忘れ物をしたよ 昨日に
それを明日 探しに行くよ
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触れ合う肘の遠い距離

いつもそう。好きなものが増えると、少し不安定な気持ちになる。それは多分、その何かが心のどこかに響くから。だから好きになるし、だから不安定になる。それは仕方がないことなんだけど、その響き方が強烈であればあるほど、私は乗っ取られてしまう。昔から変わらない、感情移入の濃度。このパターンを自覚して、耐えようとすることが出来るようになっただけ、少し成長はしているのかしら。

 

本当は自分から距離の遠いものを好きになれればいいと思うの。そういう友達もたくさんいる。どう考えても自分と関連のないものを好きになって、自分とは切り離した存在として愛でる友達は多い。というか、そっちの方が多いのかな。私はそれがあんまり得意じゃない。何かしらの自分との接点があるものが好きなことが多いし、もし接点がなければ接点をどこかから強引にでも見出してしまいがち。この傾向は、きっと昔、自分の言葉で自分が思うように感情を昇華出来なくて、何かに感情を憑依させて客観的に眺めようとしていた頃の名残。今は寧ろ、その外側の何かを自分に憑依させてしまうけれど。

 

たくさんの言葉を自分の中で死なせていったの。そんな時代を経ての今だから、なかなか娯楽は娯楽だと思って楽しめない。たくさんの、一つ一つは小さな、簡単な言葉たちが私の中で死んでいった。その棺のようにして、綺麗な表現だとか泣けるお話だとか、そういうものに感情をくるんで、いつも泣きながら見送っていたの。娯楽は葬儀だったし、浄化だった。今でも、何かを見たときに受容したものと、自分自身から自発的に湧きあがる感情を切り離せない。それらは二つで一つだったから。

 

テンション低く、暗く書いているけれど、結局のところは好きなものというかジャンルみたいなもんが増えて、それに取り付かれていて何とも気持ちが引き摺られているよ、っていうだけの話。上手な切り替えが出来ないんだなあ、これが。人間やり始めてそこそこ時間も経ってきたけど、いつまで経っても人間するのが上手になれない。

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ふわふわオムレツを貴方の舌でぐちゃぐちゃにして

現実と妄想を混ぜてはいけません、

って、よくある台詞なんだけど

それが出来たら困りません、

って、私はよく思っている

 

ここまで駄目だったっけ私?

ぐちゃぐちゃになってしまって

卵と鶏はどちらが先?

好きなものを欲するのか

欲するものを好きになるのか

 

どれだけいい子になったって、

見えない根っこが悪い子なの

まだ指が動いていないわ

まだ、今回はまだ

 

あっちにもこっちにもなれる

それって脳を揺さぶるけど

どうしても満たされないね

寂しい気持ちしか残らない

 

悲しい気持ちも心地よさも

全部全部追体験しちゃうの

好きと私を切り離せなくて

どんどん身体が内側に飲みこまれていく

壊れていく、崩れていく

 

この気持ちの満たし方、

私は未だに分からない

つまらない他人になって

つまらない他人と会って

つまらない関係結んで

つまらない終わりを選べばいいの?

 

幼い頃の脳の痺れが

未だに身体を駆け巡る

あの素直な気持ちはどこに行ったの?

いつか帰って来てくれるの?

 

不安がいっぱいで手を離せない

そんな我儘な私を許して

旅はまだ続いているの

許して、ごめんね、許して

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華やかな光が似合う影

なんだかむしゃくしゃする。理由はよおく理解している。

 

気持ちの折り合いを付けることに苦労している。私はありがたいお話を頂いて、それは大嫌いな人から奪い取った機会で。奪い取ったって言っても、公正なやり取りに基づくもので、決して悪いことではなかったけど、相手が嫌いだからどうしてもそういう認識をしていた。このお話を受けることは、捉え方によっては私を優秀な人間に仕立て上げるものでもあった。だから、私は公正に奪い取ったこの権利を、まるで初めから自分一人に純粋に寄与されたもののように思いこんでしまわないよう、自分を律することが必要だった。そう律することが必要な時点で、どこかで思いこみは始まっている。それにも薄々、気付いてはいたけれど。

 

昨日知ったんだ。大嫌いな相手も、別の場面でありがたいお話を頂いていたようで、言うなれば立場として並んだようだ。何なら、これまた偶然ではあるのだろうけど、相手の方が良い条件でお話を頂いている。そう、我々二人に起きたことはどちらもイレギュラーというべき幸運であって、そしてどちらがどちらの話を受けることになるかというのも偶然によって決まっている。だから、この件に関して、私と相手との優劣は一切関係ない。

