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- 2024.01.22 Monday
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表現力を上げるには何をすべきか、と考えた時に、やはり色々な感情を抱くこと、というのを提示したくなる。そして色々な感情を抱く為には何をすべきか。これは目に見えた答えかも知れない、恋をすればいいだろう、と。つまり表現力を上げる為には恋をすべきで、表現力を上げたいと思う人間が恋をしたいと思うのも至極真っ当な事なのだ。…というだけの理由で恋愛が出来たら誰も困らないんだろうなと思ったけど。
恋はきっと脳ですることではない。言ってしまえば、脳というより子宮でする方が、本物の恋愛に近いものが出来る気がする。脳で考えて誰かを好きと思える間は、正直いつだって引き返せる。鈍くなった頭が何かを思い込もうとしている途中過程に割り込んで、その好意的感情を勘違いと処理するように思い込めば、まだ戻ってくるのにそう時間はかからない。しかしこの感情が本能を擽り始めた頃には、もうなかなか戻ってくるのは難しい。その頃には対象者は求める余剰ではなく取り返したい欠如になっている。だから、理性が動く間に恋愛について必死で考える必要がある。そういう風に解釈することがある。
脳味噌で恋愛をしている間は、ある意味「誰でもいいから」の状態だ。何せ追加で求めているだけの余剰。ほぼ完全体の自分自身の上に乗っけるおまけ。勿論豪華だったり質素だったり、それぞれのおまけの品質は違うだろうけど、それでもおまけがつくこと自体は変わらない。だから、「誰でもいいから」状態。それはある意味でアンテナの受信範囲が広くていいことでありながら、同時に誰も心から、体から、全ての面において、愛せていないことを示す。生々しい痛み。
理性をオークションにかけて売ってしまえるのならば、誰か欲しがって買ってくれるだろうか。粗大ごみに出していいならば、棚と冷蔵庫の間にこっそりと挟んでいていいだろうか。理性とはそういうもので、人を思い込みの力から救う。その代わりに、痛みに気付く冷静さを残す。あるいは本能を売ってしまえばいいのか?否、それでは感じる思いが制限されて、私の言葉の引き出しは開かない。
後悔は死ぬほどしてる
その分だけ快感を呼び覚ます
所詮精神的人柱だと思っている節がある。
無論、本当に本気になれた方が幸せに決まっている。もう過去は全部過去に任せて、今現在そして未来を生きていくにあたって、本当に本気になれることが一番幸せな結末だとは思う。それは、自覚している。それでも、何だろうか、何となく、きっと捨て駒にしてしまうんだろうなあ、と思う私もいる。
You know, I still can't just go off, looking like nothing has happened. Yes, something did happen, and it did give me great damage. I can't lie to anyone about that, and whom I could lie to, wouldn't be a someone I would really 大事にする。 If treating someone really specially and faithfully means being honest to them, I'm sure I won't be able to have someone I could face in a really sincere way for a while. It's not because of that someone who broke me into pieces, it's just me who's wrong. I'm not supposed to walk on at this point, but yet, I can't help.
It's not a really nice thing to do, of course I do understand that. Well, so what? That's what I'm doing, and that actually has nothing to do with my inner faith. I can't handle it. It's out of control; it goes to a nowhere where I can't reach. My morality, where the hell are you going? Who are you trying to hurt, if it's not your true will?
Don't let yourself a naughty girl, I say to myself. But hey, then what could I do? Don't give yourself someone to damage by a sharp piece of your broken heart. Where the hell have my ethics gone? I wouldn't love to be a someone who is so... so nasty. But then, what could I do? Everything is out of control. Someone watching out there, come near and help me. And the next thing I do is to hurt him to. Ha ha ha.
