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- 2024.01.22 Monday
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眠れば朝になる
眠らなくても朝になる
朝になれば昼が来て、
昼になれば夜が来る
そこから眠れば朝になり、
眠らなくても朝になる
時間は流れる
私を捕える過去は増える一方
だから泳ぐよ
前へ前へ
未来へ未来へ
今になって心臓が震え始めた。恐怖、か。何に対して?何を今更恐れる?私の中にあるものは何も変わっていないし、今日も世界は回っているのに、ただ一つのボタンが何故そんなに私を追い詰める?楽しい中で私を泣かせたあの感情は何?粘度の高い液体の中で私は溺れ死んでしまいそうよ。
手足が冷える。どうしてしまったの。
ぎゅっと握った手が、辛かった。私は恋する浮気性。うわ言のように繰り返す、怒られるから、の言葉。誰に?誰が私を叱ってくれるの?一つは、まあ多分、本当に文句くらい言われるかも知れない。冷静になれない中で正直戸惑っていた。救いを求めるように、神様に祈るように、怒られるから、繰り返す。私を締め付ける孤独と充実の狭間から救い出して、と、思いながら。どうか貴方が私を助けて。今は他の誰にも代えられない。
そして世にも残酷な誓い。おかしくなってしまった私が半分泣きながら、何度も言った、「頑張る」。きっと周りには何の事やら分からなかっただろう。それで仕方がない。それで良い。ただその言葉の意味を理解する人がいたとしたら、それは本当に本当に残酷な言葉だっただろう。分かっている。結んだ手の温もりが、私のしている事が現実だと教えてくれた。そんな事を、と思いながら、きつくきつく握りしめていたのは、きっと誰かの手ではなく誰かの心。痛みでしか返せない私を許して。
何で?何がごめんなの?何がありがとうなの?そんな質問をぶつけないで。声に出して説明は出来ないし、言葉にする事だって出来ない。この複雑な感情を説明するには、言葉なんかでは足りない。だからこそ、分からない、と首を振りながらずっと同じ事を言い続ける。濁った世界の中で、その時私が明らかに繋がっていたただ一人の人。しかし私はポケットに眠る携帯電話を、その光を、切実に求めていたのだった。
ぎゅう、と抱き締めた光。心まで直進して、さあこれが現実だよ、と教え込むように。何をしているのやら、と思う私もいた。それは否定しない。だけど、恐れの中、私は一歩踏み出した。怖いよ、そりゃあ。何が怖いのかも最早分からないくらい、怖い。手も足も思うように動いてくれない。それでも、前に進むしかないから。賽は投げられたのだから。
駅のホームに立ちつくす。ぼんやりとした顔で。四番線を新快速が通過します。アナウンスが曇天を走る。相変わらずぼんやりとしたまま、僕は後ろを振り返る。左から、ごおおおおお、右へ。重々しくしかし鋭い早さで電車は去った。空気はまだ震えていた。君に吐いた嘘が今になって僕の心の角で泣き始めていた。曇り空はまだ雨を降らせない。ホームは、無人のままだった。
何て言うのかな、人生が私に迫ってきている感じがする。胃でもなく、腸でもなく、内臓のどれを選んでも適切ではない気がするけど、でも腹の奥の方が不思議な感覚を持っている。逃げなくちゃ、と思うんだけど動けない。いや、ここから動いちゃ駄目だ。じっと目を閉じて、開いて、前を睨みなさい。そうして、大丈夫だと自分に一つ息を吐いて、やっと一歩動きなさい。卵はいずれ孵る。必死に腹の中で守り育ててきた感情に、命を与えなさい。
何だかね、妙な自信というか、前を向く為の勇気が湧いている。ただ、その勇気を抱えた自分がそのままどこかへ泥棒して逃げて行きそうで怖い。こらこら、そんな事しちゃ駄目よ。あなたは私の横にいなさい。私の手を握っていなさい。そうでもしないと私も逃げ出してしまいそうよ。私たちはずっと二人で一つだったから。誰かが隣に来ても去っても、あなたはいつも私の横にいなくちゃいけない。私の横で、私の反対隣に誰かが来るのを楽しみにしていてよ、ねえ。
諦め、なのかな。諦めって言えなくもないのかもね。思った事も、する事も、初めてでは無いのよ。だけど、こんなに苦しくなる。怖くなる。でも、それが、ふっ、と軽くなる瞬間がある。それは飽和状態にある幸せの形かも知れないし、それでいて一種の諦めかも知れない。ここで私が泣いたって笑ったって、いつか泣いたって笑ったって、一人で生きても誰かと死んでも、時はただひたすらに流れていくだけ。だから大丈夫なの。私が零す涙は、世界を滅ぼしてしまったりしない。私はただ、もう一人の自分の手をぐうっと握って耐えるだけよ。いつか何もかも、泣くことさえも、終わる時まで。
