うわー!!!(広告が出てることに対する叫び)
更新空いたな!生きてます!昨年はお世話になりました、あけましておめでとうございました!生きてますよ!何をしていたかというと、修論書いてました。先日無事に提出して、今は試問までの期間を怯えながら過ごしているっていう感じです。内容が思っていたようにまとめられなくてへたくそな論文になりましたが、一応出したは出した。同期の中の一人は出すのを断念して、もう一人はどうにもこうにも通る気がしないけど一応出した、っていう状況らしい。うーん。
無理矢理出した友人はここのところずっと愚痴を聞いていた友人なんだけど、まあ学部時代の彼女を思い返せば出しただけ成長なのかな。学部時代ゼミのレポート出せずに留年したらしいからな。本人的には今回もおそらく通らないとのことで、半年休学しようかなってほざいてたけど。出さなかった奴に関しては(この友人の元彼でもあるんだけど)、年末年始に美味しいご飯の話とか好きな音楽の話ばっかりしてたから、たぶんやばいんだろうなって思ってた。そういうの両立出来るタイプでもないし、余裕持って進めてるとも思えない人だから。やっぱり駄目だったんだな。
大学院なんて余暇っちゃ余暇じゃん。それを経由しないと資格取れないとか、就職出来ないとかいう分野は別だけど。文系大学院、それも文学で大学院行くなんて、言っちゃえば余暇なのよ。どれだけしんどくたって、人生に必要ないものだと言えばそうだし。その余暇を満喫出来てることは幸せなことで、生活に余裕が無ければ出来ないことで。修士論文なんて、その余暇に意味を見出すための一つの自己満足だと思った。書いてみて思った。死にそうだったし、眠れなかったし、肌も荒れたし、プライベートな生活だって崩壊してたけど、それでもこれは究極に自己満足なんだって思った。先生方のためでもなくて、自分のためなんだって。それすら達成できないって、何しに大学院来たんだろうって。
支えてくれた人はたくさんいる。先生や家族を別にして、ぱっと名前が浮かぶのは恋人と大学院を中退した友人なんだけど。どっちも過剰に干渉せず、邪魔もせず、でも時々愚痴を聞いてくれて、書けたって言ったら大喜びしてくれた。どれだけ彼らに縋っても論文は書けないもんだけど、私なら出来るって思わせてくれる人たちで、本当にいてくれてよかった。いてくれるだけでよかった。自信をどんどん失くしていく作業なんだけど、その自信を外部委託してたって感じか。でもね、やっぱり私の修論は彼らの「ために」書いたものではないのよ。彼らの「おかげで」書けたものではあっても、自分のためのものでしかない。彼らは喜んでくれるけど、でも別に私が修論書けたからって彼らの人生に何ら影響ないしね。そんな時に応援してくれた人たちのことは、大事にしようと思える。
月並みな言葉ばかりが浮かぶ今日この頃。自己責任、自己満足、感謝、とか。修論を越えて、ちょっとだけ人間的に豊かになった気分ではある。あと、こんなに苦しくてもやめたくないと思う当たり、私本当に研究が好きなんだなあって。うちの同期にはその覚悟というか、思い入れみたいなのがあんまりない子が多いのかもしれない。こんな作業、才能だけでも気持ちだけでも出来ない。両方ある程度以上備わってないと出来ない。その両方がパンパンに詰まってる先輩(もはや先生と呼ぶべきなんだけど)は、とんでもない勢いで出世しておられる。私は何とか、ベースの不真面目な性格を治して、いい研究者になりたいなあ。