という、まあなんというか、最低な話でした。
ははは、悪魔。
最近はこの時間まで平気で起きている。勿論その反作用としてというか、ばっちり朝は起きられません。本当は明日の朝10時から病院で予約取ってるのにな。いい加減寝なくちゃまずいんだけどな。
何をしてこんな時間まで起きているかと申しますと、今日に関しての話で良ければ、水曜の予習です。ゼミじゃなくてゼミの先生の演習の授業の準備。一応明後日なんだけどな。気が早いんじゃなくて、二日前の段階である程度手を付けとかないと前日に死ぬ羽目になる事が二週間でよくわかったもんだから。水曜だけが午前から授業が入っていて、朝に慌てて予習なんて高度な手抜きは出来ない。正直そんなレベルじゃ太刀打ち出来ない。大変な授業ばっかり取ってるけど、その分楽しいよ。
私の一週間のうち半分は月曜に終わり、残りの半分は大事な何かと共に水曜に終わります。っていうのが三回生の時間割が確定後私がずっと言ってること。実際は金曜だってなかなか面白い時間割なんだけど(ちなみに三限朝鮮語・四限フランス語・五限英語ネイティブ)、それがおまけに感じるくらい月曜と水曜がきつい。火曜は一時間だけだし講義だからそんなにしんどくない。
月曜は、アメリカ文学の授業で短編小説を読み解いて、通訳の授業で膨大な範囲の単語テストをされ(準備が死ぬ)、イギリス文学の授業ではやっぱりまた小説を読み解く。一番楽しいのは案外イギリス文学だな。先生が鬼畜で有名なんだけど、その所為か凄く少人数で小さなゼミやってるような気分。意見も言いやすいし、予習に指定されてる内容も分かりやすい。アメリカ文学は好きなんだし、先生も凄く人気のある人なんだけど、多分私はあんまり相性良くないな。何となく先生の持ってる一つの答えに誘導されてるだけな気がしちゃうんだよね。自分で考える機会があまり感じられない。そういう些細な差ってでも、誰を師匠というか恩師というかそういう存在にするか決める段階では大事なことだよね。
私自分のゼミの先生の事をカリスマって呼べる。これまた凄く人気のある先生なんだけど、それは緩いからでは決してない。そこそこ厳しいし、授業スピードは曰く「アメリカの大学に匹敵する」。それでも、本来専門分野じゃないはずの人すら講義を見に来るのは一重に先生の人徳故だな。先生の授業が受けたいからわざわざ火曜日に学校出てくる友達もいる。先生と話しているとプレッシャーも感じるけど(かなり)、でもそれは期待されてるからとも思える。頑張らないといけないなあ、と思う。そんなわけで三回生からは本格的にちゃんと勉強してますよ。
しかしもう三時か…明日何時に起きるつもりなんだろう私は。ここ最近の寝坊の仕方は酷い。八時に目覚ましをかけて、十時にメール受信で起きるっていう。三限からの日だったから良かったけど、これが水曜日だったらその段階でもう遅刻決定だね。何とかしなくちゃなあ、生活リズムが酷く後退してる。というわけで、寝ます。おやすみなさいまし。
最近はtwitterで考え事をしてブログでそれについて更に考えるという二段構成が完成しつつあります。両方見る方は内容が被ることもあるとは思いますが、宮崎の思考パターンは短いところから長いところへと移っていくので(小説書かせてもそう)、仕方ないです。悪しからず。
もしあの時、もっと心に強く誓っていれば。そういう、たら/ればの話はいらないのだけど、でも考えてしまう。あの時、ああきっとこれ以上に思う人は今後いないだろうし、作ってはならない、と感じたこと。それ自体は、幼くて拙い思いではあったけれど、否定しない。確かに感じたことだった。さてその中身を覆したか、と言われると、首を傾げる他ない。あの後に思った人はいるけれど、そしてその人に生半可な気持ちで焦がれていたわけではないけれど、じゃあそれが「あれ」以上だったのかと言われると、さすがに。だって「あれ」以上ということは、ここで今これを書いている私は存在しないはずだから。
