少し弱っている気がするので文章でも書こう。何で弱っているんだろう。9月は終わりに差し掛かっている。季節が変わる。私が崩れて行った季節だ。何年経っても、この季節はトラウマだ。忘れられない、あの白い顔。
この間、ブラック・スワンをやっと見た。怖いという噂は聞いていたけれど、見てみたいとずっと思っていた。映画嫌いなこの私が。横で見ていた恋人は完全に怯えきっていたけれど、私は怖がるどころかどことなく引き込まれていって、最後には妙に納得していた。そうだよね、やっぱりね、って。それは、語られるより先にネタが分かってしまう不快感ではなくて、もしかして、と思っていたところにしっかりと落ちてくる快感に近かった。すごく、苦しいほどに痛いほどに、あの感情は分かる気がする。もちろんあんなに美しく、あんなに狂気的に、表現することが出来る日などこないだろうけれど。でもきっとあの感情を理解出来る人は私以外にもいるだろうし、誰だってどこかに要素としては持っているんじゃないかなと思う。それを恐怖と感じるか、快感と感じるかの差はどこかから生まれるけれど。
私の感情は基本的にあまり美しい物では構成されていない。嫉妬、執着、未練、劣等感。蔑ろにされている気がして傷ついてみたり、傲慢になってみたり。こんな自分はあまり好きではないけれど、でもこれが自分なのだから困ったものである。時たま襲われる、誰かを刺してみたり、誰かの携帯を思いっきりに壁に投げつけたくなる衝動。実行したことは、ほとんどない。ほとんどというのは、自分だって誰かであるという考え方に則って。壊れてしまいたくなる。壊してしまいたくなる。誰かの悪口を言いたい。ちがう、悪口を言いたい誰かがいる。でもきっと私はその人の悪口を言う事が許されていない。そういう対象の人じゃないから。どう考えたって私が負けるから。でも私が負けるからだとかそんなくだらない理由を掲げているあたりが、もう本当に駄目だなと思うけれど、どうにも出来ない。損得勘定をしながらじゃないと生きていけない。
ここで言えば、きっと私はほとんど誰も傷つけない。誰にも覗かれていないとして、だけれど。だから少しだけ、そっとだけ、言わせて。気の利くことと、気の遣えることは、少し違う。あの子は天才的に気が利いているけれど、少なくとも私にとって、気を遣える子だという判定は出来ない。あの子の「よく出来る子」「いい子」加減は、周りに圧迫感を与えんばかりの勢いだし、恐ろしく無神経だなと思う部分もある。きっとそれはあの子が間違いなく「いい子」であって、それによるコントラストの所為もあるとは思う。私にとってああいう子は脅威だ。自分に出来ないことが沢山出来て、自分ならすること/しないことを良くも悪くもあっさりとやってしまう。そして何より、周りからの評価と評判は恐ろしくいい。これを読んだだけで誰の話をしているか分かってしまうかもしれない。それでも構わないかな、と思ってここに書いた。私はあの子が苦手だ。決して外では誰に言う事も叶わない。叶わないから、色々なことを飲みこんだまま過ごしていくこととなる。分かるかなあ、誰かのことが苦手で電車を爆破したくなる気持ち。ふつふつと、破壊衝動。
何も出来ない自分が何よりも誰よりも愚かなのに、全部誰かの所為にする。自分の向かう方向も分からなくなっている癖に、全部誰かの所為だ。しっかりしろ、私。苦手なものは苦手なままでもいいから、しっかりしなければ。