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    静かに沈む夕陽を君と見た湖

    • 2013.10.22 Tuesday
    • 17:13
    更新頻度が下がっていることもあり、特別何かを言うことはなかったですが、実はさりげなくこのブログの誕生日をまた越えました。何年目や。私が14歳のときからやってるから、そんで今22歳やから、8年?ここのところの計算がとっても弱いのが私です。毎年数え間違える気がする。しかしまあ、10年も見えてきたな。書く頻度は本当に落ちてるけれど、それでも時折書くとすっきりする。ちなみにこれが1708件目の記事です。

    楽しいことの後ろで、本当に本当にさりげなーく心配な事がいくつかある。ささやかな事ばかりだし、この不安は私を滅ぼすようなものではないけれど。多分人の心配する余裕がある故だと思う。残念ながら私にとっては珍しいことだけど。大丈夫かなあ。

    ところで、本格的に話題は変わりますが。私太ったなあ。笑いごとに出来てるはずだったけど、コンタクトはめたままお風呂入って鏡見て唖然とした。これはひどい。これはひどいと思ってた画像とおんなじような肉体が鏡の中に存在してた。ひどい。憎々しい(肉々しいと打ちたかったのだがそんな日本語はないのか)。

    大学院生なんてさあ、ある程度お洒落してちゃんとしてないとさあ、本当にただ勉強しか出来ない人みたいだよなーと思う。いや、実際お勉強はたくさんしなくちゃいけないし、それが出来ないようだったら院生になるべきではないと思うよ。でも、世間様の印象というか。もっと上の世代なんかは、女性で院生なんかになるなんてぱっと結婚出来ないから勉強とか研究に走るんだと考えたりするくらいなのだし。遺憾ですが。しかし私とてそれを分かっていながらわざわざのっぺりした院生にはなりたくない。のっぺりした印象を与える勢いで勉強はしなくちゃならんけれど、それとこれは別で。大体、ちょっとくらいすっきりしてた方が頭良さそうじゃない?勉強馬鹿よりスマートな感じの方が色んな意味でスマートじゃない?というわけで、入学までに意地でも痩せます。あとお金溜めてもうちょい服買います。

    今日はこれからバイトだから短めで済ませることにしよう。働くお金稼ぐ自己投資する。

    「どうしてどうして強くなれない?」

    • 2013.10.09 Wednesday
    • 16:41
    またエディター変わったのね。使いやすいのだろうか。ずっとシンプルエディター使ってた身だから、とんでもなく違和感ある。見やすいっちゃ見やすいんだけど、全体像が見渡しにくい幅なんだよね。あと書き出しのカーソルが見えないのはちと不便。慣れるまでの問題なのかな。

    ポルノグラフィティの「瞬く星の下で」「青春花道」をようやく購入したのが数日前。瞬くに至っては3月に発売されてるのに。ファンクラブ会費払う前にCD買いなさいよっていう気もするのだけど。ちなみに今月(というか数日後)にはまた新曲発売されて、来月にはこれらのシングルも含む全シングルベスト出るわよ。どうせ買っちゃうんだよな。バイト先にもう一人ポルノファンがいるのだけど、その子とも買っちゃうんだよねーって話をしていた。仕方が無いんだよね。ついつい。

    表題曲はどっちもまあ、そこそこ好き。大好き!ってほどにはまだならないけれど、青春花道なんかはライブ化けするのかな。この中で一番好きなのは瞬くの方の三曲目、「むかいあわせ」かな。音の動きとか、雰囲気とか、歌詞とか、とても好き。ただ、岡野の歌い方がちょっと、曲のイメージとは違う。こんなに跳ねるような歌い方する雰囲気なのかなあ、と。まあ、ふと聞きたくなる瞬間に思い出してるのがあの癖のある歌い方だから、ある意味はまっているのか。あと、歌詞も好きだけど、コンセプトはよくわからない。でもこれに関しては、全ての歌詞に言葉にひとつのコンセプトしか当てはまらないのかというとそういうものではないだろうから。自分のその時々の想像でいいかなって。