貴方が舐めた飴玉の髪留め
響き続ける間違い留守番電話
雨の中に咲く山吹
緩くしか締められない空色
舞台の輝きが全て閉じ込められる小さな部屋
交互に刺したピンクのリボン
あの幸せだった頃に、いつでも戻れるけど、いつまでも浸っている事は出来ない。
AKB48での推しメンはゆきりんこと柏木由紀です。私は別にドルヲタじゃないけど(世代的にモー娘。全盛期だったのと転校後馴染む為の一つの切り札としてある程度娘は分かるけど)この子のアイドル全開な感じは好き。あと清楚なのに妙に良い表情するところが好き、うるさい変態って言うな。ちょっと腹黒だとしてもファン思いな、良い子っぽいところとかね。なんか、まあ、普通にアイドルに憧れてきた子って感じがして。私なんかよりもずっとこの子本人がドルヲタらしいです。…なんで私こんなにこんな話してるんだろうか。
ちなみにあっちゃんこと前田敦子はちと苦手。クラスがあっちゃん推しだらけでそんな事口が裂けても言えないけどな。半殺しにされかねない。表情豊かな子が好きなんです。自分だってそういう子になりたい。にこにこして、びっくりして、おどおどして、たまに妙に大人みたいな顔をして。あっちゃんはお人形さんみたいなタイプの子だから。可愛い、けどそこからそんなに表情が変わらない。一回AKBファンのブログを巡ってて、あっちゃん推しの人が「無表情加減が好き」って言ってて、ああそれが好きなら私は何も言うまい、と思った事があったなあ。ただ私の好みには合いませんでした。うむ。
まあ、私はこの子たちの好きとか嫌いとか、ましてや可愛い可愛くないをどうちゃらこうちゃら言えないような見た目の人間ですけどね。ただ、人の癖とかはすぐに移るタイプだから、自分が好きと思える、可愛いと思える人をなるべく見ていたいの。ゆきりんをよく見るようになって数週間で彼女の、手を口元にやる、っていう癖が移った。弟曰くゆきりん本人は右手で私は左手らしいけど、それ多分完全にミラーだよね。左右感覚の無い私がそのまんま同じ動きをとった結果というか。どんだけ素直に癖移るんだ。
可愛いと思える人を見ていれば、憧れるというか愛でていれば、自分も少しくらい可愛くなれるのだろうか。それならばいくらでもそういう人を探すし、いくらでも見る。きっと私は私なりの良さを探すべきなんだろうけど(はて、そんなものどこにあるんだろうか?)、とりあえずはコピーから。全てのオリジナルはコピーからなんだよ。ドルヲタゆきりんだって、自分の好きだったアイドルたちを研究しつくしている。それを思えば、結局そうやって人の魅力的に思われる部分は伝わって行くのかもしれない。
あー可愛くなりたい。そして私はなんで唐突にこんなアイドル話を始めたんだろう。実家に帰る度に弟のAKB好きがレベルアップしてるんだよね。大方趣味は合うよ。弟の推しはこじはるだけどね。私の推しじゃないけどまあかなり好きな部類。姉弟/兄妹でこういう話って普通するんだろうか(どうでもいいけど「きょうだい」って打って「姉弟」の組み合わせだけが変換出来なかった。悲しい)。まあ、楽しいからいいか。
寝ます。おやすみ。
頭の中の考え事もほとんど限界近くまで膨らんでいる。そこに頭の外にある実際的な考え事も重なると、私の脆弱な脳と心は破綻しそうになる。本当に使えない人間だなあ私。まず何しろ、自分自身すら上手く利用できないのに。頭おかしくなりそう。
遊びに行って帰りの電車、私は泣きそうになっていた。楽しい時間を過ごした後に、何故。楽しんだ後にテンションが下がってしまうのはいつもの事だけど、それにしても。それは、でも、理由ははっきりしている。楽しい時間の中に綺麗に織り込まれた切なさ。私の中の空白。それは、何かを入れるスペースではない。何かが足りないスペースだ。当たり前のように、そこに適切な何かが入る事を前提として私の脳は想像してしまう。そんなわけないのに。何で、何で今更こんなに。
わかっている。全て、自分の事なんだ、一応分かっているんだよ。やっと重い腰をあげようとしていること。幸せな夢を見たこと。周りの状況。肌身離さず持っている携帯電話。揺らがない現実。幸せな悪夢の中で溺れているみたい。目を覚まさなければ、私は逃げられないけれど、目を覚ましてしまえば、私の人生は死神のような顔をして待ちかまえているだろう。アインシュタインの双子。光の速度を旅して、年齢にずれの生じた双子たち。私はどの私からワープしてしまったのだろう。私は私、だよな?
