忘れ物をしたよ 昨日に
それを明日 探しに行くよ
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呼び鈴の直感と寒いベランダ

やあ!明けましておめでとうございました!こんな時期まで書いてないとは、私も変わったものですね。厳密にいえば、書ける媒体が増えてしまった結果、腰を据えてここに書くという行為をしなくなってしまった、というだけなんだけど。最大の敵というか、まあ一番手軽に使っちゃう媒体は、やっぱりTwitter。そうですツイ廃です。昔の私がパソコンばっかりやってこのブログをしょっちゅう(本当に、一日に数回レベルで)更新してたことを思えば、今ツイ廃になってることは何ら不思議ではないよね。

 

あとはあれだよね。昔ほど、色んなことに悩んでいないんだと思う。誰にも言えなくて飲みこんでいた言葉たちを、ここですら真っ直ぐ表現出来なかった言葉たちを、今はそんなに飲みこんでいない。それは、言えるようになったという意味でもあるし、そもそも昔ほどぽこぽこと湧いてこないっていう意味でもある。幸せなことではある。時々昔の記事を見返しては、うわあ…っていう気分になったりする。黒歴史っていう意味もあるけど、それ以上に、よくあの頃を生き抜いたな…って。あの頃の私が言葉を書くっていう処理方法を見出してくれていて、本当によかった。

 

最近の悩みと言えば、一周りして中学生っぽいけど、友人との距離感。というか、相変わらずの、間に挟まれ団子って感じ。これはもう体質なのかもしれない。あの人はあの子が嫌いで、私はあの人と仲が良くて、でもあの子のことも得意ではないものの嫌いとまではいかなくて、あの子は私と仲良くしようとしていて、みたいな。すっごい中学生っぽい。思春期感すごすぎて恥ずかしい。でもこんなしょーもないことで悩めるようになったんです…。少しずつ対処法も学びつつある私は、自分の事をまず第一に大事にして、自分がいいと思える距離感の維持に必死です。

 

なんというかね、今の時代ってSNSが普及しまくって、繋がろうと思えばいくらでも繋がれるじゃない。きっとこの時代だったらツナガリタガリは出来なかったかもしれない。それとも、逆に出来たのかな。その順位付けは人それぞれだとは思うけど、SNSにしても緊密度ってものによって違わない?私にとってはFacebookは結構誰でもござれっていうもので、Instagramはある程度近い人だけど別にそんなに絞っても無い(更新しないし)っていう感じ。一番、Twitterが、相手を選んでる。だから、FBもインスタも友達だけどTwitterでは拒否ってる、なんてこともあったりする。この、緊密度ランキングが噛み合わない人とか、心のアカウント・セキュリティ・レベルが違う人とは、ちょっと面倒なことになっちゃうのが、この時代の煩わしさだよね。

 

でも、Twitterで複数アカウント作って、そのアカウントごとに相手を選んで、言えることを増やしてきたのも事実。ここでしか吐き出せなかったことや、ここですら吐き出せなかったことを、言えるアカウントを持ったのも事実。すごくしょーもないことも言うし、結構真剣なことも言う。世の中に文句を言うこともあるし、萌えを吐き出すこともある。友達の婚約破棄(?)について、本人には言えないようなことも、言える場所がある。彼女は私によく似て非なる、相方のような子であって、でも私よりずっと真面目で考えすぎちゃう人だから、出来ればあんまり色んなことに囚われ過ぎずに自分なりに幸せになってほしいなあ。別に結婚なんかせんでもいいじゃん。してもいいけどさ。するなら結婚式で何か受付かスピーチか出し物かするけどさ。それでも、あんまり気にしないでほしいなあ。

 

そろそろ書き疲れてきたな。首を先週から痛めていて、ライブタオルで簡易コルセットして書いてるから、ちょっと疲れるのが早い。でも昼寝すると今よりさらに生活リズム乱れるしなあ。身支度整えて街に出るかなあ。そうです、学生だから今は春休み。いつまで経ってもこんな生活を送ってる。大人になりたいなあって言えるような歳ではなくなってきた、2017年の冬です。

