9月中は全く更新しなかった。これは多分、このブログを初めて数年経って、はじめてのこと。何があったわけでもないし、元気にしていた。忙しくアルバイトしたり旅行をしたり。パソコンを触る頻度は減ったかな。スマホ中毒ってやつ。きっと、誰にも聞かせられないけれど誰かに聞いてほしい叫びが減ったのだろう。もちろん今でもあるには違いないけれど、随分減った。その痛みは私の原動力だったし、私を殺しそうでもあったけれど同時に生きる理由でもあった。それを失いつつあることは苦しみでもある。もちろん、喜びであることも否定はしないけれど。
私は幸せになるべきではないと常々思う。その資格がないとかそういう話ではなくて(たしかにあるのかどうかは分からないけれど)、何と言うか、幸せになると生きている意味が見出せなくなってしまう。今の私は別に死のうとはあまり思わないけれど、その代わりにあまり生きることに執着も出来なくなっている。それが普通なんだよ、と、誰かは言うのかもしれないけれど、多感な時期を必死に必死に生きてきたからこそ、こうも「生きなくちゃ」と思わない生活は、どことなく不安になる。嫌いだからこそ好きだったものと同じように、負の感情が薄れると正の感情も薄れてしまう。今は(時々崩壊しかけるけれど)かなり安定している状態で、どうも不安になる。私は幸せになるべきではないと、やはり思う。
きっとだけど、大学院に入学したら今のように動かせない物事が一気に増えるのだろう。あ、私の専門はアメリカ演劇とセクシュアリティです。こっそり私信ですめっちゃ遅くなってごめんなさい。普通に働くよりはきっと向いているだろうと思うけれど、どうもフリーター呆けしているから、半年後に学生に戻った時に戻りきれるか一抹の不安はある。今が何せ自由の利く身分だから、例えば遊ぶ予定にしても相手に合わせることが出来る。私は多くの友人たちとは違う道に進むから、きっとこれからは合わせてもいられなくなるだろう。課題もとっても増えるだろうし。楽しみでもあるのだけど、とても不安でもある。
それより何より、英語全然やってないからとっても不安。笑。3歳のときから英語のある環境に放り込まれっぱなしだった私にとってこの一年間は、出会って以来初めてほとんど英語と接触する機会のない一年間だった。中学高校でも一応授業はあったんだし。たまーにバイト先に外国人が来る時を除いたらほっとんど英語と関わらない生活を送っている。来年度からはまた死ぬほど英語読んで書いて話すわけだけど、大丈夫かしら。
ぼんやりと生きていて、あまり輪郭のない人生になってきたなあと思う。それが普通だよと誰かは言うだろうけれど、鮮やかな日々を走り抜けてきた私には、なんとなく掴みどころがなくて、しんどくなってくる。それが秋だと言われればそうなのかもしれないけれど、どうしたらいいんだろうね。まだまだ、わからない。