ここのところ、セーラームーンブームが私の中で再燃しています。
いやあ、思うの。懐かしいし、もうムーンライト伝説聴いてるだけでときめくし。もう、これぞ私の幼少期。色んなものがセーラームーンを通じて目覚めてしまったし、もうね、純粋に見れるうちに見といてよかったと思う。これを見たのが思春期頃だったらまた感じ方は違っただろうなと。幼い頃に、よくわからないままに見ておいてよかった。今見返すと、新しい感覚に出会えて楽しい。
もうね、はるかさんかっこいい。
同じハルカを名乗るのが恥ずかしくなるくらいかっこいい。みちるさんになりたい。なんならみちるさんになってはるかさんと仲良くしたい。いやまあみちるさんになりたいなんて言ったらみちるさんに怒られそうだけど。なんなら怒られたいけど。もうね、かっこいいのよ。はるかさんというかみちるさんというかどっちもかっこいい。あとほたるちゃんかわいい。切ないけどかわいい。切ないといえばせつなさんも切ない。良い人だろうに影が薄い。めっちゃ重要人物なのに。冥王星が太陽系の惑星から外れて一番衝撃を受けたのはきっと天文学者じゃなくてセーラームーン好きの女性たちだよ。
という感じで、わりとリアルタイムで見ていた頃から外部太陽系の皆さまが好きでした。いやね、内部の皆も好きなんよ。まこちゃんとかすごい好きだったんよ。でも、なんというか、ときめき?萌え?みたいなテンションの上がり方は外部の皆さまだったなあ。内部の四人は内部の四人まとめて好きだったんだけど、あの外部組のミステリアスー大人ー不思議ーブラックーなあの感じが上回ってたな。キャラそれぞれで好きだったし。ちなみに、私は自分の初恋をブラックレディと言って憚りません。ブラックレディなんてわかる人ほとんどおらんけどな。ちびうさが暗黒に落ちた時のめちゃくちゃ色っぽい大人悪ちびうさです。あのときめき忘れられそうにない。憧れ過ぎて、家で傘くるくる回してた(ブラックレディの攻撃の真似っこ)。昔から影があるのが好きだったんだなあ、本当にそういうところは変わらないし、小学生にしたら可愛くなさすぎる。
今、色んなものの知識がついてから見てみると突っ込みどころもあるし、分析どころもある。なんちゃらかんちゃらーハートアタック!とか、名前だけ言うとただの心臓発作やんなあとか。キャラクター分析もジェンダー分析も、色んなことが出来るようになってから見ると、それはもうだいぶ見え方が変わる。それでも、普通に懐かしく楽しく見れるけどね。
しかしまあ、大人になったことの弊害なのかなんなのか。ムーンライト伝説を聴いていると、もうきっと私はこんな恋は出来ないんだろうなと思ってしまう。そんな劇的な恋をするべき時期を越えてしまったのか、それとも出来る時期を越えてしまったのか。運命だとか、忘れられない眼差しだとか、そういう劇的なものはもう私からは遠い。氷水に手をつけたときのような、痛みと快感の混ざりあった感情は、もうなかなか届かない。ぬるま湯は気持ちいいの。それを知ってしまったら、もうなかなか以前のようには戻れない。氷は溶けてしまう。誰かが氷を投げ込んでくれるのか?いえ、それは待つべきではない。だから代わりに、こうやって物語世界へと入り込むの。だからこそ、これは楽しいの。
はるかがいない世界なんて守ってもしょうがないじゃない、とは、みちるさんのとてつもない名言ですが、ここまで言える相手がいる世界なんてそうそうないと思うの。かつて私もそう思ったことがある、今でもかすかに思っている。あなたがいない世界なんて、と。そう思うと、ここの世界は別に生きやすくもなんともないけれど、ここに生まれてきてよかったなと感じられるね。私にそんなことを言ってくれる人はどこかにいるのだろうか。ハルカがいない世界なんて、と。誰か。