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今年もここまで辿り着いたのです
紅白をだらだら見ながら、スマホで打ち込む今年の最終記事。平和だなあ。まだ宇多田出てないしなあ。V6が今日も元気そうで良かったし、有村架純は可愛いし、平和だ。夜バイト入れなくて良かった。

今年の年明けは、修論やら院試やらしんどかったな。乗り越えられて良かった。論文投稿もしたし、発表もしたし、ちゃんと院生してた、はず。お湯を沸かせる環境を整えたので院生室の居心地も良くなったし、来年も頑張ります。

プライベートもまあまあ安定してたかな。何も起きない平凡な日々が好きだよ。

2017って素数なんだって。素数っぽいよね。17も素数だしね。来年もいい年になりますように。新しいことも始まるけど、上手くいきますように。

私の大切な人たちみんなに幸いがありますように。
よいお年を。
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いつか夢見た秘密基地を君と

平和なもんで、院生室の自分のデスクの改造について悩んでいる日々。本当は他に悩まないといけない深刻な課題がたくさんあるんだけど、ちょっとこう妄想し始めたら止まらなくなる体質は依然続いている。

 

私は綺麗好きではないけれど、誰かとポットを共有したり、水道から直接水を飲んだり、誰が使ったか分からないデスクに食べ物を置いたり、出来ない。もうなんか身体が受け付けない。気持ち悪くて。だから院生室で作業してるときに、先輩たちはお茶飲んでたりするのだけど、私はお湯を入手出来なくてペットボトルから飲むって感じだった。でも冬じゃん。しかも長居したいわけよ、せっかく行ったら。そうなるとさあ、やっぱりお湯欲しいのよ。というわけで、せっせとネットで探し、とりあえずわく子さん(さんはいらないらしいけど)を注文した。

 

お湯が手に入るとなると、今度は何を飲むの?っていう話になるじゃないですか。紅茶とか、コーヒーとか。ここでまた、妙な潔癖が出てくるんですよ。院生室ってめっちゃ綺麗ってもんでもないしさ。デスクだってめっちゃ綺麗ってわけじゃないしさ。そんな所にティーパック置いて大丈夫?虫湧かない?みたいな気持ちに、ついつい。でも紅茶が飲みたい。コーヒーとか緑茶系はスティックでもいい。でも紅茶はスティックじゃやだ。美味しくなさそう。うーん。なんていう、平和な悩み。

 

学校が遠いこともあって、あんまり院生室にこもらない日々だった。だけど、これって念願のアトリエなのでは?ということに気付き、さらに言えばまわりの院生たちが結構学校に行って結構そこで時間を過ごしていることにも気付いて、これはもっと活用するべきものなんだろうということにようやく思い至ったわけです。大体、何より、家にいても私ちっとも勉強しないし。

 

今月末には論文の直しを提出しないといけないし、来月には博論の第一回中間発表があるし、本当は結構忙しい。けど、こうしてあんまり関係なくて、少しだけ関係のあることを考えてる時って、幸せで仕方ない。

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素数を数える少年のパーカーに夢を見る

いま私を一番悩ませているのは、来年度以降の働き方について。

 

もうこんな時間なんだね。今日というか、明けたその日は英会話の講師の仕事があるから、頭が回るようにしっかり睡眠をとった方がいいんだけどね。一応内容も考えたし、後は寝て、朝を迎えればいいんだけどね。何故だか気持ちが月曜日まで飛んでいて、珍しく完全な休日である月曜日の存在にうきうきしてしまっている。違うよ、まだだよ。まだ明日は働かなくちゃいけないよ。日曜に働き、月曜に休むような人生を送る25歳。いないわけじゃないけど、多いわけでもない。

 

何でこんなに悩んでいるかって、バイトを掛け持ちしすぎているから。塾、歯医者、英会話、ついでにTA。本職は学生。今年の6月頃に思い知ったけど、こんなに働いていると心身を病む。今はあっちもこっちもシフトを減らしてもらっているから辛うじてまわせているけど、普通に考えて生活が逆に成り立たなくなるような生活だよ。さらに言えば、この歳で情けない話だけど、税金がアウトになる。どう減らしてもらっても無理だと思う。複数個所、完全に戦力じゃない状態にしてもらえたらギリギリクリア出来るかもしれないけど、そんな無責任な働き方がしたいわけでもないんだよね。