しかしたまに思う。もしも、今後という可能性を否定し拒絶もするのであれば、それをもっともっと強く信じようとするのであれば、私は本当に全てを終わらせればよかったのではないだろうか、と。時折頭を過った消滅への願望。切望。それなりに色んな事をしてきた人生だったけど、ただあと少し度胸があれば、あと少し、絶対的な覚悟があれば、私はこの誓いを完全なものに出来ただろうにと思う事がある。始まるものは全て終わる世界の中に永遠が存在するとすれば、それは完全な終わりの後にしか存在し得ない。
あれを経験した後の人生。私は盲目的であり依存的である人間だから、その時その時で誰かや何かに嵌り込んでしまう。その度に、ああこれ以上はきっともう出会わない、と思う事がある。けれど。そう思いつつも、頭のどこかで、それを言葉にすればするほど、きっと未来でまた似た事を繰り返すのだろうな、と思っている。もう二度と恋愛など出来ないだろう、これを凌駕する人など現れないだろう、と思いながらも、いつだってまた新しい誰かを見つけてくるのだろうな、と。そういう不毛な繰り返しの中で、いつか死んでいくのだろうな、と。
その無限ループの苦しみや虚しさを思うと、いっその事あの時に全てを終わらせていれば良かったかと考える。大切なあの人に絶望的な痛みで私の存在を刻みつけたまま、永遠をあげてしまえたなら。そうしていれば、その一撃の痛みと引き換えに、私はそれ以上傷つくことも傷つけることもなかっただろうな。という、酷く酷く利己的な仮定法。実際にそうすることはなかったし、一定条件が揃わない限りそれを今から実行することはあり得ないだろう。物事には適時がある、今はもう過ぎ去ってしまった時間だ。それでも、思うことはある。永遠をあの時もっと強く心に誓えていれば、私は他に誰を思う事も無かっただろうし、つまるところ貴方には争うべき対抗馬すらいないまま、私の中で絶対であるままにいられたのに。
全ては今を生きる上で意味のない戯言たち。私は今ここに生きているし、死ぬことを保留しているし、貴方が教えてくれた絶望的な世界の中で愛を搾取しながら悶えている。いつか全てが終わった時に、貴方の事を少しだけでも思い出せたらいいなあ。
例えば何を幸せと判断するかによって、人生は大きく変わる。
逃げることは容易いよ。進むのをやめれば、時間だけが進んでいくから、あなたは必然的に世界から離れていくことになる。能動的に、例えば後ろを振り返って走り出す、などしなくても現実から逃げるには、ただ受動的に、前へ前へ進みゆく未来を立ち止まって眺めているだけでいいのだから。目を閉じて、十数えて、その間にあなたは十数えた分だけ世界から離れている。逃げることは容易いよ。着いていくことの難しさ、厳しさを嘲笑うようにして。
アルバイトの面接は、何だか素敵な気分になった。面接先の歯科医を訪れる。綺麗な病院。19時半からの予定が、珍しく急患が入ったらしく一時間ほど待たされる。椅子の座り心地も良いし、緊張はするけどそんなに苦ではない。何度も受付兼助手のようなお姉さん(後に判明するが院長夫人、若い)が「ごめんね、まだ時間大丈夫?」って気遣ってくれる上に挙句待合のテレビつけてくれた。はねとび久々に見たなあ、まなちゃん可愛かったなあ。急患が落ちついたので面接開始。院長夫人とお話。履歴書を見て、「実家は須磨?垂水?」。私が出した情報は小中高校名だけ。えっと思って、西区ですって答えたら、「そうなの、第三学区だね」って言われる。はて、と思ったらご実家が垂水だとのこと。小中高全部に知り合いいるよって言われる。和んだ。
