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- 2024.01.22 Monday
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今でこそVRがあるけれど、幼い私が感じていた世界観はちょうどそんな感じで、どこにも実体のない私は何らかの形で視覚情報、聴覚情報、触角情報などなど、現実に自分の周囲を構成していると思われるものの情報を与えられていて、それを現実だと信じ込んで生きているのだと考えていた。歩いている感覚は歩いているという「事実」に結び付くものなのか。本当に私は私として生きているのか。そんなことを、随分と幼いときから考えていた覚えがある。生きにくいはずだね、と友人は言う。その通りだよ。生きてるのか何なのか分からないもの。自分が人間の形状をしているという証拠は?そもそも人間の形状とは?私の視野に映る眠る母は本当に母であるのか?彼女の見ている私が、私の見ている私と全く違っていないという保証は?私たちが皆、任意の長さのある情報帯に放り込まれているだけであって、それ以上でもそれ以下でもないとすれば?そんなことを考える幼子だった。可愛いとは言い難い。
そんなことばかり考えていると、依拠出来るものがなくなる。強いて言うなら、この情報を感じている自分自身は何らかの形で必ず存在する、なんていう有名な哲学者めいた言葉に行きつくくらい。高校時代の友人は私にソクラテスというあだ名をつけたけれど、まあ、案外悪くないあだ名だったのかもしれない。このあだ名はメタファー?メトニミー?そういうことは覚えられないんだけど。
依拠出来るもののない世界は、とっても不安定で、とっても自由である。何にも縋れなくて、何かこれを信じようというものがなくて、それは今の私にとっても足下から地面が消えていくような感覚でとても怖いのだから、きっと幼い私にとってはもっと怖かったんじゃないかしら。でも、この不安定さは恐怖でもあり、自由でもあった。どれだけ嫌なことがあっても、それは現実と「認識しているもの」に過ぎないのであって、本当に本当の現実(なんてものがあるとして)とは限らないのだ。だから、やり過ごせばいい。痛みだって、痛覚情報なだけであって、本当に痛みというものが何なのかすら分からなくて、何がそれをもたらしているかだって誰にも確かなことは言えない。体の痛みだって、心の痛みだって。どれもこれも、ゴーグルを外してしまえば消えてしまう仮初の現実だとすれば、何も怖いことはない。そんな板挟みの中で私は育ってきた。
この世界観の中で生きていると、何も確かなものとして感じられなくなって、少しばかり冷めた感覚になってしまうことがある。もちろん、いついかなる時もそんなつもりで生きているわけではないから、きちんと情熱を持って生きていることも多々あるのだけど、この気分に陥っているときはどうにもこうにも、真剣になれない。だって、真剣になる対象物が本当に存在するか分からないのにどうやって真剣になればいい?そんなこと出来たほうがきっと頭おかしいと思うの。いつもではないけれど、時々陥ってしまう状況。全てが実体を失う。どこに向かって何を発したらいいか分からなくなる。だから、全部いつか消えてしまう幻だと思って見る。それくらいがちょうどよくなる。何かを、誰かを愛するように刺激を与えられている自分がどうやら存在するらしい。そのことだけは分かるけれど。
はあ。夜中だね。明日は学校に行かないとね。友人と話して、何だかとっても辛い気持ちになった。色々と整理され、色々な可能性が提示され、それに対する私の反応の一例(あくまでも一例に過ぎないだろうとは思う)が明確になり、とっても辛い。誰かを傷付けながら生きることが好きなわけではない。私自身だって、可能であれば傷付きたくない。自分の言葉を自分自身がいつだって一番信じているわけではない。私の言葉が誰かを切り裂きながら自分自身に突き刺さって抜けなくなることは、何度でも経験してきたけれど、とっても痛い。これも全て、実体のない幻であってくれたら、とっても気が楽なのだけどなあ。
こんばんは。寝たほうがいいと思っている、夜です。明日は私にしたらそこそこ早い時間に家を出なければいけないし、社交場だし。それでも、何となく落ち着かない気分なので言葉を書きます。文章を書きます。そうしたら安心して眠れるかもしれないから。
