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    青空の鍵盤を貴方に弾いてもらいたくて

    • 2015.05.22 Friday
    • 09:09
    歳をとったなあと感じるのは、自分自身より周りの人の誕生日かもしれない。

    かつて愛したあの子を、私はいつから愛していたのだろう。幼心に、押してはいけないボタンを押した感触を知ったのは、あれはいつだっただろう。人生が静かに回転を速めて、私が操縦するには少し進み過ぎるようになったのは。

    忘れたふりをしているけれど、本当は覚えている、私が11歳であの子が12歳の秋。鮮明に覚えている感触。こうして書いてみると本当に文字通り幼かったのだなと実感する。ここがもう10年機能しているから、きっといつか現在進行形でこんな昔話が語られていた時代もあって不思議ない。

    あの子は、先日、私を今年も後ろに残して、25歳になりました。

    あの子がそんな歳になる日がくるとは思わなかった。というと、なんだか馬鹿みたいだけれど。あの子がいつか25歳になって、30歳にどっと近付いて。そんなことが起きるはずないと思っていたのかもしれない。美しい、幼い、愛らしい姿で記憶が冷凍保存されている。だから、しばらく会っていないけれど、誰よりも鮮明に顔も声も思い浮かぶ。きっとその姿は、せいぜい15歳のものかもしれないけど。

    自分が24歳、そのうちに25歳になることは、なんとなく理解できるのだけど、あの子がもうすでに25歳に到達していることはあまり理解できない。時の流れは恐ろしいね。

    子供の頃、きっとそれこそ13年くらい前、大人になったら、という稚拙な約束を冗談で交わしたことを今でも覚えている。きっとあれは、言葉に出来なかったからちっとも直接的ではなかったけれど、私が人生で初めてしたプロポーズだったんだろう。約束の年からもう5年ほど経ってしまったけれど、今でも贈ったら喜んでくれるだろうか。それとも、もう自分で手に入れただろうか。

    美しい貴方をずっと追いかけるだけの夢

    • 2015.05.18 Monday
    • 02:19
    ああもうこんな日なのね、と私はふと思う。いつもいつも私を愛して苦しめてくれた季節が、静かに私から遠ざかる。もっと苦しめてよ、振り返ったら背後にいる恐怖を忘れさせないでよ、と願ってしまう私を嘲笑うかのように、最後の試練を与えてくる。忘れていくという、取り返しのつかない責苦。

    もう忘れて良いの、前に進んでも良いの。それを知っている私もいる。幸せになりたい、幸せが何かは今でもよく分からないけれど、幸せになりたい。だけど、あの苦しい時代はそれなりに美しくて、あそこにもう戻れないというのも何だか切ない。どっちつかずで我儘な私らしい、曖昧な思い。

    所謂幸せを手に入れる人も増えてきた年頃。もしかしたら私の愛した人たちも、皆じゃないかもしれないけど、近いうちに幸せになるのかも知れない。もしかしたら私だって、そのうち幸せになってしまうのかもしれない。それは、もちろん、望むことではある。幸せになりたい、一緒に幸せになれる人と、一緒に幸せになりたい。でも、どうしても根本的に引っかかる部分とか、どうしても根本的に理解出来ない部分とかがある。これは相手が云々の問題ではなくて、私がそういう世界に生きてきた、というだけのこと。私が上手く生きられなかったということ。今世は諦めてると言ったのは嘘じゃない。完全無欠なんてものはどこにも誰にも存在しないのかもしれないけど、少なくとも今世の私には上手くいかないことがたくさんあった。

    不安なんだ。現在が未来に買収されていく中で、過去に縋りつきたくて仕方がない。過去に生きれば、未来に怯えることもなく自分の物語の中で静かに崩壊を待てる。専門の論文を読みながら、何せ文学やってるから、ちょうどいま書いたようなことを分析していたりするのだけど、これは結局実生活でもそうなんだよね。こういう、過去指向型の人間がいるから、ああいう過去指向型の文学が生まれたりする。あるいは作者が同じ発想だったりして。なんだろうね、別に悪いことだとは思わないよ。ただ脆くて朽ちやすいっていうだけ。