 

……というのも、よおく理解しているのだけど、気持ちの折り合いはなかなかつかない。自分が優秀だから、相手よりも優れた立場に恵まれる、という、ありもしない幻想にどうしても自分の意識を巻き込んでしまっていた。若干の罪悪感もあったから(それを感じる必要もどこにもなかったけれど)、ほっとした気持ちもあった。純粋に、よかったね、と思う気持ちも無かったわけではない。ただ、もやもやしてしまっているのは、ちっとも否定出来ない。自分の自己肯定を外部に委託する癖が抜けなくて、それを取り上げられた気持ちになってしまうのかもしれない。それに、感情として大嫌いな相手だから、能力も自分よりずっと低いと思いたくて、同じ立場に並んでしまうことに抵抗があるのかもしれない。同じ立場っていうか、何なら下位なのかな。ほら、そんなことばかり。

 

何度でも言うけれど、これはどちらも純粋な偶然。強いて言うなら双方ともにある程度の能力を認められたがゆえに起きたこと。それはまあ、我々の能力というよりも、指導教官の能力だと言うべきかもしれないけれど。だから、こんな風に妬んでいる自分を浅ましく思うし、恥ずべきとも思う。同じ立場について、お互い頑張っていこうぜと思うべきだろうし、お前には負けないと思うべきだと。悲しい、こうして自分も恵まれた環境にあるのに、人を妬み、蔑みたい気持ちが満たされないと不機嫌になってしまう自分が。

 

これは結局、仲の良い、信頼のおける人物ではなくて、大嫌いな人が相手だから起きている感情だとは思う。まだ、大嫌いな人が幸せになって手放しで喜べるところまでは来ていないんだろうな、人間として。自分の特権性の保持欲求と、相手の幸せを厭わしく思う気持ち。これが混ざって私を襲ってくる。

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そんな気分
全ては通り過ぎていくのだなと、ふと思った。

悲しい歌もいつか懐かしい歌になる。私を壊すように聴き続けて、罪を痛みを擦り付けたあの歌からもう今年で四年経つ。繰り返された運命の台詞からはもう十年。いつの間にか遠くまで来たものだ。

時々思い出すことはある、あれこれ。それでもそれは強い握力で心を掴むのではなくて、そっと擦りむいた膝に添えられる母の手のように、温かさと慈しみを持った記憶に変わっていった。どれもこれも、私を私にしていく過程にあった出来事や感情で、きっとそれらを回顧している私だっていつか未来の私を構築している一部に変わっていく。そうして時は過ぎて、人は人になっていく。

友人の娘は、自分の手の存在を初めて見つけたようで、じいっとそれを眺めていた。それと自分(の思考?)が一つの連動した肉体であることはまだ知らないのだと思う。可愛いなあと思うと同時に、人というよりもただ一つの生命体というか、生命を持った個体である赤子がいかにしてこうして人間になっていくのか、興味がわいた。

記憶をストックする媒体でもあり、感情を記憶に変換する機関でもあり、感情を受容するアンテナでもあり、記憶からまた別の感情を生成する機関でもある、人間というのは不思議な生き物です。私は、私だったものからどんどん私になっていって、またいつかの私を作っている。全ては通り過ぎていくのです。
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甘い一口の致命傷
ささやかな疑問だけど、なんで私ったらこんなに太ってしまったんだろう。そしてそれ以上になんで、細い人に対する羨望が和らいでしまったのだろう。これじゃあ痩せられるはずがない。

昔から痩せていたことはない、体調でも崩さない限り。だけど、痩せる努力が出来ていた時期は間違いなくある。あれはなあ、恋愛も絡むからなあ。恋人に対して今更いい格好しようってあんまり思えてないし、あんまり最初からそもそも思ってなかったし…。そりゃ、嫌な格好よりはいい格好とは思うけれども。実行に移すほどの強い気持ちにならない。

だんだん、だらけた人間になっていってるなと思う。放っておいてもしゃんとしてる人も世の中にはいるんだろうか。私はどうもそのタイプではなくて、何かしらの制限やら縛りがないとどこまでも緩む人だ。しかも責任転嫁癖まである。駄目だなあ。