生きていたくない、と思う事は減った。消えたいとも消したいとも、思わない時間の方が今は多い。それでも、全てを無かった事にしたいと思うことはよくある。人間としてリセットされたいと願う。しかしそれでは、生きていたくないというのと何が違うのだろう。私という人間の必然性は何?迷う、迷う。そんな時間は無いんだよと人生が笑う。私は柔らかく温かい夢の中、泣き叫ぶ。
(本当は嘘だよ、全てをリセットだなんて絶対嫌だ。愛する人も愛した人も、忘れたくなどない。あれだけ苦しくてあれだけ泣いた日々も、絶対に忘れたくない。痛みを伴った優しい気持ちを私にくれる、あの頃の苦しみを、それをくれた人たちを。同じ世界に生きているという、その事実だけが、何よりも私を強くこの世界へと繋ぎ止めてくれてきたんだから)
いつか、幸せのあまり咽び泣く日が訪れますように
悩んでいた私が必死に生きた意味を感じられる日が訪れますように
どうか、私が壊れてしまう前に
脳と心は別物なのか、という話。
エール大学の心理学入門の授業をネット上で見ていた。脳の話をしていた。今のところまだその回の講義を半分しか見ていないので結論には至っていないけれど、脳と心の話をしていた。
脳と心は別物なのか。デカルトだっけ、全ての事を疑ってみた時、疑っている自分は確かにここにいるという事だけは紛れもない事実だった、って言ったのは。あれは、脳と心、あるいは体と心を別物と見なしている思考パターンの代表例らしい。言うなれば、ここでキーボードを叩いている指も、何ならキーボード自体もパソコン自体も、何もかもが存在しない可能性はある。ただ、思考している魂と言うべき何かは、確実に存在している。そういう事だ。
だけど、それだけではやはり説明しきれないだろう。もし心と体、脳が別物だったら、じゃあ心の動きと体が即座に連動するのはどういう事だ。自分の意識に関係なく、例えば好きな人に突然遭遇したら頬が紅潮するのも心拍数が増えるのも、愛を感じる心の動きと体を反応させる脳の動きが一致するからだ。彼らは、同一ではないのか?また、感情を抱くという事一つとってみても、脳の中で反応する部分が違うらしい。私は専門家ではないからよく分からないけれど。何せ、心と脳が別だと仮定してしまうと説明しきれない事がたくさんある。
その授業をしていた教授の言葉を借りるとすれば、"The mind is what the brain does."だと。心は、脳のすること。一つの動き。その表現のドライさと、同時にどこかウェットな、その緩やかな矛盾。心なんて結局脳だよ、と言われれば、何だか凄く無味乾燥な気持ちになる。しかし、脳が心を生んでいるのだ、と言われれば、きっと人間の本能に埋め込まれたものに感動する事になるだろう。人間は本能的に感情を持っている。本能的に理性を持っている。それは私たちに与えられた、一つの生存手段。そう思うと、何かに悩むのだってきっと意味があると思えるね。
悲しいと思う事も、怒りを感じる事も、脳の仕出かす事だとすれば。私が私として生きる為に、この体に生きる為に、身につけてきた力だとすれば。今まで辛くて流してきた涙だって、机に叩きつけてきた拳だって、意味があるはず。時折ある離人感というか、心と体が連動しなくなる時、体の外側に心が逃げてしまう時は、きっと本当に限界近い時なんだろう。脳が脳として心を抑えられなくなる時。他の機能に回すべき能力までもを心を動かすために使ってしまう時。私の脳は二十年間、必死で私を生かしてきた。
