずラブラブ(笑)で。それでいて可愛くて、でしょ?もうわけわからん。遠すぎるよ。彼女は彼女で全然完璧ではないんだけど、とりあえずのところの完璧に近い存在ではある。認めたくないんだけど(あんまり人間的な相性が良くないもんだから余計に)、正直ちょっとだけ憧れる部分はあるよ。

    時折言うけど、妙な話、今の私は完璧になっちゃ駄目なの。そもそもなれっこないんだからいらん心配なんだけどね。でも、完璧になろうとしてはいけないの。ネイルをちゃんとするとか、髪巻いたり綺麗にお団子にしたり、化粧をしっかりしたり、っていうのは駄目なんだ。本当になんだか変だけど、八割を作りだすのに全力を尽くす感じかな。爪を磨いたりはする、髪をくくる事もある、だけど総合的に見て九割以上の努力をしちゃうと何か違う。ほとんど自然体って言うべきなのかな、自然体のように見える範囲でしか頑張る事が許されてない。そうじゃないと違うところに行ってしまう。だから凄く違和感はある。

    そういう意味で、可愛らしい某あほの子に憧れてはいるものの、仮に近付けたとしても一歩どころか十歩くらい引いたところまでしか到達は出来ない。ほんと凄いよね、って言える範囲までしか行っちゃいけない。

    でも、だけどそれならばせめてその限界近くまでは寄ってみたい。本気で自分を可愛いって思わせてみたい。ナルシスト?煩い、分かってるわ馬鹿。それで良いんだよ。自分に自信持ちたいの。もう何か色んな方向に関して自重しない事にしようって決めてるから、前進していくための力が必要なの。勇気とか自信が欲しいの。私が私を売り出して行かないで誰が売り出す?

    もちろん、どちらかというと私の武器に近い存在である中身の方も磨いていきたい。性格はまあ控えめに言ってもよくない方だけど、脳味噌の方は頑張ってるかなあと思うので。知を蓄えたい。出力をどんどん実行していきたい。それでこそ私だもの。

    正直ちょっと悔しい思いをした冬休みという気もするけど(個人戦を仕掛けられない私はチキン)、次はその分もう一回り良い状態になった私でありたいし。二十代はきらきらしてたいし。頑張るぜ。

    さて明日から学校。寝る用意でもするか。

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