せめて健康だと思えるところまで痩せたい。今はちょっと酷すぎるし、だんだんその感覚も麻痺してきている。頑張れ私。昔を思い出せ。当時より随分太ったぞ。思い出せ、骨の良さを。いい女のセルフ客体をやるんだろ。頑張れ私。
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呼び鈴の直感と寒いベランダ

やあ!明けましておめでとうございました!こんな時期まで書いてないとは、私も変わったものですね。厳密にいえば、書ける媒体が増えてしまった結果、腰を据えてここに書くという行為をしなくなってしまった、というだけなんだけど。最大の敵というか、まあ一番手軽に使っちゃう媒体は、やっぱりTwitter。そうですツイ廃です。昔の私がパソコンばっかりやってこのブログをしょっちゅう(本当に、一日に数回レベルで)更新してたことを思えば、今ツイ廃になってることは何ら不思議ではないよね。

 

あとはあれだよね。昔ほど、色んなことに悩んでいないんだと思う。誰にも言えなくて飲みこんでいた言葉たちを、ここですら真っ直ぐ表現出来なかった言葉たちを、今はそんなに飲みこんでいない。それは、言えるようになったという意味でもあるし、そもそも昔ほどぽこぽこと湧いてこないっていう意味でもある。幸せなことではある。時々昔の記事を見返しては、うわあ…っていう気分になったりする。黒歴史っていう意味もあるけど、それ以上に、よくあの頃を生き抜いたな…って。あの頃の私が言葉を書くっていう処理方法を見出してくれていて、本当によかった。

 

最近の悩みと言えば、一周りして中学生っぽいけど、友人との距離感。というか、相変わらずの、間に挟まれ団子って感じ。これはもう体質なのかもしれない。あの人はあの子が嫌いで、私はあの人と仲が良くて、でもあの子のことも得意ではないものの嫌いとまではいかなくて、あの子は私と仲良くしようとしていて、みたいな。すっごい中学生っぽい。思春期感すごすぎて恥ずかしい。でもこんなしょーもないことで悩めるようになったんです…。少しずつ対処法も学びつつある私は、自分の事をまず第一に大事にして、自分がいいと思える距離感の維持に必死です。

 

なんというかね、今の時代ってSNSが普及しまくって、繋がろうと思えばいくらでも繋がれるじゃない。きっとこの時代だったらツナガリタガリは出来なかったかもしれない。それとも、逆に出来たのかな。その順位付けは人それぞれだとは思うけど、SNSにしても緊密度ってものによって違わない?私にとってはFacebookは結構誰でもござれっていうもので、Instagramはある程度近い人だけど別にそんなに絞っても無い(更新しないし)っていう感じ。一番、Twitterが、相手を選んでる。だから、FBもインスタも友達だけどTwitterでは拒否ってる、なんてこともあったりする。この、緊密度ランキングが噛み合わない人とか、心のアカウント・セキュリティ・レベルが違う人とは、ちょっと面倒なことになっちゃうのが、この時代の煩わしさだよね。

 

でも、Twitterで複数アカウント作って、そのアカウントごとに相手を選んで、言えることを増やしてきたのも事実。ここでしか吐き出せなかったことや、ここですら吐き出せなかったことを、言えるアカウントを持ったのも事実。すごくしょーもないことも言うし、結構真剣なことも言う。世の中に文句を言うこともあるし、萌えを吐き出すこともある。友達の婚約破棄(?)について、本人には言えないようなことも、言える場所がある。彼女は私によく似て非なる、相方のような子であって、でも私よりずっと真面目で考えすぎちゃう人だから、出来ればあんまり色んなことに囚われ過ぎずに自分なりに幸せになってほしいなあ。別に結婚なんかせんでもいいじゃん。してもいいけどさ。するなら結婚式で何か受付かスピーチか出し物かするけどさ。それでも、あんまり気にしないでほしいなあ。

 

そろそろ書き疲れてきたな。首を先週から痛めていて、ライブタオルで簡易コルセットして書いてるから、ちょっと疲れるのが早い。でも昼寝すると今よりさらに生活リズム乱れるしなあ。身支度整えて街に出るかなあ。そうです、学生だから今は春休み。いつまで経ってもこんな生活を送ってる。大人になりたいなあって言えるような歳ではなくなってきた、2017年の冬です。

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今年もここまで辿り着いたのです
紅白をだらだら見ながら、スマホで打ち込む今年の最終記事。平和だなあ。まだ宇多田出てないしなあ。V6が今日も元気そうで良かったし、有村架純は可愛いし、平和だ。夜バイト入れなくて良かった。

