またしばらく書いてなかったね。いやー、もう更新頻度保てなくなってきたな。書きたいこともたくさんあり、感情もたくさん湧く。だけど、それを落ち着いて言葉にするだけの余裕とか元気とかがない。これは少しだけ嘘。本当は、別の事にかまけていたりするだけであって、時間を作れば書けるはず。でも、これを優先できない。アウトプット疲れのような気もする。言葉が湧いても、長続きさせられない。全ては断片なの。
ポルノが今度アルバム出しますが、その中から数曲先行配信されていて。ミステーロって曲がねえ、ほんのワンフレーズしか聞いてないけど、いいんだよ。なんとなく、メロディかな、今の感情に噛み合ってて心地よい。今の、何とも不安定な感情に。
慣れ切った、予期済みの喪失
一歩踏み出してはならないけれど
どうなるんだろうと、ふいに思ってしまうの
幸せな私を襲うのは、いつだって私自身
壊されてしまいたいと、
見下されて、搾取されて、駄目にされてしまいたいと、
時に思う私は今も健在で
その凶器にあなたを変えてしまうことは
とても魅力的で、とても悲しい
私を壊してくれたら
私の愛した、私を愛した世界を
あなたは全部壊すことが出来るんだよ、と
その背中に問うてみるのだけど
きっと、きっと何も起きないんだけど、時々悲しい気持ちになったりはする。それは誰かに対する不満に由来するものではなくて、ただの季節性の風邪のようなもので、私の体質みたいなもので、時間をやりすごせばいつか知らぬ間に治まるもの。きっと私は欲張りで、自分一人の人生では何も足りないのだろう。失うのも怖い癖に、すでに失ったも同然のものを追いかけようとする。走る目の前に、もう目標物などないけど、走ってしまう愚か者。
言葉がうまく出てこない。言葉が、きっとあるだろうに、出てこない。感情が言葉にならない。漠然とした靄として、そこかしこにある。捕らえて、輪郭を与えることが、とても難しい。訓練が必要かもしれない。それとも、もう出来なくなってしまったのか。
私の好きな作家の最大の特徴はそのタブー性にあると先生は言った。いつしか、時代の流れとともに、彼のタブー性は損なわれていった。それはきっと彼としては喜ばしいことであったはずなのだけど、それでも彼の才能の泉を枯らしていった。幸せになることで不幸になることは、人間には可能である。好きな作家と自分を比較するなんておこがましいことなのだけれど、私にだって同じことが言えるんだろう。だから私も、彼と同じように、いつまでもタブーを追い求めてしまう。幸せであることが、とっても幸せであると同時に、怖い。私から大切な何かが失われているような気がしてしまうから。何かを、常にどちらかの手から、何かを失い続けなければいけない宿命なのかなと、平凡な自分に罪を背負わせようとする、ドラマ仕立ての私。