じゃーん、と言われて見たその車は、思ったよりもずっと可愛いものだった。色だって、イメージしてきたものとは随分違った。時間が過ぎれば人の趣味や好みは変わる、とは本人の言葉。それを自ら示すかのように、嬉しそうにその人は深夜にたった一台残った車を見せていた。
内緒、って、何だろう。当たり前のように折っていた指をぐいと戻すように、あの人は私を選んで、彼女を切り捨てた。そこにはきっとその人なりの論理があるのだろう。何か言っていたけれど、私には理解できなかった。理解しようとしなかったのかもしれない。そこにあったのは、内緒ごと。当事者以外の全てを共犯者にしながら、私は口元に指を一本寄せた。内緒?と聞いたら、どんな顔をしていたっけな。もうそこには何もないはずなのに、動揺していてその表情を覚えていない。
もうそこには何もないはずなのに、色んなことを考えた。他に誰も走っていない道をぼんやりと眺めながら、芳香剤の香りに浸されながら、とりとめのないことを話しながら、色んなことを考えた。今まで誰がここに座ってきたのだろう。特別な人がここに座ったことはあるのだろうか。特別って何だろう。いわゆる「特別な存在」は未だにいないと言うけれど、それをどこまで信じていいのだろうか。左耳にだけつけていた二重螺旋のようなピアスをここに落として行ったら、誰か困ってくれるのだろうか。そんな安い女のようなことをしたら後悔するだろうと思ったけれど、そんなことを思案している段階ですでに後悔は始まっていた。結局、疲れた顔をした私が家の鏡の前でそのピアスを外した。そんなどうしようもないことをして、ようやく解けてきた警戒をまた買ってしまうわけにはいかない。
ここまで、その人の言葉を信じるとすれば、世界で誰よりも私がその人に魅力を覚えてきたことになる。の、かな。その確証はないけれど、それを否定する証拠もまたない。私のものになって、と思う時期はもう過ぎた。時々、過去があまりにも強い力で私を呼び戻そうとするときはくらりと来てしまうけれど、それを別とすれば、もうその関係を望むことはない。ただ、別例(なんていう言い方を昔の私が許すわけがないのだけど)が示すように、死神の鎌をひと振るいしてもらえれば、悲しみもするけれど、幾分楽にもなれる。それなりに呪縛のもつ力は強いから、私だけの力では解ききれない。どうか断ち切って、と願うのに、全然そうしてくれないから、何だか腹が立ってしまう。
あるいは、早く仲間がほしいのかもしれない。このままでは私は一人ぼっちでその人の魅力を抱え込まなければいけない。実際に語り合うことはなくても、その良さを分かってくれる人が地球上にもう一人くらい欲しい。そうでなければ、私が全部背負いこんで、愛していかなくてはならないじゃないか。誰に頼まれているわけでもない、ただのエゴだけど、あの人は愛されて然るべき人だから、誰も愛してくれないのであれば、私が愛さなければいけない。早く誰か気付いてほしい。誰か私に賛同してほしい。あの人は、とっても素敵な人だから。
別に今更どうとかこうとか、言う気はない。本当だよ。あの人の前で自分の恋人の話をするのは少々複雑ではあったけれど、それだけのこと。突然何かをすることもない。念のために身構えたけれど、何を言われることもない。どんどん知っている道に入っていく。寂しい。でも、それだけ。
これ以上この話は続かない。だって、本当にそれだけのことだから。未来も無い、現在も無い、過去も無い、時間軸の上にぽつりと浮かぶ一点なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。ただ一つの記録として、書き留めておきたかった。書き留めることで成仏させられるというと、結局留めているのか何なのか分からない表現になってしまうけれど、そういう動機です。
最近、ツイッターのオタ垢で「賢い人」と評してもらえることがあるのだけれど、どうしてなんだろうね。ずっと「可愛い」「尊い」「無理」「死ぬ」としか言ってないのに。確かに、世間的に見て大馬鹿というほどのことはないだろうけど、そこでは随分脳みその足りないことしか言ってないはずなんだけどな。色んな物事の見方をしていると言われたけれど、正面から見るわけにはいかなかった時代が私を育ててくれたのかなあ。だとしたら、あの不自然な花の香りも、何らかの意味を持つのだろうな。