越えようと手をつなぐこの日々が続きますように
先日、岡野昭仁ソロライブ、行ってまいりました。そこで聴いたあらゆる曲が気になっているけれど、その中からアイネクライネを。美しかった。あの曲はじめて聴いたの、すごく岡野くんの声にあってた。というかあの人、「あたし」曲と相性良すぎる。40歳のおじさんのはずなんだけどね。色々と悲しいことが溢れていた時期だっただけに、魂が浄化されるような気分だった。悲しい感情は消えない、だけどそれから不純なものが消えて、わたしがどうするべきなのかを考えることになった。美しかった。いいものを見た。聴いた。
感謝とか、自信/自身の無さとか、柔らかい笑顔とか、変わらないでいたものを意識することとか、多くを学ぶことが出来たように思う。彼のようになりたいと思う部分もあるのだけど。でも彼は40歳で、40年で作り上げた形が今の姿だから、今の24歳の(24歳になりました)わたしが突然目指していい姿ではないとも思う。来年には彼らがメジャーデビューした年齢に並ぶ。そこから15年かけてああいう人間が出来ていったのであれば、わたしも紆余曲折も含めて美しい時を過ごしたいと願う。わたしの人生をああやって変えてしまえる何か/誰かが変わらずそこにある事態を運よく見つけることが出来れば、ああやってわたしも時にそれを思い出して感謝していたい。
言うのは簡単だけど、の、典型例。
悲しいことも腹が立つことも上手くいかないこともたくさんあるよ。自分自身の問題も、自分がどうすることも出来ない問題も。あんなに分かりやすく悲しいことも久しくなかったけれど、それを聞いてくれる人がいることは喜びであり救いであるよ。誰かを批判する度に、それを批判する自分の心を問う。恥ずかしい思いだってあるけれど。
一生懸命生きているけれど、それが尊いことであるといつかのわたしが言ってくれると信じて。