きっとこの脳と心、体と心の話は、所謂精神疾患に関係する部分なんだろう。件の講義の後半ではそういう内容にも触れると言っていた。早く見なければ。私が心理学に興味を持った入口。今、専門としてはしていないけれど、相変わらず最も興味のある学問ではある。専門家にはなれない。それでも、知りたい事は、感じたい事は、たくさんある。
人生が私をどこかへ押しやろうとする。
泣き声が聞こえた。遠く遠くから、泣き声が聞こえた。ああ助けなければと私は思い、その声のする方向へ泳いで行こうとする。しかし人生はそんな私の気持ちと裏腹に私を後ろへ押し流そうとする。前へ前へ、後ろへ後ろへ。上手く進めず、溺れるように水を飲んでしまう。泣いている、誰かが泣いているんだ。私はそこへ行き着きたいのに、人生はそれを許さずに私を後ろへと流そうとする。
次に目を覚ました時には私は柔らかな木の下にいた。暖かいが、日差しの無い曇天。木は細く細く、曇天に突き刺さるように伸びている。風も無いのにしなり、私の腹へ胸へ顔へ、不規則な影を投げかける。泣き声をぼんやりと思いだした。もう既に泣き声は聞こえなくなっていた。私が遠くへ流されて、もう泣き声が聞こえなくなってしまったのか。それとも私の知らないうちに泣き声も押し流されて、私を追い越して消えてしまったのか。いずれにせよもう泣いていなければいいのだけど。木がしなる。揺れる細い葉を見ながら、私は何を思えば良いのかを考えた。こういう時、人間は何を考えたら良いのだろう。正解など無いのは分かっている。しかし、正解を求める。
ここはどこなのだろう。私はどこへ流されたのだろう。人生は質量のある勢いで私を押しやって、そのままどこかへ消えたのだろうか。私は今どこにいるのだろう。ここにいるのは私なのだろうか。そうだとしたら私の人生はどこへ行ったのだろう。どこへ。
ぽつり、雨が降り始めた。決して大降りではないが、しかし着実に私を濡らしていく。このまま仰向けに空を見ていたら全身濡れてしまうと思い私は立ちあがる。辺りを見渡す。私の屋根になってくれそうなものは無かった。やれやれ。天に向ける表面積を狭くして耐えるしかないか。そう思ってもう一度辺りを見る。すると先ほどまで柔らかにしなっていた細い木が、同じく細かったはずの葉を大きく開いて、堂々と立っていた。まるで自分に振りかかる雨粒を全て受け止めようとしているかのように、葉を広げ、揺らぎもせずに真っ直ぐと立っていた。私は驚いたが、慌てて木の下へもぐった。雨は降り続けている。しかし私はもう濡れない。
雨が止んだ途端、また木はしなしなと揺らぎ始めた。不思議な木だ。もしかしたらこの何も無い場所で生き残る為に身に付けた能力なのかもしれない。ここではどれくらいの頻度で雨が降るのだろう。誰かに聞こうと思っても誰もいない。私はこの不思議な木と二人、人生に流されてこの何も無い場所に立ちつくす。ここはどこなのだろう。私の人生はどこへ消えたのだろう。
それから数日が過ぎる。私は相変わらず、何も無いこの場所にいる。時に木の下で睡眠をとり、雨が降れば木の下で立っている。たまに辺りを歩き回るが、特に収穫は無かった。不思議と空腹感は無く、違和感を感じられない事に違和感を感じてしまうほど、自然な形で生きた。雨は一日に二回ほど降る。その度に木は葉を開いて、一滴たりとも逃さないように雫を受け止める。
川は盛大な勢いで流れ、海へ飛び出そうとする。その中に溺れてしまった全てを巻き込みながら。そして日差しの元、天へ上る川は、ある時冷えて地に降り注ぐ。押し流された私は水を恐れ、逃げまどう。しかしこの細い木は、恵みの雨、と全てを抱き締める。私は人生により失われ、人生は私に戻る術を無くす。しかし世界はそんな人間たちの人生を糧に、命を燃やし続けるのだった。