漠然とした疑問なんだけど、周りの人たちはみんな、誰にも言えないけど消えるのを待つことも出来ない想いをどうやって昇華しているんだろう。それとも誰にも、本当に誰にも言えない想いなんて抱かないのかな。そんなことは、きっと同じ人間だし、ないと思うんだけど。
ネットの海に想いを吐き出す私は、誰でもない誰かにこの想いを聴いてもらおうとしていて、そういう意味では、この時代に誰にも、なんてものは無いのかもしれない。きっと私、時代が時代なら、手紙を瓶に入れて海に流していただろう。今だってそんなには違わない。
歯医者でバイトしてるんだけど、昨日来た患者さんに母と娘ふたりっていう親子がおられたの。そのお母さんがとても友達に似ていて。ぼんやりと考えていた。彼女の娘たちはこんな顔になっていたのだろうか、と。
彼女はレズビアンで(と、書き始めるとまるでお話みたいで、それだけリアル感がないけど、本当の話)、きっと子供を産むことはない。彼女には溺愛している恋人(もちろん、女性)がいて、一度写真を見せてもらったけれど、とても美人な子なの。彼女は本当に本当に恋人を溺愛していて、年下の恋人さんに尻に敷かれているらしいけれど、出来ることなら添い遂げたいと漏らしていて。
患者さんの娘さんたち、二人ともとっても可愛かった。そりゃ、私の友人も黙ってれば美人ですもの、それに似たお母さんの娘さんたちなんだから、可愛いに決まっている。特に下のお嬢さん、幼稚園児かな、お母さんによく似ていて可愛くて明るかった。つまり、それだけ私の友人にも似ていた。
私の友人と、彼女の美人な恋人の子供、見てみたかったなあ。友人の子供が見たい、というのがもちろん強いけれど、気難しい彼女がそれだけ愛せる相手との、子供を見てみたかったなあ。別に彼女は子供が欲しいとも欲しくないとも言っていない。好きとも嫌いとも聞いたことがない。だって、(彼女にとって)普通に生きていれば、産むことはない存在だから。私の勝手な願望だけど、あの二人の可愛い子供が、見てみたかった。
これくらい、しょうもなくて別に病んでもなくて、でも誰に聴いてもらうわけにもいかないような話を、みんなは誰にするのだろう。本当に隠しておかないといけないことだとか、誰かを傷つけてしまうようなことだとか、そういうものはもしかしたらみんな飲み込んでいるのかもしれない。多かれ少なかれ、私だって飲み込んでいる。でもそうじゃなくて、私たちの人生に特段影響を与えない、こんな話。
天気の鈍い今年の空。過ぎゆく時間に私は一つ苦笑いして、生きていた。あの時間が終わっていったように、少しずつ人生は終わっていく。抱きたかった友達の子供のように、存在もしない愛しいものたちを腕の中に沢山、沢山抱えて、そこを吹き抜ける風に頬ずりするように生きていた。私が選べなかった、選ばなかった方の未来がどこかで兄弟を抱いているかもしれない。