    時間も時間だし、取りとめも無くぽろぽろと書くだけ。本当はやらなくちゃいけない課題もたくさんあるし、それ以前にそろそろ寝なきゃいけないんだけどね。身体がもたない。もう若くない。心も身体も、もう若くない。

    さっきの記事に追加して書きたいことを思い出した

    • 2015.05.08 Friday
    • 14:06
    一ヶ月に一回しか書かない分か、めちゃくちゃ長かったな、さっきの。まだ書きたいことを思い出した。本当はこんなところに書いていないで、バイトの子のグループラインに書きこむべきことだけど、その勇気が足りないから。

    校舎長以外にサブの先生が二人おられるのだけど、そのうちの片方も去られた。他校と兼任だったし、そういう他の先生と交代になった。こっちの先生の交代は急きょ決まったことで、直前の状況を見る限り、クレームを起こしたことによる降格みたいなもんだと思う。チューターの大半はあまりその先生が好きじゃなかったから、別にええけど、みたいな感じ。

    ただ、生徒さんの中にはその先生に懐いていた子もいて、先生が二人も変わることで凄く不安になっている子も多い。昨日、うちの校舎が駄目だったから先生いなくなっちゃったんですか、って悲しそうな顔で聞かれた。その先生に懐いていた子だったから正直に不祥事で、というわけにもいかなくて、色んな校舎にいくことはあるんだよ、会社員だからね、また先生が顔出してくれたらあなたが寂しがってたって伝えとくね、としか答えられなかった。こんなに生徒が不安になっているのに、なんで私たちはそれを守ってあげる状況になっていないんだろう?

    高校生なんて、気の強い子とかすぐ懐ける、適応できる子とかを別として、信頼出来ない大人は拒絶し続けるか逆にYESマンになるかしか出来ないことが多い。繋いでやる努力をするのは、私たちだろうに。なんでこんなに、自分たちのことしか考えられないんだろう。それは私たちも結局子供のまま責任と権力を与えられていたからなんだろうけどな。分かっちゃいるけど、私は最年長ではあるけど、歳は上だけど、バイト歴自体は浅い「年上の後輩」だからあんまり出しゃばった真似がしにくい。みんな内心では分かっていて、なんとなく不安ばかりが音に出ているだけなら、いいんだけど。

    生徒だって先生だって私たちだって、みんなはじめましてなんだから不安だよ。私だってとても不安だよ。でも、それを表に出していいわけではない。大人としての矜持みたいなもの、ちゃんと持ちたいね。

    時間という質量のあるブロックで後頭部を殴って

    • 2015.05.08 Friday
    • 13:18
    本当に月に一回書くだけのブログになってきているね、という感じ。もちろん10年もやっていれば、そんな毎日書くことも無いだろうけどね。Twitterが台頭したことによって、短い、断片的な文章しか書けなくなっている。なんとなく、最初の直感のようなもの、今までならばもっと文章化していただろう衝動のようなものが、あまりにも細切れで書けるようになってしまっている。私は書くことで感情を昇華/消化する癖があるから、そうやって細切れで書けるとインスタントな安心を得られるけれど、その代わりに残滓のようなものが蓄積している気もする。ちゃんと考えようと思うことさえ、とりあえず短い言葉で残してしまうわけだけど、それを少しでも書くことによって最初の衝動が削がれてしまって、何も覚えていられなくなる。メモを取れるようになると、検索が出来るようになると、人は記憶力を失っていく、というのを生徒さんの英語の長文問題教えてるときに読んだことがある。書くこと自体は直接記憶力という領域とは重ならないかもしれないけれど、話題とか感情とかの記憶は恐ろしく衰えている気がする。

    あとは、よく言ってるけれど、スマホじゃ長文打ちにくいんだよね。ガラケーの方が打ちやすかった。物理ボタンって大事なんだね。ぽちぽち感。

    なんで一ヶ月ぶりにブログを開いたかと言うと、やっぱりある程度の長さで考えるべき感情が浮かんだから。そのきっかけは、ですね、バイト先、塾の方の校舎長が変わったから。うちの前校舎長、私が高校生のときからおられたの。チューター陣では私が完全に最年長だから、残り全員が高校時代からお世話になっていたわけ。新しい校舎長、まああんまり評判のいい先生じゃないし(性格的な意味で)、前校舎長とはかなりタイプの違う人。私は大学院に入ってから勤務し出したから実際に上司として先生を見ていた時間は比較的短いけれど、学部入学から先生のもとで働いていた人たちから見たら、そりゃやりにくいんでしょうね。もう、まだ一緒に働いてもないのにいかにクレームつけてやめさせるか、とかそんな話ばかりで、気持ちが全く分からないわけではないけど、なんかいやだなと思って。