    瞬くの歌詞にある「人は真実か嘘かをことさら知ろうとするけどそれは長い時の中何度も入れ替わる」っていう歌詞が、好きだ。結局のところ、真実とか疑いとか、そういうものは気持ちの問題だから。私はそういう風に思うようになっていたし、私以外にもそういう感じ方をしている人がいるのだと思うと少し嬉しくなった。悲しい喜びだけれど。事実というものは揺らがないかもしれない。それでも、真実は何度でも揺らぐ。それは仕方が無いことなんだよ。私がどれだけ強く何かを信じようとしても、それを明日の私も信じたがるかは分からない。今日の私が未来の私に強制することはできないし、過去の私が今この瞬間の私を殴ることもできない(したいかもしれないけれどね)。明日の私が疑ったことを明後日の私は信じようとするかもしれない。それは本当に仕方が無いことだ。ころりころりと気持ちが揺らぐ間、たったの一度も「事実」は変わらないのだけど、「真実」はそれでも変わっていく。好き、嫌い、好き、と、花弁を一枚一枚ちぎっていくように、最後の一枚が消えてしまうその瞬間まで、誰も答えは分からない。

    美しいものがいつまでも美しくあることはできない、から。消えゆく美しさをどう生かすかで、我々の生き方は変わってくるのだろう。

    消えてしまえと手を振る眼前の景色

    • 2013.10.06 Sunday
    • 19:30
    9月中は全く更新しなかった。これは多分、このブログを初めて数年経って、はじめてのこと。何があったわけでもないし、元気にしていた。忙しくアルバイトしたり旅行をしたり。パソコンを触る頻度は減ったかな。スマホ中毒ってやつ。きっと、誰にも聞かせられないけれど誰かに聞いてほしい叫びが減ったのだろう。もちろん今でもあるには違いないけれど、随分減った。その痛みは私の原動力だったし、私を殺しそうでもあったけれど同時に生きる理由でもあった。それを失いつつあることは苦しみでもある。もちろん、喜びであることも否定はしないけれど。

    私は幸せになるべきではないと常々思う。その資格がないとかそういう話ではなくて(たしかにあるのかどうかは分からないけれど)、何と言うか、幸せになると生きている意味が見出せなくなってしまう。今の私は別に死のうとはあまり思わないけれど、その代わりにあまり生きることに執着も出来なくなっている。それが普通なんだよ、と、誰かは言うのかもしれないけれど、多感な時期を必死に必死に生きてきたからこそ、こうも「生きなくちゃ」と思わない生活は、どことなく不安になる。嫌いだからこそ好きだったものと同じように、負の感情が薄れると正の感情も薄れてしまう。今は(時々崩壊しかけるけれど)かなり安定している状態で、どうも不安になる。私は幸せになるべきではないと、やはり思う。

    きっとだけど、大学院に入学したら今のように動かせない物事が一気に増えるのだろう。あ、私の専門はアメリカ演劇とセクシュアリティです。こっそり私信ですめっちゃ遅くなってごめんなさい。普通に働くよりはきっと向いているだろうと思うけれど、どうもフリーター呆けしているから、半年後に学生に戻った時に戻りきれるか一抹の不安はある。今が何せ自由の利く身分だから、例えば遊ぶ予定にしても相手に合わせることが出来る。私は多くの友人たちとは違う道に進むから、きっとこれからは合わせてもいられなくなるだろう。課題もとっても増えるだろうし。楽しみでもあるのだけど、とても不安でもある。

    それより何より、英語全然やってないからとっても不安。笑。3歳のときから英語のある環境に放り込まれっぱなしだった私にとってこの一年間は、出会って以来初めてほとんど英語と接触する機会のない一年間だった。中学高校でも一応授業はあったんだし。たまーにバイト先に外国人が来る時を除いたらほっとんど英語と関わらない生活を送っている。来年度からはまた死ぬほど英語読んで書いて話すわけだけど、大丈夫かしら。

    ぼんやりと生きていて、あまり輪郭のない人生になってきたなあと思う。それが普通だよと誰かは言うだろうけれど、鮮やかな日々を走り抜けてきた私には、なんとなく掴みどころがなくて、しんどくなってくる。それが秋だと言われればそうなのかもしれないけれど、どうしたらいいんだろうね。まだまだ、わからない。

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