今年の年明けは、修論やら院試やらしんどかったな。乗り越えられて良かった。論文投稿もしたし、発表もしたし、ちゃんと院生してた、はず。お湯を沸かせる環境を整えたので院生室の居心地も良くなったし、来年も頑張ります。

プライベートもまあまあ安定してたかな。何も起きない平凡な日々が好きだよ。

2017って素数なんだって。素数っぽいよね。17も素数だしね。来年もいい年になりますように。新しいことも始まるけど、上手くいきますように。

私の大切な人たちみんなに幸いがありますように。
よいお年を。
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いつか夢見た秘密基地を君と

平和なもんで、院生室の自分のデスクの改造について悩んでいる日々。本当は他に悩まないといけない深刻な課題がたくさんあるんだけど、ちょっとこう妄想し始めたら止まらなくなる体質は依然続いている。

 

私は綺麗好きではないけれど、誰かとポットを共有したり、水道から直接水を飲んだり、誰が使ったか分からないデスクに食べ物を置いたり、出来ない。もうなんか身体が受け付けない。気持ち悪くて。だから院生室で作業してるときに、先輩たちはお茶飲んでたりするのだけど、私はお湯を入手出来なくてペットボトルから飲むって感じだった。でも冬じゃん。しかも長居したいわけよ、せっかく行ったら。そうなるとさあ、やっぱりお湯欲しいのよ。というわけで、せっせとネットで探し、とりあえずわく子さん(さんはいらないらしいけど)を注文した。

 

お湯が手に入るとなると、今度は何を飲むの?っていう話になるじゃないですか。紅茶とか、コーヒーとか。ここでまた、妙な潔癖が出てくるんですよ。院生室ってめっちゃ綺麗ってもんでもないしさ。デスクだってめっちゃ綺麗ってわけじゃないしさ。そんな所にティーパック置いて大丈夫?虫湧かない?みたいな気持ちに、ついつい。でも紅茶が飲みたい。コーヒーとか緑茶系はスティックでもいい。でも紅茶はスティックじゃやだ。美味しくなさそう。うーん。なんていう、平和な悩み。

 

学校が遠いこともあって、あんまり院生室にこもらない日々だった。だけど、これって念願のアトリエなのでは?ということに気付き、さらに言えばまわりの院生たちが結構学校に行って結構そこで時間を過ごしていることにも気付いて、これはもっと活用するべきものなんだろうということにようやく思い至ったわけです。大体、何より、家にいても私ちっとも勉強しないし。

 

今月末には論文の直しを提出しないといけないし、来月には博論の第一回中間発表があるし、本当は結構忙しい。けど、こうしてあんまり関係なくて、少しだけ関係のあることを考えてる時って、幸せで仕方ない。

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素数を数える少年のパーカーに夢を見る

いま私を一番悩ませているのは、来年度以降の働き方について。

 

もうこんな時間なんだね。今日というか、明けたその日は英会話の講師の仕事があるから、頭が回るようにしっかり睡眠をとった方がいいんだけどね。一応内容も考えたし、後は寝て、朝を迎えればいいんだけどね。何故だか気持ちが月曜日まで飛んでいて、珍しく完全な休日である月曜日の存在にうきうきしてしまっている。違うよ、まだだよ。まだ明日は働かなくちゃいけないよ。日曜に働き、月曜に休むような人生を送る25歳。いないわけじゃないけど、多いわけでもない。

 

何でこんなに悩んでいるかって、バイトを掛け持ちしすぎているから。塾、歯医者、英会話、ついでにTA。本職は学生。今年の6月頃に思い知ったけど、こんなに働いていると心身を病む。今はあっちもこっちもシフトを減らしてもらっているから辛うじてまわせているけど、普通に考えて生活が逆に成り立たなくなるような生活だよ。さらに言えば、この歳で情けない話だけど、税金がアウトになる。どう減らしてもらっても無理だと思う。複数個所、完全に戦力じゃない状態にしてもらえたらギリギリクリア出来るかもしれないけど、そんな無責任な働き方がしたいわけでもないんだよね。

 

おそらく、おそらくは英会話は来年もある。あると思っている。ある前提で話は進んでいる。だけど、確定ではなくて、そのせいで余計に状況がややこしくなっている。これが確定していたら全て致し方なしとして動くんだけどなあ。もしある程度他の職場に話しつけた後に、やっぱり来年はしないよーって言われたら、結構きついことになる。それがあって、非常に困っている。どこをどうする、っていうのが、どれも固定出来ない。