    昔、かばん屋さんで働いていた時も店長が変わったことがある。もしかしてブログにその頃の事書いてるかも?と思って遡ってみたけど、見つけられない。その頃もね、前店長が主婦軍団と仲良くて、新しい店長だめよね、みたいな感じをすごく押しつけられたことを覚えている。私、仕事だと割り切っている限りは結構そういう変化には柔軟な方だから、当時新しい店長にもすぐ合わせられたし、昨日新しい校舎長と勤務したときもそんなにしんどくなかった。もちろん、トップが変わったことに伴うシステム上の変化には戸惑う部分もあったけれど、それは何かが、誰かが変わるときには必ず伴うものだから仕方がない。

    私はどちらかと言わなくてもいいくらい、後輩好きな性格。後輩好きというか、先輩受けしないというか、同期と絡むより後輩の方が構いやすいというか、ある意味社会に適応できてないタイプなだけなんだけど。そんな私なりの哲学として、先輩にあたる人間は後輩が新しい環境に適応するまでは自分の好き嫌いを一旦捨てて、トップとの潤滑油になるべきだ、っていうのがある。先輩がトップを嫌っているのをあからさまに出してたら、気が利く後輩はトップと仲良くなれないよ。トップを嫌う後輩には、彼らを尊重しながらもトップと上手く妥協させていく方法を探るのが先輩の役割だと思ってる。自分が楽をするのが、上の仕事じゃないと思ってるんだけどなあ。

    今までにも、流行りの音楽とかしょーもない話題で皆との歳の差を感じることはあったけれど、正直今回が一番歳の差を感じる。もちろん私には大した社会経験もないけれど、単純に歳を重ねた分、そしてよそのバイトもしていた分、適応能力が備わっている。最初は、若い頃は、もちろん無理だったけれど。バイト先の子の大半が、高校卒業と同時に前校舎長に引っこ抜かれてそこでしか働いてきていないから、トップの交代も、知らない先輩や後輩との関わり合いも、ほとんど経験していない。こんなに貴重な経験できる場面にようやく辿りついたのに、今までの安住の地が崩れて行くことしか感じられていない。もったいないなあと思うんだけどな。

    なんとなく昨日、保守派とか体制側とか、考えていた。バイト先のバイトの子たちは本来、体制ではなくてあくまでも駒なんだけど、彼らはそれを理解していない。あなたたちは正義じゃないのよ、と、私は言えない。きっと同じように育て上げられていたらそう思っていただろうし、きっと彼らの年齢だったらそう思っていただろうから。でも少しイレギュラーな入り方をした私は、ついついそう思ってしまう。仕事なんだから割り切ればいいじゃない、なんて言った日には、きっと生徒のことを考えていないと言われるんだろう。違うの、そうじゃなくて、生徒の成長はとっても気にしているし、バイトじゃない場面でも英語の教え方に使えそうなことがあったら記憶に留めるようにしているし、あの子たちのことは大好きなの。でもそうじゃなくて、そんなレベルじゃなくて、みんな仕事とプライベートを混ぜ過ぎているよ。サークルじゃないのよ。それはそれで、あまり真摯な態度だと私は思わない。

    自分がバイトしやすい環境を確保することは大事だけど、本当に生徒のことを思うなら、生徒と先生が上手くいくようにすることが大事じゃないのかな。生徒からしたら、そりゃ以前からいるし歳も近い私たちを頼ってくるんだから、上手く繋いであげることが大事なんじゃないのかな。すごくすごくもやもやするけれど、すごくすごく、一番バイト歴の長い、生徒からも慕われている、新校舎長を酷く嫌っている、彼女に言ってあげたいけれど、聞いてもらえる気があまりしない。色々と、上手くいかないなあと、思う日々である。

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