 

おそらく、おそらくは英会話は来年もある。あると思っている。ある前提で話は進んでいる。だけど、確定ではなくて、そのせいで余計に状況がややこしくなっている。これが確定していたら全て致し方なしとして動くんだけどなあ。もしある程度他の職場に話しつけた後に、やっぱり来年はしないよーって言われたら、結構きついことになる。それがあって、非常に困っている。どこをどうする、っていうのが、どれも固定出来ない。

 

英会話が来年もある前提で考えるとしたら、塾と歯医者のいずれかは辞めないといけないと思う。どっちも辞めたいような、辞めたくないような。塾は、働いてるのが基本的に大学生だということもあって、年齢的には私の存在は大いなるイレギュラー。そろそろ卒業かなあっていう気もしているけど、今が三年目だから来年まで頑張れば大学生と同じ四年間を働ききることになるっていう考えもある。しかも、教えるのがメインでは無いとは言え(一応事務仕事がメインのはず)、自分自身の英語の勉強にかなりなっている。状況的に考えれば一番続けるのが現実的なのは塾だよねえ。

 

歯医者は圧倒的に不利なんだよ。家からも遠いし、体力も奪われる。お給料は若干こっちの方がいいけれど、拘束時間を考えればコスパはちっとも良くない。ただ、仕事内容と人が好き。これが物凄くブレーキをかけてくる。一度辞めた職場であって、戻ってきた職場であって。きっと真面目に話をすれば聞いて下さると信じている。私が羽ばたくためには辞めるしかないのだと理解してさえもらえたら、きっと円満に辞められる。英会話講師と塾講師はどちらも私の学生としての専門能力に関わってくるので、そういう意味では続けるべきだと思う。それに専念したいということを分かっていただければ、きっと、と。

 

これはねえ、ぐるぐる考えても仕方がないんだよね。英会話を軸に考えているのが何故かというと、一番自分の将来に結び付く能力に関わるものであり、一番自分に対する依存度が高い仕事であり(講師の数が限られていてかつ供給量が少ない)、一番お給料が多い。その三点が一つの仕事に集中している以上、どうしてもこれを中心に考えるしかない。となると、これが来年度もあるかないかによって状況が大きく変わる。だから、それが決まっていない今、これをごちゃごちゃ言ったって、何にもならないんだよねえ。

 

冷静なフローチャートを脳内に用意しておきたい。YES/NOで矢印が分岐していくように、きちんと。決まった時にすぐに動けるように。そんなことよりも考えないといけないことはたくさんあるはずだから、息抜きがてらに考えるだけにしたいんだけどなあ。悩み事の休憩に別の悩み事をするような日々は、脳みそが疲れていくね。

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日当たりのいい部屋でずっと眠っていたい

暮らすのに必死すぎて先月更新してないことに気付きすらしなかった…、ブログ開設日も過ぎましたね。何年だ?11年?干支の一周りも現実的になってきた頃ですね。

 

前に呻いていた発表は、一応無事に終わりました。一応っていうのは、口頭で読んでる途中で「うわこれつまらない」っていう気分になったからです。なんで本番でそんな気分になってしまうんだろう。冷静で何よりだけれども、出来れば数日前、欲を言えば数週間前にはそのことに気付いてほしかった。そのためにはもっと早く準備しろって話だよね、すいません。

 

ゆっくりと風邪ひいてみたりとか、休んでた分のバイトでひぃひぃ言ってみたり、生きるのに精いっぱいだった。忙しすぎて、例年感じるこの時期特有のしんどさもまぎれてた。

 

いまNHKのEテレの今日の料理見ながら書いてるんだけど、レミさんが強烈すぎて全然集中出来ない(笑)。全然深刻な気分になれない。多分実際に目の当たりにしたらうるさくて敵わないんだけど、賑やかで楽しいなあっていう気分になるね。じゅりちゃんの話もしてる!私、上野樹里ちゃん(字あってる?樹理?)好きなので、こうして話題に出るとうきうきしてしまう。お料理が上手なんだとよ。平和だなあ。