 

英会話が来年もある前提で考えるとしたら、塾と歯医者のいずれかは辞めないといけないと思う。どっちも辞めたいような、辞めたくないような。塾は、働いてるのが基本的に大学生だということもあって、年齢的には私の存在は大いなるイレギュラー。そろそろ卒業かなあっていう気もしているけど、今が三年目だから来年まで頑張れば大学生と同じ四年間を働ききることになるっていう考えもある。しかも、教えるのがメインでは無いとは言え(一応事務仕事がメインのはず)、自分自身の英語の勉強にかなりなっている。状況的に考えれば一番続けるのが現実的なのは塾だよねえ。

 

歯医者は圧倒的に不利なんだよ。家からも遠いし、体力も奪われる。お給料は若干こっちの方がいいけれど、拘束時間を考えればコスパはちっとも良くない。ただ、仕事内容と人が好き。これが物凄くブレーキをかけてくる。一度辞めた職場であって、戻ってきた職場であって。きっと真面目に話をすれば聞いて下さると信じている。私が羽ばたくためには辞めるしかないのだと理解してさえもらえたら、きっと円満に辞められる。英会話講師と塾講師はどちらも私の学生としての専門能力に関わってくるので、そういう意味では続けるべきだと思う。それに専念したいということを分かっていただければ、きっと、と。

 

これはねえ、ぐるぐる考えても仕方がないんだよね。英会話を軸に考えているのが何故かというと、一番自分の将来に結び付く能力に関わるものであり、一番自分に対する依存度が高い仕事であり(講師の数が限られていてかつ供給量が少ない)、一番お給料が多い。その三点が一つの仕事に集中している以上、どうしてもこれを中心に考えるしかない。となると、これが来年度もあるかないかによって状況が大きく変わる。だから、それが決まっていない今、これをごちゃごちゃ言ったって、何にもならないんだよねえ。

 

冷静なフローチャートを脳内に用意しておきたい。YES/NOで矢印が分岐していくように、きちんと。決まった時にすぐに動けるように。そんなことよりも考えないといけないことはたくさんあるはずだから、息抜きがてらに考えるだけにしたいんだけどなあ。悩み事の休憩に別の悩み事をするような日々は、脳みそが疲れていくね。

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日当たりのいい部屋でずっと眠っていたい

暮らすのに必死すぎて先月更新してないことに気付きすらしなかった…、ブログ開設日も過ぎましたね。何年だ?11年?干支の一周りも現実的になってきた頃ですね。

 

前に呻いていた発表は、一応無事に終わりました。一応っていうのは、口頭で読んでる途中で「うわこれつまらない」っていう気分になったからです。なんで本番でそんな気分になってしまうんだろう。冷静で何よりだけれども、出来れば数日前、欲を言えば数週間前にはそのことに気付いてほしかった。そのためにはもっと早く準備しろって話だよね、すいません。

 

ゆっくりと風邪ひいてみたりとか、休んでた分のバイトでひぃひぃ言ってみたり、生きるのに精いっぱいだった。忙しすぎて、例年感じるこの時期特有のしんどさもまぎれてた。

 

いまNHKのEテレの今日の料理見ながら書いてるんだけど、レミさんが強烈すぎて全然集中出来ない(笑)。全然深刻な気分になれない。多分実際に目の当たりにしたらうるさくて敵わないんだけど、賑やかで楽しいなあっていう気分になるね。じゅりちゃんの話もしてる!私、上野樹里ちゃん(字あってる?樹理?)好きなので、こうして話題に出るとうきうきしてしまう。お料理が上手なんだとよ。平和だなあ。

 

料理番組って平和の塊だと思うんだよね。平和じゃないとこんなのしないじゃない。食べ物も豊富で、美味しいものに対する欲望もきちんとあって、悲惨なこと以外に割く時間がある社会だから出来る番組。だから私は疲れた時は料理番組を見る。正直言って料理は好きじゃないから、別に作るわけじゃないんだけど、見てるとのんびりした気持ちになるし、お腹がすく。お腹がすくって生きてる感じするよね。だから、疲れ果てた時の料理番組。悲しいニュースよりずっと、安心する。

 

今日は午後から学校行かなきゃいけないし、本当はそろそろ準備するべきなんだけど、気が向かないなあ。ちゃんと行くけど。のんびりと支度しましょう。次はいつ更新するかなあ。

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