全てを、何もかもを、明かすような人間がいるのかどうかは知らないけれど、きっと言葉に深みや味わいを授けるのは、どこかに隠されている真実なんだろうと思う。隠している、隠さなければならない、それでいて、本当は明かしたい、真実。一種の美しい神聖さを纏う真実。触れたいけれど、触れることのできない。抱きしめてほしいけれど、晒すことのできない。そんな真実。
以前から自分自身の感覚としてそういう気持ちになることはあった。改めて思うようになったのは、出典不明ではあるけれど、私の大好きな歌姫がかつて歌に投影していた思いを耳にしてから。表現は全てが何かのメタファーであるとしたら、そのメタファーが深ければ深いほど、表現は重みを増すのかもしれない。そして、私の専門とする劇作家に関しても、全盛期と晩年の作品には大きな差があるけれど、晩年には彼の大きな秘密は明らかになっている。もう隠すことが、守るものが、なくなってしまった人間の表現力は、一気に落ちていってしまうのだろうな。
痛いのも好きよ、でも、治りかけの傷の、柔らかく膨れた桃色も好きなの。
美しい表現が静かに静かに、守っている、癒されない傷。それを私は暴こうとする。そこに何かが眠っていることを直感的に知っているから。この直感を言葉で説明出来たならばきっと物事は楽だったのだろうけれど、まだ私にそこまでの技術と知識は備わっていない。つまり、その為にも技術と知識を身につけなければならない。眠る真実を、起こしてしまわぬように、そっと取り上げるために。
嘆きも、怒りも、虚しさも、孤独も、大切に扱ってさえあげれば、私の一部となっていく。傷つくことを恐れない、わけには、いかないけれど。傷付いた傷も、その痛みも、美しく見えるように、目を身体を適応させることも成長なのだろう。