 

料理番組って平和の塊だと思うんだよね。平和じゃないとこんなのしないじゃない。食べ物も豊富で、美味しいものに対する欲望もきちんとあって、悲惨なこと以外に割く時間がある社会だから出来る番組。だから私は疲れた時は料理番組を見る。正直言って料理は好きじゃないから、別に作るわけじゃないんだけど、見てるとのんびりした気持ちになるし、お腹がすく。お腹がすくって生きてる感じするよね。だから、疲れ果てた時の料理番組。悲しいニュースよりずっと、安心する。

 

今日は午後から学校行かなきゃいけないし、本当はそろそろ準備するべきなんだけど、気が向かないなあ。ちゃんと行くけど。のんびりと支度しましょう。次はいつ更新するかなあ。

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入れて欲しい本はわたしにもたくさんある

前回の記事も焦りと自分に対する苛立ちを吐露していたけど、そこから全然前に進んでいません。どうしたもんじゃろの。

 

とても仲のいい友人が一人暮らしを始めるんだけど、いわく物を捨てるのが下手な彼女は「棺桶に入れて欲しいか否か」という基準でパッキングをしているらしい。確かに、そんな基準にすればじゃんじゃん物は捨てられるし、必要最低限まで減りそう。ちなみに、服やら物やら大半はいらないやってなるらしいんだけど、本だけは寧ろ捨てられなくなって厳選がしんどいそうだ。つまりまあ、彼女にとっては本が何よりも大事なんだろうな。分からなくもない。

 

別の友人は社会人になりたての頃、貯金しなくちゃと自分を追い詰めていたのだけど、ある時「死ぬ時は温かい布団の上がいいから、温かい布団を屋根の下で敷けるくらいの貯金があればいいや」という気持ちに切り替わったらしい。もちろん、元がそうやってしっかりしてるからこそ、それくらいの気持ちで十分っていう話なんだけどね。これが元々貯金する習慣のない人だったら、本当にギリギリの額しか残さないだろうから、それはどうかと思うけど。

 

この二人はそれぞれ全然接点のない人たち。でも、彼女たちに共通するのは、どっちも「生」じゃなくて、「死」を基準にして考えたってこと。いつか終わる、そのときにどうありたいか。それまでの出来事は全部通過点に過ぎないから、終着点でどうありたいかだけ考えていれば余計なことは悩まなくてもいい。死って、一般的に言って、暗くて辛いものだと思うけど、どことなく救いでもあるという発想を私は止められずにいる。死んでしまえば、それ以上死ぬことは出来ない。というと変な感じだけど、でもそうでしょ?恐れるものももうないし、得ることもない代わりに失うことももうないし、本当に、全てが終わる地点だと思う。

 

生きることばかりを考えて生きていると、ときどき疲れてしまう。だって、今も生きていて、明日もおそらく生きていて、来年もおそらく生きていて、十年後も生きてる可能性が高くて…考えないといけないスパンがとっても長い。ピリオドがいつ打たれるか分からない以上、どこまでも先まで想定し続けなければいけない。それって希望に溢れてるかもしれないけど、ちょっとしんどいじゃない。でも、生が線的なものだとすれば、死は点的なものだと(少なくとも今の私には)感じられる。ただその一点に照準を合わせて物事を考えていいのであれば、きっとずっと楽。もちろんこれは、病気になってゆるやかに死んでいくこととか、そういうものを想定していない夢物語である。本当は死ぬにあたって面倒事っていっぱいある。手続きとかも含めると余計に。でもそういう実際的な話じゃなくて、スタンス的なものとしては、点である死っていうのは考える基準としては比較的気楽なんじゃないかなあ。もちろん、これは生あっての死の想定であって、繰り返すけど本当に死に際の時はもっともっと、生々しい面倒事がたくさんあるはずだけど。

 

これだけ書けるってことは、脳みそが少しずつ考えるモードに切り替わっているっていうことだと前向きに捉えたい。腰がとっても痛いから、死ぬ時に腰が痛くない生き方を今から模索するのも悪くないかもしれないね。