院長先生登場。若い。柔らかい雰囲気で面接。最後に、あっ、って顔をして立ち上がられて、一時間も待たせてしまったのでお詫びの品を、と裏に引っ込みはる。えっえっ良いのにそんなの、と思ってたら、プロ仕様の歯ブラシ数本と歯磨き粉を持って再登場。ご家族の方と使ってくださいとの事。わお、なんてこと。しかも遅くなってるから、と言って車で家の近くまで送ってくださった。その車中で医院としての方針や野望を聞かされる。何というか、私バイトの面接に行った学生なんだよね?何だこの素敵な対応。
まあ、他にもバイトを募集してるから、シフトに入れる日などの兼ね合いで採否はまだ分からないとのこと。一週間後あたりに連絡貰えるらしい。入れる日数が多くないからちょっと不安だけど、でもあんなに良いところで働けたら嬉しいなあ。歯科医はあんまり行かないけど、病院自体はよく行く私だから直観的に分かる、ここの病院は良い。患者として。じゃあ、そういう病院で働く側にもなってみたいよね。あー、受け入れてくれないかなー。
なお、この面接の直前までゼミでぶちのめされてました。アメリカ演劇ゼミついに本格始動。劇作品の前半部分を読んできた上で、担当のあたっていた先輩方二人があらすじ解説。それだけで授業時間の半分は議論できるという凄さ。更に、二人が各々設定した議論テーマ、考察の発表。それを受けてのディスカッション。考察を聴いてる段階で呆然としてた私は、ふと小さな教室を見まわしたわけだ。四回生の先輩方と先生はシャーペン片手に凄い顔して書き込んでる。三回生の同級生たち、私も含め、はシャーペンを持つことも諦めて圧倒されてる。隣にいた子なんてちょっとうとうとしてた。何だこの一年の差。大体何をそんなに書き込むことがあったのだろう。分からん。難しい。
授業後に三回生全員(七人)と先輩一人で雑談。七人の共通意見、魂抜かれた気分。あんなんどないしてするんだろう。それを聞いた先輩は笑いながら、そりゃ今そう言ってくれないと俺らの一年間何やってんって話やろ、と。うわー一年後あんな風になるはずなのかー。ゼミって怖いな。凄いな。
滅茶苦茶しんどいんだよね。読書量予習量、更に基礎教養量が問われる。でも、メンバーも居心地がいいし、しんどい分楽しい。何でこのメンバーって、ほとんどが今まで知ってはいたけど絡んだ事ない相手なのに、こんなにやりやすいんだろうって思ったら、皆やる気があるからなんだよね。ここのゼミを選んだ段階でやる気のない奴はいない。ゴールデンウィーク明けには七人全員で授業でも扱う劇を梅田に見に行く。七人全員でだよ。来週のゼミ後は同回生で集まって遊ぶんだよ。仲良しだよ。先輩にびっくりされた(笑)。共通目的を持って励める仲間って、良いなあ。
強くなれる気がする。強くなる二十代にするための、はじめのだいいっぽ。
緩やかに、緩やかに素敵な位置づけをしていけたらと思うのだけど、その度に軋み音を上げる心の中で一番硬い部分。それに気付かない振りをして、宥めすかして、半歩ずつ進んでいく。遠い絶叫のように響く声には耳を塞いで、目をかっと見開いて、歩む。吹き付ける風が目に痛むけれど、怯んでぎゅっと閉じてしまえば浮かぶのは誰かの姿。それから、その優しい幻想から逃げなければ、私の人生は進んでいかない。そう思って必死で、全ての神経を前方だけに集中させているのだけど、だけど、時々風が止んで静かになった世界に言い知れぬ物足りなさを感じるんだよ。
花粉症こんにちはしました。週末から度々言ってきた鼻の反逆は薬によって緩和されました。喉はとってもいがらっぽいけれど、先生曰くそんなに赤くなっていないらしいので風邪の可能性は低いだろうと。口の周りが酷い肌荒れ状態で辛いです。何って口裂け女的な部分が爛れてから乾燥した所為で口があんまり開かない。開くとぴきっていく。痛い。
そんな状態ですが明後日バイトの面接行ってきます。何その前触れのない感じ。バイトの面接行くよ。ちょっと遠いんだけど、歯科の受付。病院の良いところって夏季、年末年始がお休みになるところだと思う。私の応募先なんかGWも休み宣言だよ。こんなことばっか言ってちゃ駄目かも知れないが、結構私にとっては大事なこと。詰めて働きたくないし(笑)、帰省も大事にしたいけど、あんまり必要以上に周囲に迷惑もかけたくない。だったらなるべくそもそもが休みになってしまう業界に飛び込んでいたいのよね。アルバイトの間はね。受かったらいいなあ。
ちなみにバイトの話を友達にしたら晴香は病院が似合うよねって言われた。反論できないっていう事実自体がフクザツ。中学時代から保健室に行ったら私に会えるかもね状態だったわけで、何なら後輩の男の子たちと保健室で仲良くなったような奴だからね。高校も学校にいたとして一日の半分(各授業の半分)は保健室で過ごしてた、なんていう時期もあったし。大学の医務室は足を捻挫したただ一度しか行ったことないけど、通院頻度はおそらく平均を大きく超えてるだろうなあ。病院が似合う、かあ。喜ばしくない。今更だけど。
予習とか復習とかに追われているけど、それが学生らしいってもんかもね。やりたい事ばかり選択して勉強してるんだから、しんどいくらいが素敵でしょう。この際だから怠け癖も直して根性たたき直そう。
女の子であるということ、女性であるということ、あどけない姿であるということ、大人であるということ。全てを同時に手にして良い、あるいはし得るのは、今だけなのだろうから、妥協していてはいけないと思う。
ハンドクリームを無くしたもんで(多分実家のどこかにある)、新しく買った。手がガサガサになると一気に歳を取ったような気分になってしまう。えらく黄味がかった、でも節々の赤い、潤いのない手は、まだならなくていい。ほんとに白いねえって言われる、若い手でいたいの。あとその為に、数年ぶりに自分の意思で日焼け止め買った。毎年違うものを買うのは毎年毎年買った日焼け止めが肌に合わないか気に食わないかでリピートしないから。それどころか使い切らずに半分近く残ったのが何個かあるような気がしないでもない。今年のはあたりだと良いのだけど。もう二十代、保守的になっても良いころかも知れない。
ヨガのポーズで、名前を忘れてしまったのだけど、うつ伏せから腕を後ろにびよーんと伸ばす姿勢があるの(全然分からんな)。昨日の午後必死で予習してたら肩と背中が死にそうになっていたけど、そのポーズ取ったら一発で収まった。素敵。肩こり首こり背中こりは昔から私の大敵。酷い時は寝付くことすら厳しくなるし、呼吸だって苦しくなる。こういう時にストレッチだとかヨガだとかを取り入れて緩和出来るようになったのは成長だなあ。ただそもそも凝らないように気をつけるところまではなかなか行きつかないけれど。
あとは、そうだなあ、花粉症になった可能性がある。昨日だか一昨日だか以降鼻が酷い。でも室内にいる時が酷いから花粉じゃないのかも知れないなあ、分からない。喉もいがいがするけど、咳はまだ出てないから大丈夫。咳が出だしたらまた薬を増やされかねないので本当に嫌なんだよね。咳が出ないなら風邪の方がいい。咳が出るなら花粉症の方がいい。くらいの感じかな。外にいると目がちょっとだけ痒くなるけど、それは花粉症じゃなかった今までの年もこの時期は黄砂でアレルギー性結膜炎起こすから判断基準にはならない気がする。喉のいがいがは辛い。たまたま喘息の薬で痰切りを貰ってたから飲んでいれば少しは楽かな。
いい加減ダイエットに走っても良い頃だな。理性と本能が、じゃなくて、理性と理性が、喧嘩して仲違いしてる気がする。でもまあ、いいじゃない。人生など成り行き次第、究極のアドリブ劇で、毎日が千秋楽なのだから。