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薄く霞んだ外の世界はきっと暑いのだろう

もうすぐ8月が終わるっていうのに、私はちっとも何もやっていない。何をやってるのか。何もやってないな。

 

昨年同様、10月の頭に学会発表があるのだけど、今月あまりにも勉強してなくて自分でも引く。明らかに遊び過ぎている。発表だけじゃなくて、論文の締め切りもある。どうしようとしてるんだろう私。何をしようとしているんだろう。期待もされてるし、自分に期待していないわけでもないんだけど、娯楽の誘惑に弱すぎる。大成しないなあ、このタイプは。

 

ささやかなことでイライラするのは今に始まった事ではないけど、本当は切羽詰まっていることに内心気付いているときっていつになくイライラするよね。人はそれを八つ当たりという。良くないぞー。分かってるんだけどな。性格はすぐには変わらないし、そんなに改善する努力もしてないんだよなあ。

 

あれはどうしよう、これはどうしよう、を悩むのは相変わらず得意なんだけど、それに結論を出したり、とりあえず動くっていうのは相変わらず苦手。早く大人になりなよ、もうとっくに大人になってる頃だよ。

 

まとまった文章を書く頭になっていないから、いつもより随分散り散りな文章。お腹が少し痛くて、一時間後にはバイトで、右手の手首の虫刺されが酷く腫れてて邪魔なの。脳みそが機能してない感じがする。はやく脳みそをチューニングせねばなあ。

 

来年の私に告ぐ。もし来年も発表するのであれば、もう少しはやく作業を始めた方が精神的に楽だと思うぞ。スケジュール管理は上手くなってくれ。こういうことを未来の自分に伝えるためにもこのブログは機能してほしい。先人(自分だけど)の知恵と反省を活かしてほしい。こうやって少しずつ生きるのが上手くなればいいんだけどさ。

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戦う私の相棒になってくださいませんか

このブログも10年以上続いているし、恋人との交際も5年をついに越えた。飽き性な私だけど、意外と長続きしていることもある。

 

5年も経つのに、未だになぜ恋人が私を好いてくれるのか分からずにいる。私がなぜ恋人とやっていけているのかも、正直自分で分からない。私は気分屋で、誰か(恋人に限らずあらゆる誰か)をとても好ましく思う時と、疎ましく思う時がかなりひどい振れ幅で交互にやってくる。別に愛してないわけではないんだけど、どう頑張っても愛情を読み取れないんじゃないの?みたいな言動をしてる時期があるのも自覚している。自分のことで精いっぱいになってる時とか、ちっとも誰かに愛情を注げないし、そのくせしてそういう時ほど永久欠番組にやたら思いを馳せていたりして、駄目人間甚だしい。なんでそんな私を好いていてくれるのかなあ。悲しくなったりしないのかなあ。悲しくさせていたら、悲しいなあ。

 

私だって血も涙も無いっていうタイプじゃないから、悲しい思いをさせたいとは思わないし、出来ればにこにこ楽しんでいて欲しいとは思うんですよ。生きてるだけで我儘な私を受け入れてくれてることにも感謝はしてるんですよ。性格合わないなと思うことも、いらっとすることもあるけど、もっと根本的なところで恋人は私を受け止めてくれているので、本当に私ったら器が小さいんだから、と思ったりもする。ただ、こればっかりは悩みながら生きていくことしか出来なさそうなので、仕方ないってことで許して。

 

別にね、愛情は物に籠るとも思わないし、プレゼントで愛情を測るみたいなことも性格的にない。これをあげたいなあと思うものが出現したら贈ろうかなと思うし、そうでなければそこまで拘らない。という言い訳をして、私めったにプレゼントとかしないんです。強請ることもまあないけど、自分もちっともしない。ケチくさいな。すみません。恋人はたぶん、あげたがりなんだと思う。そういう人っているじゃない?そのタイプなんだと思う。色々くれる。お土産なんかもいつも大量。先日の記念日には、腕時計を頂きました。ペアで。あれと悩んだんだけど、とか聞かされて、ふむふむこっちで正解、こっちの方が好み、とか思っていてふと気付く。この人、ペアウォッチ前提で考えてたのねって。ほんと私のこと好きだなあなた。ペアの時計を買おうと思って、自分と私の好みや服装を考えて、お店に行って包装してもらって…。かわいいな。プレゼントをもらうと、その物自体もとっても嬉しいけど、こうした経緯のようなものも、とっても嬉しいよね。というか、これを嬉しいと思えない相手から貰うプレゼントは、嬉しくないよね。

 

腕時計は完全に好みでした。時間が正確に把握出来るシンプルかつ充実した文字盤。女性物じゃ少ないからね。久しぶりの革ベルトは赤で、カジュアルな服装を好む私にはちょうどいい。赤か黒か茶で悩んだんだけど、って言われたけどこれは赤で大正解。きっと残り二つも素敵だっただろうけど、文字盤のシンプルさを考えるとこれでいい。大きさ、ベルトの太さについても悩んだらしいけど、手のサイズを踏まえればこれまた正解。今までもらった物の中で一番綺麗に正解を選んでいったのでは、と思うくらい正解。流行りの某ブランドも候補だったけど被るしなあって、というのも正しかった。大体あれ、文字盤あんまり正確に分からないのでは。残念ながらと言うか、私はおしゃれさの前に実用性を求めるタイプなので、そしておじさん趣味なので、おしゃれな流行りものよりも使い勝手のいいシンプルで、よく見るとおしゃれ、みたいな物の方が好きなのです。大正解。

 

という感じで、色々と悩み事はあるんですが、気持ちの谷間を一つ越えてちょっと愛情出していってもいい期に入っている気がする。この感情のブレをコントロール出来るようになりたいんだけどなあ。なんだろうなあ。物にほだされたとは思われたくないんだけどな、実際若干のタイムラグはあるし。とりあえず次会った時は、もっと向こうの話聞いてあげよう。

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こどものような虹を刺して殺して

しんどい

上手くいかない

 

自分自身が抱えるものもあるけど、

人のしんどさに中てられすぎてる

というか、

しんどさの種類が似過ぎて駄目だ

共倒れしかねない

 

何事もなく過ぎてくれればいい

いつものようなめでたい日であってほしい

そうじゃない根拠はどこにもない

ないんだけど、身構える

 

なんでこんなに身構えてるの?

いつも通りにこにこ過ごせばいいじゃない

 

失礼な話だとは思う

本当に本当に失礼

あの子を愛した全ての人に謝っても謝りきれない

怖い、怖い、怖い

でもそれを出すことが出来ない

 

手を取って逃げ出したい

どこへ?どこか遠くへ?

逃げ出してどうするの?

生きていくの?

生きていけるの?

 

無邪気な顔をしたお守りを抱くことしか出来ない

そうやってずっと問題を直視せずに生きてきた

本当は助けて欲しい

本当は殺して欲しい

 

疲れた、なあ

こういうときはどうすればいいのか、

誰かそれだけでも教えてくれないかなあ

あと半月待つのが、しんどいよ

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それがまた夢だとわたしは知っている
絶望的に気分が上がらない
気圧のせいだ、季節のせいだ
自分のせいにしない口実ならいくらでもあるのに

わたしを引っ張り上げてくれる力も、押し上げてくれる飛び道具も今はいらない
静かに、落ちてるわたしに寄り添ってくれる悲しさが欲しい
幼いわたしが宇多田ヒカルを好きになってくれていてよかった
彼女の声は今でもわたしに寄り添う

知ってる、
というか分かるようになった
色んな偶然が重なってしまっただけで、
わたしがそれを拡大解釈しているだけだということ

数字なんていうものに本質はない
暮らしていくうえで便利だろうと、
大昔の偉い人が採用した概念に過ぎない
神意なんて含ませてはいけない、きっと

雨が降る季節と、それに繋がる初夏の陽気はどうも苦手だ
それは単純にわたしという個体が環境変化に弱いだけだ
それを知らないわけではない

何年も前に、気付いてはいた
それでも魔法は魔法のままが良かった
まじないに理性は欲しくなかった
生きている世界を生きたくなかった

眠って、眠って、眠りたい
いつか目を覚ました時に
何もかも忘れて、
幸せなわたしであれるように
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